ブール=サン=モーリス
Bourg-Saint-Maurice | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏 |
県 (département) | サヴォワ県 |
郡 (arrondissement) | アルベールヴィル郡 |
INSEEコード | 73054 |
郵便番号 | 73700 |
市長(任期) |
Jacqueline Poletti (2011年 - 2014年) |
人口動態 | |
人口 |
市: 7,749人 (2008年) |
人口密度 | 43人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯45度36分55秒 東経6度45分58秒 / 北緯45.615278度 東経6.766111度座標: 北緯45度36分55秒 東経6度45分58秒 / 北緯45.615278度 東経6.766111度 |
標高 |
平均:834m 最低:183m 最高:3,823m |
面積 | 市: 179.07km2 (42ha) |
ブール=サン=モーリス(Bourg-Saint-Maurice)はオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏サヴォワ県のコミューン。
歴史
[編集]ブルー=サン=モーリスはローマの集落のベルギントルム(Bergintrum)として成立しアルペス・ポエニナエのガリア側に位置した。ローマ街道の行程表アウトニネ・イティネラリー (en) にはメディオラヌム(現代のミラノ)とルグドヌム(現代のリヨン)を結ぶ街道の途中として印されていた。[1] 後に町はローマ時代、3世紀キリスト教を信仰し仲間と共に殉教した将軍聖モーリス (en) にちなみSt. Mauritiuと名付けられている。コミューン名に含まれるブールは15世紀に表れた。その後、フランスの軍隊が獲得すると1794年からはNargue-Sardeと呼ばれるようになる。1815年ウィーン会議によりサルデーニャ王国に戻ると、旧名が保たれた。1861年にブルー=サン=モーリスは最終的にフランスのものとなっている。1960年代、レ=ザルク(Les Arcs)でスキーリゾートの拡大が始まり、経済的に上向き始めた。1962年以来、第7アルペン猟兵大隊が駐屯している。2011年に部隊の再編が行われ、2,000人の隊員やその家族などがブール=サン=モーリスから移っている。[2]
経済・交通
[編集]コミューンの経済は観光開発や第7アルペン猟兵部隊の駐屯により力強く、第三次産業が支配的である。国際的なカヌー大会などが催されたり、ヨーロッパではもっとも有名な長距離のウォーキングトライアルコースであるTour du Mont Blanc (en) がコミューン内に属する氷河の峡谷沿いを通っている。ブルー=サン=モーリスはイズラン峠やロゼロン峠 (en) などの起点である。国道90号線(Route nationale 90)がコミューン内を経由しており、この道路はアルベールヴィルやグルノーブルを結んでいる。鉄道ではフランス国鉄(SNCF)の駅があり、スキーシーズンなどにはロンドンやブリュッセルなどからブルー=サン=モーリスにスキー客を乗せたTGVやユーロスターが臨時でやって来る。ケーブルカーはハイシーズンの12月から4月と7月から8月にレ=ザルクとを結んでいる。
スポーツ
[編集]1987年にカヌースラローム世界選手権が開催された。
ゆかりの人物
[編集]- エルヴェ・ゲマール - 政治家
- アドリアン・トマソン - サッカー選手
脚注
[編集]- ^ Bourg-Saint-Maurice auf quid.fr
- ^ «Départ du 7e BCA - Un retour trente ans en arrière?», ledauphine.com, 25. Juli 2008