コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

フリードリヒ2世 (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリードリヒ2世
Friedrich II.
ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯
ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯
在位 ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯1486年 - 1515年
ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯1495年 - 1515年

出生 (1460-05-08) 1460年5月8日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
アンスバッハ辺境伯領アンスバッハ
死去 (1536-04-04) 1536年4月4日(75歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
アンスバッハ辺境伯領、アンスバッハ
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
アンスバッハ辺境伯領ハイルスブロン修道院
配偶者 ゾフィア・ヤギェロンカ
子女 一覧参照
家名 ホーエンツォレルン家
父親 ブランデンブルク選帝侯アルブレヒト・アヒレス
母親 アンナ・フォン・ザクセン
テンプレートを表示

フリードリヒ2世(Friedrich II., 1460年5月8日 - 1536年4月4日)は、ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯(在位:1486年 - 1515年)、ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯(在位:1495年 - 1515年)。フリードリヒ老伯(Friedrich der Ältere)と呼ばれ、またフリードリヒ5世とする文献もある。ブランデンブルク選帝侯アルブレヒト・アヒレスと後妻のザクセン選帝侯フリードリヒ2世の娘アンナとの間の一番上の息子で、成人したアルブレヒト・アヒレスの息子の中では2番目に年長となる人物。ヨハン・ツィーツェロの弟、ジークムントの兄。

生涯

[編集]

1486年にブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯となり、1495年に弟のジークムントの死を承けてブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯を兼ねた。しかし、その浪費癖から1515年に長男のカジミールによって退位させられ、13年間にわたりクルムバッハのプラッセンブルクに幽閉された。1527年のカジミールの死により解放され、1536年に没した。

1497年からゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンが騎士修行のために仕えていた。ゲッツは1500年にアンスバッハから去った後、ランツフート継承戦争で右腕を失い、義手を付けて鉄腕ゲッツとして名を馳せていく。

子供

[編集]

1479年2月14日にフランクフルト・アン・デア・オーダーで、ポーランド王カジミェシュ4世の娘ゾフィアと結婚した。彼らの子供は、以下の通り。

外部リンク

[編集]
先代
アルブレヒト・アヒレス
ブランデンブルク=
アンスバッハ辺境伯
1486年 - 1515年
次代
ゲオルク
先代
ジークムント
ブランデンブルク=
クルムバッハ辺境伯
1495年 - 1515年
次代
カジミール