フアン・ホセ・コーボ
表示
(フアン・ホセー・コボから転送)
| ||||
---|---|---|---|---|
基本情報 | ||||
本名 |
Juan José Cobo Acebo フアン・ホセ・コーボ・アセーボ | |||
愛称 | El Bisonte de La Pesa | |||
生年月日 | 1981年2月11日(43歳) | |||
国籍 | スペイン | |||
身長 | 175cm | |||
体重 | 69kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | 引退 | |||
分野 | ロードレース | |||
役割 | 選手 | |||
特徴 | クライマー | |||
プロ経歴 | ||||
2004–2009 2010 2011 2012–2013 2014 |
フジ・セルベット ケス・デパーニュ ジェオックス - TMC モビスター・チーム トルク・シェケルポー | |||
主要レース勝利 | ||||
ブエルタ・ア・エスパーニャ
| ||||
最終更新日 2019年7月19日 |
フアン・ホセ・コーボ・アセーボ(Juan José Cobo Acebo、1981年2月11日 - )は、スペイン、カンタブリア州のトレラベーガ出身の元自転車競技選手。
経歴
[編集]- 国内選手権U-23個人タイムトライアルで優勝。
- サウニエル・ドゥバル=プロディール(後のジェオックス・TMC)と契約。
- バスク一周総合優勝及びポイント賞獲得(第1、5ステージ勝利)
- ツール・ド・フランス総合20位。
無念のチーム全員リタイア
- ツール・ド・フランスでは、ピレネー越えステージの第10ステージにおいて、チームメイトであったレオナルド・ピエポリとともにゴール地点となるオタカムへ向かう上りでアタックを成功させ、自身は2位だったが、ピエポリとワンツーフィニッシュを決め、この時点で、チームメンバーの中では最高位となる総合8位に浮上した。ところが第12ステージ直前、禁止薬物であるCERA使用の疑いにより、チームリーダーであったリカルド・リッコがフランス警察当局に身柄を拘束され、レースから除外されたことや、ピエポリにも禁止薬物使用の疑いがあった(後にピエポリにもCERA陽性反応が検出された)ことを重く見たサウニエル・ドゥバル=スコット(当時のチーム名)が、当年のツール・ド・フランスからの撤退を表明したことから、リタイアを余儀なくされてしまった。
- ブエルタ・ア・ブルゴス 区間1勝(第5)
- ポルトガル一周 区間1勝(第9)
- ブエルタ・ア・カスティーリャ・イ・レオン 区間1勝(第4)
- ブエルタ・ア・エスパーニャ第19ステージ制覇、総合10位。
- ジロ・ディ・ロンバルディア 9位
- ジャパンカップサイクルロードレース 4位
- ケス・デパーニュ(後のモビスター・チーム)に移籍。
- ジェオックス - TMC に移籍。
- ブエルタ・ア・ブルゴス 総合3位
ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合優勝
- ブエルタ・ア・エスパーニャ
- 総合優勝
- 複合賞
- ブエルタ・ア・ブルゴスで総合3位に入ったことを受け、ジェオックス・TMCのチームリーダーとしてブエルタ・ア・エスパーニャに出場。第9ステージで区間3位に入り、この時点で総合10位に浮上。第14ステージでは区間2位に入り、総合4位に浮上した。そしてアングリルがゴールの第15ステージを制覇し、ブラッドリー・ウィギンスから総合首位の座を奪った。第17ステージで一度は先頭に立ちながらも、最後に区間優勝を奪われたクリス・フルームに13秒差まで縮められたが、その後はサポート陣がしっかりとフルーム、ウィギンスのチーム・スカイコンビを抑え込み、そのまま13秒差のリードを守って総合優勝を果たした。
- 山岳賞部門 3位
- モビスター・チームに移籍。
- 引退。
- 2019年
- 7月18日、UCIはドーピング違反が確定したとして、2009年のUCIロード世界選手権の成績、及び2009年と2011年のブエルタ・ア・エスパーニャの成績を失格処分とした[1]。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- フアン・ホセ・コーボ - サイクリングアーカイヴス