コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ピーター・シックリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピーター・シッケルから転送)
ピーター・シックリー
Peter Schickele
シックリー(2010年)
生誕 (1935-07-17) 1935年7月17日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アイオワ州エイムズ
死没 2024年1月16日(2024-01-16)(88歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ベアーズビル英語版
教育
職業 作曲家、音楽教育家、パロディ作家
公式サイト schickele.com
テンプレートを表示

ピーター・シックリー(Peter Schickele [ˈʃɪkəli][1]1935年7月17日 - 2024年1月16日)は、アメリカ合衆国作曲家、音楽教育家、パロディ作家である。バッハの(架空の)息子の「P. D. Q. バッハ」が作曲したと称する、様々な作曲家のクラシック音楽をフィーチャーした冗談音楽の作曲で知られる。姓は「シッケレ」「シッケル」[2]とも表記される。

1990年から1993年までの3年連続で、P. D. Q. バッハのアルバムがグラミー賞コメディアルバム部門英語版を受賞した[3]。また、「シックリー・ミックス」という週1回のラジオ番組の司会を務めていた[4]

若年期

[編集]

シックリーは1935年7月17日にアイオワ州エイムズで生まれた[1][5]。両親はアルザス地方からの移民だった。父のライナー・シックリー(Rainer Schickele、1905 - 1989)は作家ルネ・シッケレ英語版の息子であり、アイオワ州立大学の農業経済学の教授だった[6]。ライナーは1945年にワシントンD.C.のジョージ・ワシントン大学で教員となり、1946年にノースダコタ州ファーゴのノースダコタ農業大学(現 ノースダコタ州立大学英語版)の農業科学部長に就任した[6]

スワースモア大学在学中のシックリー(後)

ファーゴで、幼いシックリーはファーゴ・ムーアヘッド交響楽団英語版のシグヴァルド・トンプソン(Sigvald Thompson)から作曲を学んだ。1952年にファーゴの高校を卒業してスワースモア大学に入学し、1957年に音楽の学位を得て卒業した[7]。スワーモア大学の同級生にテッド・ネルソンがおり、シックリーはネルソンが学生時代に製作した実験映画"The Epiphany of Slocum Furlow"に音楽を提供している[8]ジュリアード音楽院に進学し、1960年に作曲の修士号英語版を得て卒業した[9][10]。ジュリアード音楽院では、作曲をロイ・ハリスヴィンセント・パーシケッティから学んだ[11]

初期のキャリア

[編集]
ミルウォーキーにて(1981年)

1961年から1965年まで母校ジュリアード音楽院で教鞭をとり[6]、その後はフリーランスとして活動を続けた。

シックリーは多くのフォーク・ミュージシャンに楽曲を提供している。特に、ジョーン・バエズには、『ノエル英語版』(1966年)、『ジョーン英語版』(1967年)、『バプティズム英語版』(1968年)の3枚のアルバムにおいてオーケストレーションと編曲を担当している。また、1972年のSF映画『サイレント・ランニング』の楽曲も作曲している[12]

ピアノの上に裸足で座るシックリー(1980年代頃)

シックリーは優れたバスーン奏者でもあり、室内楽ロックトリオ「オープンウインドウ」のメンバーである。このグループは1969年のレヴューオー! カルカッタ!英語版』の音楽を作曲・演奏し[13]、3枚のアルバムをリリースした[14][15][16]

シックリーが冗談音楽に関わるようになったのは、1940年代から1950年代にかけてポピュラー音楽のパロディをしていたスパイク・ジョーンズに早くから興味を持っていたことによるものである[5]。ジュリアード音楽院在学中の1959年、指揮者のホルヘ・メスターと共に冗談音楽のコンサートを開き、以来、同校の恒例行事となった。1965年からは会場をニューヨークのタウンホールに移し、一般の聴衆も観覧できるようにした[5]。コンサートのアルバムがヴァンガード・レコードからリリースされ、その際にP. D. Q. バッハというキャラクターが作られた[17]。コンサートが人気を博したことから、1972年からはリンカーン・センターエイヴリー・フィッシャー・ホールに会場が移されている。

P. D. Q. バッハ

[編集]

シックリーは、「バッハの末っ子で最も奇妙な子供」である「P. D. Q. バッハ」という架空の人物が作曲したと称する、様々な作曲家のクラシック音楽をフィーチャーしたパロディ(冗談音楽)の作曲(シックリーは「バイエルン州の古城で自筆譜を発見した」と主張している)で知られる[5]

P. D. Q. バッハとしての作品は、かなりの程度、「真面目な」作曲家としてのシックリーの作品の影に隠れてしまっている[18][19]

シックリーは2015年12月にニューヨークのタウンホールで、P. D. Q. バッハとしての最初のコンサートから50周年を記念するコンサートを行った[20]。自身の健康上の問題からコンサート活動を減らしていたが、2018年までライブ・コンサートを続けていた[21]

その他の音楽のキャリア

[編集]

シックリーは、オーケストラ、合唱団、室内アンサンブル、声楽、テレビ番組などのために100以上の楽曲提供を行っている。その中には、『かいじゅうたちのいるところ』(Where the Wild Things Are)のアニメ化作品(ジーン・ダイッチ英語版が1973年に製作した作品の1988年の改訂版)も含まれ、シックリーがナレーションも担当している[17]ブルース・ダーン主演のSF映画『サイレント・ランニング』(1972年)の音楽を担当し、ダイアン・ランパートとオリジナル曲"Silent Running"と"Rejoice in the Sun"を共作した。また、スクールバンドのための曲や、『オー! カルカッタ!英語版』などのミュージカルの曲も作曲した。数多くのコンサートを企画し、音楽監督や演奏家として参加した[1]。シックリーが作曲したミュージカルの楽曲は数々の賞を受賞した。シックリーの作品は、ヨーロッパのクラシック音楽の伝統とアメリカのイディオムを融合させた独特のスタイルが特徴である[22]

ラジオ

[編集]

シックリーは音楽教育家として、ラジオのクラシック音楽の教育番組『シックリー・ミックス』(Schickele Mix)の司会を務めた。この番組は、アメリカ国内の多くの公共放送、およびパブリック・ラジオ・インターナショナル英語版(PRI)で放送された。番組は1992年に始まった。資金不足のため1999年に終了し、2007年6月まで既存番組の再放送が行われていた[23]。製作された169本の番組のうち、再放送されたのは119本だけだった。最初の50本については、PRIの旧社名であるアメリカン・パブリック・ラジオの社名が入っていたため再放送されなかった。2006年3月からは、50本のうちのいくつかの再放送を開始した[4]。その中には、音楽家や作曲家の名前を周期表のように列挙した「音楽の周期表」という特筆すべき番組も含まれていた[24]

私生活

[編集]

シックリーは1962年10月27日に詩人のスーザン・シンドール(Susan Sindall)と結婚した[25]。スーザンとの間にはマット(Matt)とカーラ(Karla)という2人の子供がおり、2人とも音楽家になった。シックリーは1990年代に、2人の子供とともにトリオ「ビーキーパー」(Beekeeper)として活動していた[26]。カーラはオーケストラ音楽の作曲もしている。

シックリーの弟のデイヴィッド・シックリー英語版(1937–1999)は映画監督・ミュージシャンである[6][27]

シックリーは2024年1月16日にニューヨーク州ベアーズビル英語版の自宅で感染症により88歳で死去した[1]

受賞歴

[編集]
部門 作品 結果 出典
1970年英語版 グラミー賞 ミュージカル・シアター・アルバム部門 Oh! Calcutta!英語版 ノミネート [3]
1990年英語版 コメディ・アルバム部門 P.D.Q. Bach: 1712 Overture and Other Musical Assaults(序曲とその他の音楽的攻撃『1712年』) 受賞
1991年 P.D.Q. Bach: Oedipus Tex and Other Choral Calamitiesオイディプス・テックスとその他の合唱の災難)
1992年 コメディ・アルバム部門 P.D.Q. Bach: WTWP Classical Talkity-Talk Radio
子供のためのアルバム部門 Prokofiev: Peter and the Wolf / A Zoo Called Earth / Gerald McBoing Boing英語版 ノミネート
1993年 コメディ・アルバム部門 P.D.Q. Bach: Music for an Awful Lot of Winds and Percussion(ひどくたくさんの管楽器と打楽器のための音楽) 受賞
1996年 スポークン・コメディ・アルバム部門 The Definitive Biography of P.D.Q. Bach(P. D. Q. バッハの伝記 決定版) ノミネート
1999年 クラシック・クロスオーヴァー・アルバム部門 Schickele: Hornsmoke (Piano Concerto No. 2 In F Major "Ole"; Brass Calendar; Hornsmoke – A Horse Opera) 受賞
2004年 子供向けスポークン・ワード・アルバム部門 The Emperor's New Clothes ノミネート

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d Fox, Margalit (January 17, 2024). “Peter Schickele, Composer and Gleeful Sire of P.D.Q. Bach, Dies at 88”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2024/01/17/arts/music/peter-schickele-dead.html January 17, 2024閲覧。 
  2. ^ ピーター・シッケル (Peter Schickele) - 作曲家(クラシック) - NML ナクソス・ミュージック・ライブラリー”. ナクソス・ジャパン. 2024年4月16日閲覧。
  3. ^ a b Peter Schickele”. The Recording Academy. February 8, 2018閲覧。
  4. ^ a b Schickele Mix: The Lost Episodes”. Yellowstonepublicradio.org. 2015年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月16日閲覧。
  5. ^ a b c d Colin Larkin, ed (1992). The Guinness Encyclopedia of Popular Music (First ed.). Guinness Publishing. p. 2202. ISBN 0-85112-939-0 
  6. ^ a b c d Finding Aid to the Rainer Schickele Papers”. North Dakota State University Institute for Regional Studies and University Archives. March 4, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月16日閲覧。
  7. ^ In Honor of Composer and Satirist Peter Schickele '57 H'80” (英語). www.swarthmore.edu (2024年1月22日). 2024年3月22日閲覧。
  8. ^ The Epiphany of Slocum Furlow - YouTube
  9. ^ Remembering Persichetti: A Centennial Panel and Concert”. The Juilliard Journal (October 2015). March 1, 2020閲覧。
  10. ^ Battey, Robert (May 12, 2007). “Schickele Keeps the 'Serious Fun' Rolling With NSO”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/05/11/AR2007051102026.html 
  11. ^ Fox, Margalit (January 17, 2024). “Peter Schickele, Composer and Gleeful Sire of P.D.Q. Bach, Dies at 88”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2024/01/17/arts/music/peter-schickele-dead.html 
  12. ^ Ravas, Tammy (2004). Peter Schickele: A Bio-bibliography. Greenwood Publishing Group. p. 7. ISBN 0-313-32070-5 
  13. ^ Oh! Calcutta! – Cast”. Playbill (March 1971). 2024年4月16日閲覧。
  14. ^ OCLC 7010731 (The Open Window, 1969)
  15. ^ OCLC 3745796 (Three Views From "The Open Window", 1969)
  16. ^ OCLC 25739018 (Oh! Calcutta!, 1970)
  17. ^ a b The Tennessean March 12, 2009, "The Nashville Scene", p. 46
  18. ^ Bargreen, Melinda (August 31, 2007). “Composer's jovial shtick is serious musical business”. The Seattle Times. https://www.seattletimes.com/entertainment/composers-jovial-shtick-is-serious-musical-business/ 
  19. ^ "Swarthmore's First Music Major" Archived January 25, 2009, at the Wayback Machine. by Paul Wachter, Swarthmore College Bulletin (September 2007)
  20. ^ Oestreich, James R. (December 30, 2015). “Review: Bach at St. Paul's, and the Fictional Relative, P.D.Q., at Town Hall”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2015/12/31/arts/music/review-bach-at-st-pauls-and-the-fictional-relative-pdq-at-town-hall.html January 9, 2016閲覧。 
  21. ^ Peter Schickele Concert Schedule”. The Peter Schickele Web Site. February 22, 2017閲覧。
  22. ^ Vance R. Koven (March 21, 2016). “Shickele Sans PDQ”. The Boston Musical Intelligencer. July 17, 2023閲覧。
  23. ^ Dedicated to the Proposition that All Musics are Created Equal”. The Peter Schickele/P.D.Q. Bach Web Site. December 8, 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。February 22, 2008閲覧。
  24. ^ Schickele Mix Program Database Search”. The Peter Schickele/P.D.Q. Bach Web Site. November 12, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。February 22, 2008閲覧。
  25. ^ “Susan Sindall Is Bride of a Juilliard Teacher”. The New York Times: p. 91. (October 28, 1962). https://www.nytimes.com/1962/10/28/archives/susan-sindall-is-bride-of-a-juilliard-teacher.html March 28, 2023閲覧。 
  26. ^ James R. Oestreich (February 1, 1995). “At Work With: Peter Schickele; When P.D.Q. Meets P.D. Slow”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1995/02/01/garden/at-work-with-peter-schickele-when-p-d-q-meets-p-d-slow.html March 28, 2023閲覧。 
  27. ^ Kozinn, Allan (November 11, 1999). “David Schickele, 62, Filmmaker and, With Brother, a Parodist”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1999/11/11/arts/david-schickele-62-filmmaker-and-with-brother-a-parodist.html?pagewanted=print 

外部リンク

[編集]