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ビー・バップ・デラックス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビー・バップ・デラックス
Be-Bop Deluxe
ビー・バップ・デラックス(1977年)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド
ジャンル アートロック
プログレッシブ・ロック
グラムロック
ニュー・ウェイヴ
活動期間 1972年 - 1978年
レーベル EMI
公式サイト www.billnelson.com
メンバー ビル・ネルソン
チャールズ・トゥマハイ
サイモン・フォックス
アンドリュー・クラーク
旧メンバー ロブ・ブライアン
イアン・パーキン
ニコラス・チャタートン・デュー

ビー・バップ・デラックス (Be-Bop Deluxe)は、イギリスのロックバンドである(「ビ・バップ・デラックス」と表記される場合もある[1])[2]。リーダーであるビル・ネルソンを中心に1972年にヨークシャーで結成され、1974年にメジャー・デビューした後、1978年まで活動した。

音楽スタイルはギター・サウンドを基調にしたポップなロックが中心であるが、後期にはシンセポップへのアプローチも見せた。芸術家肌であるビルのワンマンバンド的色彩が強く、彼の嗜好を反映したSF感覚や、夢想的な暗喩を含むメランコリックな曲から、ストレートに見えてどこか奇妙な味わいを持つブギーなどが特徴的である。

来歴

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結成以前

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サックス奏者である父を持つなど音楽的環境に恵まれたビルは、ハンク・マーヴィンチェット・アトキンスなどのギタリストの影響を受けて早くからギターを始める。コスモノーツというアマチュアバンドを始めたビルに、ギタリストとしての才能を感じた父親は、当時高校生であったビルに後に彼のトレード・マークになる ギブソン ES-345を買い与えた[3]

その後ミッドナイト・キーパーズ、ティーンエイジャーズなどの地元アマチュアバンドを経た後、地元ウェイクフィールド・アートスクールに入ったビルは、ジミ・ヘンドリックス[4]アート・ロックの影響を受け、スリーピースバンド、グローバル・ヴィレッジを結成し初のレコーディングを行う。

1970年に、第1期ビー・バップ・デラックスの原型ともなるジェントル・レボリューション、フラグシップなどのメンバーを経た後、地元のレコード店などの協力により、自己のスタジオと共にインディーズ・レーベル、スマイルを設立する。

1971年、スマイルよりソロ名義で250枚[5]ほど初回プレスされたLP『ノーザン・ドリーム("Northern Dream")』が、BBCラジオの番組「トップ・ギア・ショー」のDJで、イギリスのロック界に影響力を持つジョン・ピールによって、さかんにオンエアされたことからビルは有名になっていく。同時期EMIハーベストからプロ契約の話が持ち上がった。

第1期 ビー・バップ・デラックス

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EMIが望んでいたのはビルとのソロとしての単独契約だった[6]。しかしビルはソロよりもバンドでの活動を計画しており、ビルと少年時代からの友人イアン・パーキン(G)を中心に、ロブ・ブライアン(B)、ニコラス・チャタートン・デュー(ニック・デューと略される場合も多い)(D)、リチャード・ブラウン(K)ら、ジェントル・レボリューションなどからの旧知のメンバー主体のラインナップでビー・バップ・デラックスを結成していた。

ビー・バップ・デラックスは1972年9月に地元ヨークシャーのキャンバーランドホテルで初ライブを行う。ビルはバンドとしてのメジャー契約を目指し、一旦契約話を保留していたEMIに、"ジェットシルバー・アンド・ザ・ドール・オブ・ビーナス"と"ライダーズ・オブ・マイ・ラブ"のデモテープを送った[7]

1973年4月、スマイルよりシングル盤「ティーンエイジ・アークエンジェル/ジェット・アット・ドーン」をリリースした。このシングルもジョン・ピールによってオンエアされ、ライブ活動と相まってビー・バップ・デラックスの評判は上昇し、他のレコード会社数社も獲得に動き始める。これを受けてEMIは同年8月、ロンドンのマンチェスター・スクエアでオーディションを行った。また、BBCラジオの「トップ・ギア・ショー」のためのスタジオ・ライブ録音も行った[:en]。1974年2月22日、マーキーでのライブの後、EMIと楽屋で契約を結んだ。

こうしてビー・バップ・デラックスは、1974年6月、ファースト・アルバム『美しき生贄』をリリースする。このアルバムによってビー・バップ・デラックスはポスト・グラム的評価を受けるが、ビルは「デヴィッド・ボウイらと比較される事を快く思わなかった」と後に述べている。その後スティーヴ・ハーレイ&コックニー・レベルの前座としてツアーを行うが、EMIが他のメンバーの力量に不満を示し、ビルも同様に考えていたためバンドを解体する事になる。

第2期 ビー・バップ・デラックス

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ビルはスティーヴ・ハーレイ&コックニー・レベルを脱退したポール・ジェフリーズ(B)、ミルトン・リーム・ジェームズ(K)、ミルトンに紹介された元ハッケンサックのサイモン・フォックス(D)とバンドの再構築を図る。このラインナップで1975年よりレコーディングを始めるが、発売中止となってしまうシングル「ビトゥィーン・ザ・ワールド/ライツ」と、6度のライブの後、コックニー・レベルからの二人はバンドを去る。

残ったサイモン・フォックスに、オーストラリアのバンド、ミシシッピーのベーシストとしてイギリスに来たが、バンドと別れロンドンに残ったニュージーランド出身のチャールズ・トゥマハイ(B)をオーディションによって加え、ビー・バップ・デラックスはトリオ編成で再出発する。

1975年5月、プロデューサーにクイーンを成功に導いたロイ・トーマス・ベイカーを迎え、ファースト・アルバムに対して、よりプログレッシッブなアプローチを行った『フュチュラマ』をリリース。ベイカーが得意とする多重録音を駆使したこのアルバムからのシングル「魅惑の淑女」(原題"Maid In Heaven")がスマッシュ・ヒットとなる。

第3期 ビー・バップ・デラックス

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ライブのサポートメンバーであったアンドリュー・クラーク(K)が正式メンバーとなり[8]、1976年2月、ジョン・レッキーとビルの共同プロデュースによる『炎の世界』をリリース[9]。アルバムが全英17位、シングル「闇夜の航海」(原題"Ships in the Night")が全英23位となり、ライブ・ステージの完成度なども含め高い評価を受ける。この後、レッキーとビルの共同プロデュースは、ビー・バップ・デラックス解散後のレッド・ノイズまで続く。

以上3枚のアルバムは全てギターに関係したタイトルがつけられており[10]、理由として「これらはギター中心の音楽を追求したことの暗喩である」という意味の事をビルは述べている[11]

アメリカでの実質デビュー作となった『炎の世界』のリリースに合わせて、1976年3月より、スティクスエレクトリック・ライト・オーケストラなどのサポートとして全米ツアーを行ったあと、1976年10月、LP片面半分が組曲というコンセプチュアルな『モダン・ミュージック』をリリース。その後、ニュージーランド国籍であるトゥマハイの就労ビザの問題等が起こるも、ビー・バップ・デラックスは人気、パフォーマンスともに最盛期を迎える。

1977年7月、LP1枚EP1枚の2枚組という変則的なライブ・アルバム『ライヴの美学』をリリース。全英10位とライブ・アルバムとしては異例のセールスをあげる[12]。ビル自身がアルバムの内スリーブに、「'77年春のツアー」との文を書いているため、ライブ音源は「モダン・ミュージック・ツアー」からとされる場合が多いが、『モダン・ミュージック』からの選曲はない。

1978年2月にリリースされた『プラスティック幻想』で、これまでのギターを中心としたバンド・サウンドから、大きくシンセポップ的なサウンドに変化する。このアルバムは、その後隆盛するテクノニュー・ウェイヴに対するビルの先見性が認められるもので、新たな評価を得たものの、従来のビー・バップ・デラックスの音楽性を求めるファンを失う結果にもなった。アルバムリリース後、数度のライブを行うものの、ビルはビー・バップ・デラックスとして出来る音楽は終わったとしてバンドを解散する。

ビー・バップ・デラックス解散後

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ビルはアンドリュー・クラークや実弟のイアン・ネルソンらと、テクノポップバンド「ビル・ネルソンズ・レッド・ノイズ」を結成。1979年、『触れないで!僕はエレクトリック』(原題"Sound-On-Sound")をリリース。その後ビルは内省的なソロ・プロジェクトに移行する。現在も活動中。チャールズ・トゥマハイは、元ウイングスジミー・マカロックらとザ・デュークスでアルバムを1枚出した後、1985年、ニュージーランドに帰る。1995年、心臓麻痺で死去。サイモン・フォックスは、トレヴァー・ラビンスティーヴ・ヒレッジなどのツアーサポートを行う。現在は音楽業界から引退。

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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  • 『美しき生贄』 - Axe Victim (1974年)
  • 『フュチュラマ』 - Futurama (1975年)
  • 『炎の世界』 - Sunburst Finish (1976年)
  • 『モダン・ミュージック』 - Modern Music (1976年)
  • 『プラスティック幻想』 - Drastic Plastic (1978年)

ライブ・アルバム

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  • 『ライヴの美学』 - Live in the Air Age (1977年)
  • 『ライヴ・イン・コンサート』 - Radioland - BBC Radio One Live In Concert (1994年)
  • Tremulous Antenna (2002年) ※上記『ライヴ・イン・コンサート』と同内容

コンピレーション・アルバム

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  • The Best Of and the Rest Of (1978年) ※ベスト盤+未発表曲などの2枚組
  • Singles A's & B's (1981年) ※シングル盤コンピレーション
  • Axe Victim+Futurama (1985年) ※ダブル・カップリング盤
  • Bop To the Red Noise (1986年) ※レッド・ノイズまで含めたベスト盤
  • Raiding the Divine Archive (1987年) ※ベスト盤
  • Air Age Anthology (1997年) ※2枚組ベスト盤
  • Tramcar to Tomorrow (1998年) ※ライブ盤
  • Very Best Of (1998年) ※ベスト盤
  • Postcards From the Future (2004年) ※スマイルよりリリースされたシングル2曲を含むベスト盤
  • Futurist Manifesto 1974-78 (2011年) ※ボーナス・トラックも含む全てのスタジオ盤+デモ・未発表ライブなどの5枚組
  • The Practice of Everyday Life (2011年) ※ソロ・ワーク、80年代のBBCラジオセッションなどを含む8枚組
  • Be Bop Deluxe At The BBC 1974 - 1978 (2013年) ※70年代のジョン・ピール・セッションなどを含む3CD+DVD
  • Be Bop Deluxe - Original Album Series (2014年) ※オリジナル・スタジオ盤5枚組

シングル

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  • "Teenage Archangel/Jets At Dawn" (1973年1月)
  • "Jet Silver And The Dolls Of Venus/Third Floor Heaven" (1974年6月)
  • "Between The Worlds/Lights" (1975年2月)
  • "Maid In Heaven/Sister Seagull" (1975年5月)
  • "Ships In The Night/Crying In The Sky" (1976年1月)
  • "Kiss Of Light/Shine" (1976年7月)
  • "Hot Valves" (1976年10月) ※「Maid In Heaven」他全4曲のEP
  • "Japan/Futurist Manifesto" (1977年9月)
  • "Panic In The World/Blue As A Jewel" (1978年1月)
  • "Electrical Language/Surreal Estate" (1978年5月)

参考文献

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Paul Sutton Reeves, Music in Dreamland: Bill Nelson and Be Bop Deluxe, Helter Skelter Publishing, 2008, ISBN 1-9051-3929-2 [2]

参考リンク

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billnelson.com 内 Discographyページ[3]

脚注

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  1. ^ ビル・ネルソンはインタビュー等で、"ビ・バップ"と発音している(参考例・CHERRY RED TV)[1]
  2. ^ バンド名にあるビバップ的な曲は演奏していない。
  3. ^ 「ビル・ネルソンのプライベート・ギター・コレクション」インタビュー記事 月刊YMMプレイヤー誌 2007年3月号
  4. ^ 「Crying to the sky」という曲が、ジミに捧げられている。
  5. ^ 数回追加プレスされており、1000枚はプレスされたとされている。
  6. ^ 内容は『ノーザン・ドリーム』のリメイクなど。
  7. ^ リチャード・ブラウンはこの録音後に家族の反対で脱退している。
  8. ^ 『フュチュラマ』では、ビルがキーボードを弾いている。
  9. ^ ジャケットの燃えるギターは、ステージでギターを燃やしたジミに対するオマージュ。
  10. ^ 「axe」はギターの隠語。「Futurama」はイギリスのギターブランド。「Sunburst Finish」とはギターの塗装方法。
  11. ^ ビル・ネルソン・インタビュー 月刊ストレンジ・デイズ誌No.151、2012年6月号
  12. ^ 米盤のLPは白のカラーレコードで、EPは12インチ(米盤以外は普通のLPと7インチEP)。ジャケットも米盤以外が全てモノクロであるのに対し一部着色してある。これは米市場に対するささやかな差別化である。

外部リンク

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