コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ヴィアチェスラフ・エキモフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィアチェスラフ・エキモフ
Viatcheslav Ekimov
基本情報
本名 ヴィアチェスラフ・ウラディミロヴィッチ・エキモフ
: Вячеслав Владимирович Екимов
愛称 エキ
生年月日 (1966-02-04) 1966年2月4日(58歳)
国籍 ロシアの旗 ロシア
出身地 レニングラード州ヴィボルグ
身長 176cm
体重 69kg
選手情報
所属 引退
分野 ロードレース
トラックレース
特徴 タイムトライアルスペシャリスト
プロ経歴
1990-1992 パナソニック
1993 ノブメル
1994 ワードパーフェクト
1995 ノベル
1996 ラボバンク
1997-1998 USポスタル
1999 アミカ・チップ
2000-2006 USポスタル、ディスカバリーチャンネル
監督経歴
2009-2011 チーム・レディオシャック
2012-2016 カチューシャ・アルペシン
主要レース勝利

オリンピック

団体追抜 1988
ITT 2000、2004

世界選手権

アマ個人追い抜き 1985-1987,1989
団体追抜 1987
プロ個人追い抜き 1990
プロポイント 1991
チューリッヒ選手権 1992
ロシアの旗 ロシア国内選手権 1997
ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間1勝
ツール・ド・フランス 区間1勝
獲得メダル
オリンピック
1988 ソウル 団体追抜
2000 シドニー ロードITT
2004 アテネ ロードITT
世界選手権自転車競技大会
1985 バッサノ アマ個人追抜
1986 コロラドスプリングス アマ個人追抜
1987 ウイーン アマ個人追抜
1987 ウイーン アマ団体追抜
1989 リヨン アマ個人追抜
1990 前橋 プロ個人追抜
1991 シュトゥットガルト プロポイント
1985 バッサノ 団体追抜
1986 コロラドスプリングス 団体追抜
最終更新日
2012年8月10日

ヴィアチェスラフ・ウラディミロヴィッチ・エキモフロシア語: Вячеслав Владимирович Екимов, ラテン文字転写: Viatcheslav Vladimirovich Ekimov1966年2月4日- )は、ロシアヴィボルグ出身の男性元自転車競技選手。

経歴

[編集]

アマチュア時代

[編集]

ソビエト連邦時代の1984年、ジュニア世界選手権の団体追い抜き、ポイントレースで優勝。翌1985年より世界自転車選手権・アマ個人追い抜きで3連覇を達成。1988年開催のソウルオリンピックの同種目において、断然の本命と目されたが、国内予選において、ギンタウタス・ウマラスに不覚を取って同種目の出場権を失ってしまった。しかし、ソビエト連邦の団体追い抜きのメンバーに選出され、同オリンピック・個人追い抜き金メダリストのウマラスらとともに、金メダル獲得に貢献した。

1989年の世界選手権の個人追い抜きは制し、世界選手権において同種目は4回制覇。そして1990年ドイツ統一元年であり、ソビエト連邦崩壊も目前に迫った年であったが、エキモフはプロ転向を決意。名将・ペーター・ポスト率いる、オランダのパナソニックチームと契約を結ぶ。

エリート時代

[編集]

1990年、前橋で開催された世界選手権・プロ個人追い抜きを制覇。世界選手権においては、翌1991年のプロポイントレースも制覇した。ここまでは主にトラックレースにおける活躍が中心だったが、1990年ツール・ド・フランス初出場を果たし1991年にはチームパナソニックにてステージ優勝を達成。以後2006年まで15回の出場を果たすことになる。そして、ツール出場を契機に、ロードレースへと完全に重きを置くようになった。1992年にはチューリッヒ選手権を制覇。1997年にはロシア国内選手権ロードレースを制覇。1998年、ロンド・ファン・ネーデルランド総合2位などの実績を残す。

2000年ランス・アームストロングがエースである、USポスタルサービスに移籍。その年行われた2000年シドニーオリンピック・ロード個人タイムトライアルにおいて、チームメイトのアームストロングや、ドイツヤン・ウルリッヒといったビッグネームを破って金メダルを獲得。また、ツールではアシスト役として、アームストロングの連覇更新に貢献した形となった。

2002年、一旦引退を表明しロシアのチームで指導にあたることになっていたが、ツール直前に復帰した。この時点では真相に口をつぐんでいたが、引退後のインタビューによると健康診断で内臓機能の悪化が明らかになったために休息をとっており、復帰と指導者両面の道を模索していたという。

2003年には、パリ〜ルーベで3位に入る。

2004年に行われたアテネオリンピックの個人タイムトライアルを制覇。

2006年、40歳となったエキモフは、この年のツールにおいて15回目の出場および完走を果たしたが、これはヨープ・ズートメルクの16回に次ぎ、ルシアン・バンインプと並ぶ記録である。同年に引退。その後ディスカバリーチャンネルチームのスタッフとなった。

引退後

[編集]

2012年8月10日、IOCは、2004年アテネオリンピックの個人タイムトライアルにおけるタイラー・ハミルトンの優勝記録を取り消すことを決し、これに伴い、エキモフを金、ボビー・ジュリック(アメリカ)を銀、マイケル・ロジャース(オーストラリア)を銅の各メダル獲得認定者とすることになった[1][2]

ツール・ド・フランスにおける成績

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ IOC to strip Hamilton of 2004 Olympic gold medal - cyclingnews.com 2012年8月9日付(英語)
  2. ^ Hamilton requested removal of Olympic title - cyclingnews.com 2012年8月10日付(英語)

外部リンク

[編集]