ヒューゴ・サビノビッチ
ヒューゴ・サビノビッチ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ヒューゴ・サビノビッチ El Munecazo La Pantera Asesina La Ferreteria Ambulante El Hijo de Dona Melida El Deforme |
身長 | 178cm[1] |
体重 | 107kg[1] |
誕生日 | 1959年2月15日(65歳) |
出身地 |
エクアドル グアヤス県グアヤキル |
トレーナー | ジョニー・リベラ |
デビュー | 1978年 |
ヒューゴ・サビノビッチ(Hugo Savinovich、1959年2月15日 - )は、エクアドル出身の元プロレスラー。現役選手時代はプエルトリコを主戦場に活動した。
現役引退後は実況アナウンサーのカルロス・カブレラと共に、WWEのスペイン語放送のコメンテーターを務めていた。元妻は第2代WWE女子王者のウェンディ・リヒター[2]。
来歴
[編集]ビクター・リベラの実弟ジョニー・リベラのトレーニングを受け、1978年にプエルトリコにてプロレスラーとしてデビュー[3]。パナマやドミニカなどを転戦後、1980年代よりカルロス・コロンの主宰するWWCに定着、マイクパフォーマンスのスキルを活かしてヒールのマネージャーも担当し、アブドーラ・ザ・ブッチャーをはじめ数々の悪役スターをマネージメントした[1][3]。
自身もカルロス・コロンと抗争を展開し、1984年7月にはWWCとの提携ルートで全日本プロレスの『グランド・チャンピオン・カーニバルIII』に初来日している(同時参加選手はスタン・ハンセン、リック・マーテル、ディック・スレーター、アレックス・スミルノフなど)[4]。WWCではブッカーなどのフロント業務も兼任し[1]、WWC離脱後の1980年代後半にはプエルトリコでAWFなるインディー団体を運営していた[3]。
1993年より、WWEのスペイン語放送 "WWE En Español" (WWE in Spanish)のカラー・コメンテーターを担当。場外乱闘の際は、実況テーブル上のパイルドライバーやペディグリーで放送席が壊されるなどの被害に頻繁に遭っていた。
2011年10月19日、WWEからの退団が発表された[5]。その後は2013年6月16日、AAAのPPV大会 "Triplemanía XXI" にゲスト・コメンテーターとして登場。同日は、ブルー・デーモン・ジュニアと対戦したエル・メシアスのマネージャー役も務めた。
マネージャー担当選手
[編集]- アブドーラ・ザ・ブッチャー
- ザ・シーク
- ザ・ファンクス
- ザ・シープハーダーズ
- トール・タナカ
- ミスター・フジ
- ザ・モンゴリアン・ストンパー
- オックス・ベーカー
- ボブ・スウィータン
- カルロス・ホセ・エストラーダ
- ジョニー・ロッズ
- ミツ・イシカワ
- ハル・ソノダ
- ケンドー・ナガサキ
- ミスター・ポーゴ
- キング・トンガ
- バディ・ランデル
- アブドーラ・タンバ
など[3]
脚注
[編集]- ^ a b c d 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P80(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ “"The first Screwjob" - Vince McMahon told WWE referee to go off-script in a top female star's title match (Exclusive)”. Sportskeeda (2022年2月18日). 2023年8月15日閲覧。
- ^ a b c d “Wrestler Profiles: Hugo Savinovitch”. Online World of Wrestling. 2011年1月10日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Hugo Savinovich in 1984”. Wrestlingdata.com. 2018年4月15日閲覧。
- ^ “WWE releases longtime Spanish color commentator Hugo Savinovich”. Wrestling-Edge.com. 2011年10月19日閲覧。
外部リンク
[編集]- Online World of Wrestling
- ヒューゴ・サビノビッチのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database