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パンサラッサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パンサラッサ海から転送)
パンサラッサはパンゲア大陸を取り囲んでいた。

パンサラッサPanthalassa)は、古生代の後期から中生代の前期にかけて超大陸パンゲアを取り囲んでいた、唯一の広大な大洋である。古代ギリシア語で「全ての海」を意味する造語である。パンサラサ海ともいう[1]

面積は、最大で地球の表面積の3分の2に相当する3億3000万平方km程あった。パンサラッサは西部と北部に太平洋を含み、南東部にはテチス海を含んでいた。湾状のテチス海が閉じていき、パンゲアが分裂して大西洋北極海ができた結果、パンサラッサはインド洋太平洋になった。パンサラッサがかつてあった場所に現在ある海洋は太平洋だけであるため、パンサラッサはしばしば古太平洋(こたいへいよう)とも呼ばれる。

右の地図では、地球の赤道はおおまかに言ってスペインモロッコボストンが通る線である。赤道の南にある大陸塊はゴンドワナ大陸と呼ばれる。赤道の北の大陸は、ローラシア大陸と呼ばれる。

パンサラッサの誕生

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8億年前から7億年前の間に超大陸ロディニアが半分に分裂した。これは地球史上最も重要な大陸分裂の一つである。なぜなら、将来北アメリカ大陸になるローレンシア大陸の西に、パンサラッサが広がったからである。ローレンシア大陸西部では、この分裂に先立つ地殻変動により、巨大な堆積盆地を生み出したオーラコゲン(不完全な地溝)がローレンシア大陸西部に生じた。ロディニア大陸を囲んでいた広大な海洋であったミロヴィア海は、パンアフリカ海とパンサラッサが拡大したために縮小していった。6億5000万年前から5億5000万年前の間に、V字型をした別の超大陸パノティアが形成された。「V」の内側はパンサラッサ、外側はパンアフリカ海とわずかに残ったミロヴィア海であった。

パンサラッサの痕跡

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約2億5千万年前のパンサラッサ超海洋の想像図。三重点英語版の南側はフェニックス・プレート英語版、北西側はイザナギ・プレート、北東側はファラロン・プレート英語版で、いずれも現存しない。さらに北側にクラ・プレート英語版があった。
現在の太平洋プレートは、約1億9千万年前よりパンサラッサの中央にかつて存在した三重点から海嶺を生じて成長を開始したと考えられる新しい海洋プレートである。[2]

パンサラッサを構成した海盆海洋地殻の大部分は、新しく生じた太平洋プレートに押されて大陸側へ移動し、北アメリカ・プレートユーラシア・プレートとの間に生じた海溝の下に沈みこんだ。現在の太平洋の北東側や東側にわずかに残るファン・デ・フカ・プレートゴルダプレート英語版ココス・プレートナスカ・プレートなどの小さなプレート群は、部分的に残ったかつてのファラロン・プレート英語版で、パンサラッサの海洋プレートの名残と考えられている。

現在滋賀県岐阜県にまたがる伊吹山は、かつてパンサラッサの海洋底で約3億年前の古生代に活動を始めた海底火山列の一部(伊吹海山列)と考えられている。飛騨高山から伊吹山頂上にかけて広く分布する石灰岩層は、約2億5000万年前のペルム紀に火山島上に形成された珊瑚礁を起源とし、これがプレートの沈み込みによって大陸辺縁で付加体となり、その後の隆起で地上に現れたものである[3]。また日本海は、パンサラッサの一部であったイザナギ・プレートが大陸プレートへ沈み込んで大規模なスラブとなり、これが大陸縁を海溝側に引きずる力と、マントルの相変化深度(約660 km)でスラブの沈降の抵抗を受けて上向きの力を生じたことで大陸縁が伸張し、日本列島を大陸から切り離しながら背弧海盆として拡がったものとする説がある[4]

脚注

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  1. ^ デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年4月28日閲覧。
  2. ^ 高橋雅紀 (2017-12) (pdf). 消えたフェニックスプレートの謎. GSI地質ニュース Vol,6 No,1. 産総研地質調査総合センター. p. 383-389. https://www.gsj.jp/data/gcn/gsj_cn_vol6.no12_p383-389.pdf 2020年6月11日閲覧。 
  3. ^ 地球の歴史と伊吹山周辺の自然史年表”. 伊吹山ネイチャーネットワーク. 2020年6月11日閲覧。
  4. ^ 中久喜伴益. “プレートテクトニクスとマントル対流「11.滞留スラブと縁海の形成」”. 広島大学大学院先進理工系科学研究科、地球惑星物理学研究グループ. 2020年6月11日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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