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パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ・シャリーフ派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パキスタンの旗 パキスタン政党
パキスタン・ムスリム連盟
ナワーズ・シャリーフ派
ウルドゥー語: پاکستان مسلم لیگ ن
英語: Pakistan Muslim League (Nawaz)
党旗
総裁 ナワーズ・シャリーフ
成立年月日 1988年11月16日
国民議会議席数
98 / 336   (29%)
(2024年2月8日)
元老院議席数
19 / 96   (20%)
(2024年4月2日)
政治的思想・立場 保守主義
経済的自由主義
パンジャーブ民族主義
右派ポピュリズム
中道右派[1][2][3]
シンボル
公式サイト PMLN Official
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パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ・シャリーフ派ウルドゥー語: پاکستان مسلم لیگ ن‎、英語: Pakistan Muslim League (Nawaz)、略称:PML-N)は、パキスタン保守政党パキスタン・ムスリム連盟ナワーズ派パキスタン・ムスリム連盟シャリーフ派(または「シャリフ派」)などと表記される場合もある。記事立項時近くにもパキスタン・イスラム教徒連盟シャリフ派[4]とされた例もあり、定まった訳はないとも言える。

歴史

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結党

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軍事独裁者ムハンマド・ジア=ウル=ハク大統領の下でパンジャーブ州首相だったナワーズ・シャリーフがハク大統領の飛行機事故死後の1988年11月16日パキスタン・ムスリム連盟英語版から自派を分裂させて結成。80年代末から90年代にかけてベーナズィール・ブットー率いるパキスタン人民党(PPP)と熾烈な政権争いを繰り広げた。1998年パキスタンが核実験を行った際の与党でもある。

反クーデター政権

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しかし1999年パキスタン軍トップのパルヴェーズ・ムシャラフを解任しようとしたシャリーフ首相が軍のクーデターで打倒され、後に亡命を強いられると、党は禁止こそされなかったが野党暮らしを強いられた。この間、シャリーフは亡命先のサウジアラビアから党を指導しようとしたが、ザファルッラー・カーン・ジャマーリー(のち首相)ら、党内の親ムシャラフ派がパキスタン・ムスリム連盟カーイデ・アーザム派(PML-Q)を結成し分裂、少数政党に転落するなど苦しい立場に置かれた。そのため政敵ベーナズィール・ブットーのパキスタン人民党(PPP)と提携するようになった。

2007年からパキスタンで民主化運動が活発化し、ムシャラフ大統領に抵抗する一大運動に発展すると、ベーナズィール・ブットーの暗殺英語版を経て2008年のパキスタン下院総選挙英語版で第2党となり、PPPのユースフ・ラザー・ギーラーニー率いる連立政権と組み、ムシャラフを大統領辞任に追い込んだ(後任の大統領はベーナズィール・ブットーの夫でPPPのアースィフ・アリー・ザルダーリー)。

最近の動向

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ナワーズ・シャリーフ(2008年)

その後パキスタン人民党(PPP)との確執から野党に転じるが、2013年5月11日に執行された総選挙英語版ではザルダーリー大統領率いるPPP政権の汚職体質や経済無策への批判票を一手に引き受け、またイスラーム過激派パキスタン・ターリバーン運動からも対話の窓口として指名される形で大勝した[5]

しかし、2017年にシャリーフが首相を失職し、娘のマリヤムとともに汚職容疑で収監されると党勢は悪化。翌年の2018年7月25日に執行された総選挙英語版ではパキスタン下院のみならず、牙城のパンジャーブ州でも政権をパキスタン正義運動(PTI)に明け渡した[6]。その後、2022年4月にナワーズの弟のシャバズ・シャリフが新首相となり、下院の与党に復帰した。

2024年2月8日に執行された総選挙英語版では直後にはPML-Nとイムラン・カーン元首相率いるPTIの双方が勝利宣言するなど混迷を極めた[7]。選挙の結果、264議席中、PTIが支援する無所属議員が93議席を獲得し議会内最大勢力となり、PML-Nが75、パキスタン人民党(PPP)が54議席を獲得した。2月13日、PML-NとPPPなど6党が連立政権樹立で合意し、新首相にシャバズ・シャリフ前首相を再び擁立することとなった[8]

なお党の地盤はナワーズ・シャリーフの出身地でもあるパンジャーブ州に大きく依存しており、他州ではそれほど圧倒的な勢力を有しているわけではない[9]。特に南部シンド州では、パキスタン人民党などに大きく水をあけられている。また(この党に限らずパキスタンの「ムスリム連盟」を称する政党すべてに言えることだが)国父ムハンマド・アリー・ジンナーらによる全インド・ムスリム連盟の後継政党を名乗っているが、同党は1958年アイユーブ・ハーン(のち元帥)によるクーデターで解散に追い込まれているため、直接の関連性はない[10]

脚注・出典

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  1. ^ “Sharif declares victory for his party in Pakistan vote”. Hindustan Times. (12 May 2013). http://www.hindustantimes.com/india/sharif-declares-victory-for-his-party-in-pakistan-vote/story-E9DADY2PUh57OCK5g3Fg2J.html 
  2. ^ Nawaz Sharif declares his party victorious in Pakistan vote, Al Arabiya, http://english.alarabiya.net/en/News/asia/2013/05/11/Nawaz-Sharif-declares-victory-in-Pakistan-election-.html 
  3. ^ “Nawaz Sharif Set for Third Term as PM”, India Times, (12 May 2013), http://www.indiatimes.com/news/asia/nawaz-sharif-set-for-third-term-as-pm-77130.html 
  4. ^ 時事通信による
  5. ^ パキスタン総選挙、野党第1党に 米との関係焦点(日本経済新聞 2013/5/12)
  6. ^ Military Desk. “Pakistan Muslim League (N)”. Global Security. 2 November 2012時点のオリジナルよりアーカイブ23 February 2012閲覧。
  7. ^ “パキスタン総選挙、カーン氏・シャリフ氏双方が勝利宣言 混迷一段と”. ロイター. (2024年2月10日). https://jp.reuters.com/world/security/5ZT52FC5GRM7NJFYKIRAVCNVEQ-2024-02-09/ 2024年2月15日閲覧。 
  8. ^ “パキスタン旧与党が連立合意 シャバズ・シャリフ前首相の再任目指す”. 朝日新聞. (2024年2月14日). https://www.asahi.com/articles/ASS2G5KC6S2GUHBI00W.html 2024年2月15日閲覧。 
  9. ^ 萬宮健策「パキスタンにおける政党の位置づけ」2.パキスタンにおける政治の特徴 を参照
  10. ^ 「中東・イスラーム諸国の民主化」データベース » パキスタン » パキスタン・政党

外部リンク

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