バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ
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(バンコから転送)
バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ Banco del Mutuo Soccorso | |
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バンコのフランチェスコ・ディ・ジャコモ(2009年) | |
基本情報 | |
別名 |
バンコ (Banco) BMS |
出身地 | イタリア ローマ |
ジャンル |
プログレッシブ・ロック イタリアン・プログレッシブ・ロック アート・ロック |
活動期間 | 1969年 - |
レーベル | Dischi Ricordi、マンティコア、EMI、ソニー |
公式サイト |
www |
バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ(Banco del Mutuo Soccorso)は、イタリアのプログレッシブ・ロックバンドの名称。バンド名の元の意味は「共済銀行」。単にバンコ(Banco)とも表記される[1]。
経歴
[編集]1969年にヴィットリオ(兄)とジャンニ(弟)のノチェンツィ兄弟が中心となって結成され、後にフランチェスコ・ディ・ジャコモが加入して陣容が固まる。
1972年、アルバム『バンコ・ファースト』でデビュー。このアルバムは壷型貯金箱を模した変形ジャケットで発売された。これに収められている「安息の鎮魂曲 (R.I.P (Requiescant In pace))」はバンコの代表曲のひとつとなり、アルバム自体もイタリアのプログレッシブ・ロックの幕開けを飾る1枚とされている。
1975年、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(PFM)の抜擢でイタリアン・プログレとの縁ができたイギリスのマンティコア・レコード(エマーソン・レイク・アンド・パーマーが設立したレーベル)から、英語詞を採用したアルバム『イタリアの輝き - バンコ登場』を発表し世界進出。しかしPFMほどの世界的反響は得ることができなかった。
1990年以降はライブを中心に活動している。
2014年2月21日イタリア時間午後6時頃、ジャコモが交通事故により死亡した。
デビュー時のメンバー
[編集]- フランチェスコ・ディ・ジャコモ(Francesco Di Giacomo) - ボーカル
- マルチェッロ・トダーロ(Marcello Todaro) - ギター
- ヴィットリオ・ノチェンツィ(Vittorio Nocenzi) - キーボード
- ジャンニ・ノチェンツィ(Gianni Nocenzi) - キーボード
- レナート・デアンジェロ(Renato D'Angelo) - ベース
- ピエールルイジ・カルデローニ(Pierluigi Calderoni) - ドラムス
ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- 『バンコ・ファースト』 - Banco del Mutuo Soccorso (1972年)
- 『ダーウィン』 - Darwin! (1972年)
- 『自由への扉』 - Io sono nato libero (1973年)
- 『イタリアの輝き - バンコ登場』 - Banco (1975年) ※以前のアルバムの曲の英語版が含まれている
- 『赤いカーネーション』 - Garofano rosso (1976年) ※映画のサウンドトラック[2]
- 『最後の晩餐』 - Come in un'ultima cena (1976年)
- 『ディ・テッラ』 - …di terra (1978年) ※Orchestra dell'Unione Musicisti di Romaと共演
- 『春の歌』 - Canto di primavera (1979年)
- 『ウルジェンティッシモ』 - Urgentissimo (1980年)
- 『ブオーネ・ノティツィエ』 - Buone Notizie (1981年)
- 『バンコ』 - Banco (1983年)
- 『…エ・ヴィア』 - ...e via (1985年)
- 『13』 - Il 13 (1994年)
- 『ヌード: アンプラグド・トラックス』 - Nudo (1997年)
- 『トランシベリアーナ~シベリア横断、人生の旅路』 - Transiberiana (2019年)
- 『オルランド~愛のかたち』 - Orlando: Le Forme dell’Amore (2022年)
ライブ・アルバム
[編集]- 『ライヴ・アット・カポリネア』 - Capolinea (1979年)
- 『ノー・パルコ - 30周年記念コンサート』 - No Palco (2003年)
- 『ライヴ '75』 - Seguendo le Tracce (2005年)
その他のアルバム
[編集]- 『最後の晩餐 [英語版]』 - As in a Last Supper (1976年) ※『Come in un'ultima cena』の英語詞ヴァージョン
- 『ドナ・プラウティラ』 - Donna Plautilla (1989年) ※1972年以前の未発表音源のコンピレーション
- Non Mettere le Dita nel Naso (1989年) ※フランチェスコ・ディ・ジャコモ名義[3]
- Darwin (1991年) ※1972年のオリジナル・アルバムを再録音
- 『B.M.S. (ファースト)&ダーウィン』 - Da qui Messere si Domina la Valle (1991年) ※最初の2枚のアルバムをまとめて再発
- La Storia (1993年) ※コンピレーション
- Banco d'Accusa (1996年) ※フランチェスコ・ディ・ジャコモ名義のコンピレーション・ボックスセット
参考文献
[編集]- 『マスターピースシリーズ イタリアン・プログレッシヴ・ロック』(2011年 ストレンジ・デイズ/日興企画)
- 『ディスク・セレクション・シリーズ プログレッシヴ・ロック』(2010年 ミュージック・マガジン社)