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バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バンコから転送)
バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ
Banco del Mutuo Soccorso
バンコのフランチェスコ・ディ・ジャコモ(2009年)
基本情報
別名 バンコ (Banco)
BMS
出身地 イタリアの旗 イタリア ローマ
ジャンル プログレッシブ・ロック
イタリアン・プログレッシブ・ロック
アート・ロック
活動期間 1969年 -
レーベル Dischi Ricordi、マンティコアEMIソニー
公式サイト www.bancodelmutuosoccorso.it

バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソBanco del Mutuo Soccorso)は、イタリアプログレッシブ・ロックバンドの名称。バンド名の元の意味は「共済銀行」。単にバンコ(Banco)とも表記される[1]

経歴

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1969年にヴィットリオ(兄)とジャンニ(弟)のノチェンツィ兄弟が中心となって結成され、後にフランチェスコ・ディ・ジャコモが加入して陣容が固まる。

1972年、アルバム『バンコ・ファースト』でデビュー。このアルバムは壷型貯金箱を模した変形ジャケットで発売された。これに収められている「安息の鎮魂曲 (R.I.P (Requiescant In pace))」はバンコの代表曲のひとつとなり、アルバム自体もイタリアのプログレッシブ・ロックの幕開けを飾る1枚とされている。

1975年、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(PFM)の抜擢でイタリアン・プログレとの縁ができたイギリスのマンティコア・レコードエマーソン・レイク・アンド・パーマーが設立したレーベル)から、英語詞を採用したアルバム『イタリアの輝き - バンコ登場』を発表し世界進出。しかしPFMほどの世界的反響は得ることができなかった。

1990年以降はライブを中心に活動している。

2014年2月21日イタリア時間午後6時頃、ジャコモが交通事故により死亡した。

デビュー時のメンバー

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  • フランチェスコ・ディ・ジャコモ(Francesco Di Giacomo) - ボーカル
  • マルチェッロ・トダーロ(Marcello Todaro) - ギター
  • ヴィットリオ・ノチェンツィ(Vittorio Nocenzi) - キーボード
  • ジャンニ・ノチェンツィ(Gianni Nocenzi) - キーボード
  • レナート・デアンジェロ(Renato D'Angelo) - ベース
  • ピエールルイジ・カルデローニ(Pierluigi Calderoni) - ドラムス

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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  • 『バンコ・ファースト』 - Banco del Mutuo Soccorso (1972年)
  • 『ダーウィン』 - Darwin! (1972年)
  • 『自由への扉』 - Io sono nato libero (1973年)
  • 『イタリアの輝き - バンコ登場』 - Banco (1975年) ※以前のアルバムの曲の英語版が含まれている
  • 『赤いカーネーション』 - Garofano rosso (1976年) ※映画のサウンドトラック[2]
  • 『最後の晩餐』 - Come in un'ultima cena (1976年)
  • 『ディ・テッラ』 - …di terra (1978年) ※Orchestra dell'Unione Musicisti di Romaと共演
  • 『春の歌』 - Canto di primavera (1979年)
  • 『ウルジェンティッシモ』 - Urgentissimo (1980年)
  • 『ブオーネ・ノティツィエ』 - Buone Notizie (1981年)
  • 『バンコ』 - Banco (1983年)
  • 『…エ・ヴィア』 - ...e via (1985年)
  • 『13』 - Il 13 (1994年)
  • 『ヌード: アンプラグド・トラックス』 - Nudo (1997年)
  • 『トランシベリアーナ~シベリア横断、人生の旅路』 - Transiberiana (2019年)
  • 『オルランド~愛のかたち』 - Orlando: Le Forme dell’Amore (2022年)

ライブ・アルバム

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  • 『ライヴ・アット・カポリネア』 - Capolinea (1979年)
  • 『ノー・パルコ - 30周年記念コンサート』 - No Palco (2003年)
  • 『ライヴ '75』 - Seguendo le Tracce (2005年)

その他のアルバム

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  • 『最後の晩餐 [英語版]』 - As in a Last Supper (1976年) ※『Come in un'ultima cena』の英語詞ヴァージョン
  • 『ドナ・プラウティラ』 - Donna Plautilla (1989年) ※1972年以前の未発表音源のコンピレーション
  • Non Mettere le Dita nel Naso (1989年) ※フランチェスコ・ディ・ジャコモ名義[3]
  • Darwin (1991年) ※1972年のオリジナル・アルバムを再録音
  • 『B.M.S. (ファースト)&ダーウィン』 - Da qui Messere si Domina la Valle (1991年) ※最初の2枚のアルバムをまとめて再発
  • La Storia (1993年) ※コンピレーション
  • Banco d'Accusa (1996年) ※フランチェスコ・ディ・ジャコモ名義のコンピレーション・ボックスセット

参考文献

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  • 『マスターピースシリーズ イタリアン・プログレッシヴ・ロック』(2011年 ストレンジ・デイズ/日興企画)
  • 『ディスク・セレクション・シリーズ プログレッシヴ・ロック』(2010年 ミュージック・マガジン社)

脚注

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  1. ^ 世界進出後はこの表記が一般的。
  2. ^ インスト作であり、ジャコモの歌唱は入っていない。
  3. ^ 名義上はジャコモのソロ作だが、バンコのメンバーも演奏に参加している。

外部リンク

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