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バルドゥイン・フォン・ルクセンブルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バルドゥインから転送)
バルドゥイン・フォン・ルクセンブルク
トリーア大司教
バルドゥイン像(トリーア
大主教区 トリーア
着座 1307年
離任 1354年
個人情報
出生 1285年
死去 1354年1月21日
両親 父:ルクセンブルク伯ハインリヒ6世
母:ベアトリス・ダヴェーヌ
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バルドゥイン・フォン・ルクセンブルク(Balduin von Luxemburg, 1285年頃 - 1354年1月21日)は、神聖ローマ帝国選帝侯トリーア選帝侯)であるトリーア大司教1307年 - 1354年)。ルクセンブルク家の出身で、父はルクセンブルク伯ハインリヒ6世、母はベアトリス・ダヴェーヌ

生涯

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兄であるハインリヒ7世およびその孫カール4世神聖ローマ皇帝選出に貢献した。

1288年6月5日のヴォリンゲンの戦いにおいて父が戦死した後、母が未成年の息子たちの摂政となった。ハインリヒ、バルドウィン兄弟は一時期フランス宮廷で養育され、パリ大学において学んだ。1307年12月7日にトリーア大司教に選ばれ、1308年3月11日に教皇クレメンス5世によって叙任された。兄の息子ヨハンボヘミア王女エリシュカとの結婚を仲介し、ルクセンブルク家がボヘミアの王家となる足がかりを築いた。両者の息子がカール4世である。 1310年に始まる兄のローマ遠征に同行した[1]

1340年ころ、兄ハインリヒ7世との事績を73個の絵で示すBilderchronik(仮訳:年代記絵図)を作成させている。これは当時のBilderchronikとして極めて重要なもので、現在コブレンツの文書館(Landeshauptarchiv Koblenz)に所蔵されている[2]

城塞の取得によってザール地域における権力を強化し、ラーン河畔における自らの存在をバルドゥインシュタイン城(1319年建造)[3]によって顕示した。トリーア大司教在任中100を下らない城塞と防備を施された地点によって大司教区の安定を確保したバルドゥインは、当時の「最も重要な城塞政治家の一人」であった[4]。「城塞23、城塞守備員294人を掌握し」「個々の砦には城塞守備員を3人から30人まで配置している」と記録されている[5]

阿部謹也 は、バルドゥインについて、「決してお高くとまった聖職者ではなく、司教の服をぬぎすてて冗談や気晴らしを楽しんだ人物として知られている」と叙述し、1510年頃にはじめて出版されたドイツの民衆本『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』、その第63話で主人公の権力者批判に理解を示す司教のモデルと見なしている[6]

参考文献

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  • Kaiser Heinrichs Romfahrt. Die Bilderchronik von Kaiser Heinrich VII. und Kurfürst Balduin von Luxemburg 1308-1313. Mit einer Einleitung und Erläuterungen herausgegeben von Franz-Josef Heyen. München: Deutscher Taschenbuch Verlag 1978 (ISBN 3-423-01358-3)
  • Lexikon des Mittelalters. Bd. I. München/Zürich: Artemis 1980 (ISBN 3-7608-8901-8), Sp. 1372-1374 (Beitrag von F.-J.Heyen zu ‚Balduin von Luxemburg, Ebf. v. Trier.‘).

脚注

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  1. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. I. München/Zürich: Artemis 1980 (ISBN 3-7608-8901-8), Sp. 1372-1373.
  2. ^ Kaiser Heinrichs Romfahrt. Die Bilderchronik von Kaiser Heinrich VII. und Kurfürst Balduin von Luxemburg 1308-1313. Mit einer Einleitung und Erläuterungen herausgegeben von Franz-Josef Heyen. Deutscher Taschenbuch Verlag 1978 (ISBN 3-423-01358-3). - Lexikon des Mittelalters. Bd. I. München/Zürich: Artemis 1980 (ISBN 3-7608-8901-8), Sp. 1373.
  3. ^ Walter Hotz : Kleine Kunstgeschichte der deutschen Burg. Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 2. Auflage 1972 (ISBN 3-534-03693-X), S.147 und 190.
  4. ^ 野崎直治『ヨーロッパ中世の城』中央公論社1989年12月、中公新書 951(ISBN 4-12-100951-7)92頁。
  5. ^ 野崎直治『ヨーロッパ中世の城』中央公論社1989年12月、中公新書 951(ISBN 4-12-100951-7)181頁。
  6. ^ 阿部謹也訳『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』岩波文庫 1990年 (ISBN 4-00-324551-2) 78-81, 353(引用箇所)頁。- 藤代幸一訳『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』法政大学出版局 1979年 176-178頁。

関連項目

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