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コーラス (ポピュラー音楽)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

コーラスは、合唱を意味する音楽用語である[1]ポピュラー音楽におけるコーラスとは、メイン・ヴォーカルに対比して用いられる言葉で、主旋律を歌う者に対して、その後ろで、補助的に歌を歌う、または、ハミング等で唱和することを言う。そのようなコーラスを担当する人物を称してコーラスと呼ぶことも多い。

また、ア・カペラのように、コーラス(合唱ないし重唱)を主体とする場合もあり、そのような場合には、メイン・ヴォーカルとバックグラウンド・ヴォーカルとを区別せずに、コーラスと呼ぶこともある。また、そのようなコーラスをするグループを、コーラス・グループやクワイア(本来は聖歌隊の意)という。

英語圏では主にバッキング・ボーカル: backing vocal)と称され、担当する人物をバッキング・ボーカリスト: backing vocalist[注釈 1]と呼ぶ。また、英語圏でコーラス(: chorus)は日本におけるサビ及びリフレイン形式を意味する。

日本のポピュラー音楽のコーラス

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日本のポピュラー音楽においては、1970年代初頭から、赤い鳥(のち、コーラスグループのハイ・ファイ・セットとデュオの紙ふうせんに分裂)、チューリップオフコースなど、コーラスを重視するグループが多く存在した。しかし、ソロ歌手では、スタジオ・ミュージシャンバックバンドとしてのコーラスがほとんど存在しなかったこともあり、荒井由実(ハイ・ファイ・セット、山下達郎吉田美奈子大貫妙子シンガーズスリータイムファイヴ伊集加代子などが参加)などの例外的なケースを除いて、1970年代末まで、コーラスを積極的に用いる例はあまりなく、コーラスを専門に行う主要なスタジオ・ミュージシャンとしては、山川恵津子、比山清(貴咏史)、木戸やすひろ(泰弘)、くらいしか登場しなかったが、この3名による混声コーラスはスタジオ界に旋風を巻き起こした。

このような状況を変えるきっかけともなったのは、1980年12月に山下達郎が発表した『ON THE STREET CORNER』であろう。これは、基本的に山下1人(吉田美奈子も1曲に参加)による、ア・カペラ・アルバムで、それまで、コンサートのために録りためていた作品をまとめたものであった。1980年には、シングル「Ride on Time」が大ヒットしており、この時期を逃したなら、二度とこのような特殊なアルバムを制作することなどかなわない(レコード会社が認めてくれない)と、本人の希望で急遽制作されたとも言われる。

1970年代から、自分の作品(レコード)に多重録音によって自分の声をのせるということはなされていた。しかし、フォークの例などでは、あまり質は高くなく、また、山下達郎、竹内まりや八神純子、合唱団の経験が長い山本達彦などの例は、質は高いが、数も少なく、全体から見れば、ごく例外的なものであった。

しかし、必ずしもこのアルバムがその唯一の理由とまではいえないが、1980年以降は、状況は大きく変わり、自分自身による多重コーラスは、当然のものとなっていった。そのようなアーティストとしては、杉真理安部恭弘EPO村田和人楠瀬誠志郎など、枚挙に暇がない。

1990年代を迎え、ビーイングの女性アーティストが、今日のJ-POPのような、多重コーラスも楽器の一環として扱うサウンド・メイキングにいち早く取り組み、完成度も高かった。90年代中盤より、大黒摩季宇徳敬子といった女性シンガーソングライターがコーラス・アレンジも自ら手がけ、なおかつ自身の声を多重録音する手法の基礎をJ-POPにおいて確立させた。今日では、アイドルアーティストの差別化の一環として、作詞作曲以外にも自身のコーラスが重視される傾向にもある。

バンド形式のアーティストの場合、先の場合のほか、他の担当(ギターベースなど)が兼任する場合も多い。

脚注

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注釈

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  1. ^ その他、backing singer、backup singer、background singer、harmony vocalistなど

出典

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関連項目

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