バズコックス
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(バズコから転送)
バズコックス Buzzcocks | |
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(2014年9月) | |
基本情報 | |
出身地 |
イングランド グレーター・マンチェスター州ボルトン |
ジャンル |
パンク・ロック ポップ・パンク ニューウェイヴ |
活動期間 |
1976年 - 1981年 1989年 - 現在 |
レーベル |
ユナイテッド・アーティスツ・レコード Castle Records キャロライン・レコード I.R.S. Records Go-Kart Records マージ・レコード チェリー・レッド・レコード クッキング・ヴァイナル True North Records PledgeMusic |
共同作業者 |
マガジン Flag of Convenience |
公式サイト | buzzcocks.com |
メンバー |
スティーヴ・ディグル ダニー・フェイラント クリス・レミントン |
旧メンバー |
ピート・シェリー ハワード・ディヴォート ほか別記参照 |
バズコックス(Buzzcocks)は、イングランド出身のパンク・ロックバンド。
1970年代のパンク/ニューウェイヴ・ムーヴメントから誕生したグループの一つ。英マンチェスター地域音楽シーンの草分け的存在として長らく活動していたが、象徴的メンバーであるピート・シェリーが2018年に亡くなっている。
概要
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
1976年、ロンドンでセックス・ピストルズのライブを観て感銘を受けたピート・シェリーとハワード・ディヴォートによって結成された。彼らは当時パンク・ロックの影響が及んでいなかった地元マンチェスターにピストルズを呼んでライブを行わせることを計画し、同年6月にこれを実現させた。観客はわずか42人であったが、その中には後にジョイ・ディヴィジョンを結成するバーナード・サムナーとピーター・フックや、ザ・スミスのモリッシーなど、後の音楽界を牽引する面々が含まれており、このライブはマンチェスターの音楽シーンを活性化させる契機となった。この経緯はパンクの標語である「DIY(Do It Yourself)精神」の体現として後進のバンドからリスペクトを受けている。なお、翌月に行われたピストルズによる二度目のマンチェスター公演ではバズコックス自身が前座を務め、これが彼らのデビュー・ライブになった。
バンドは1981年に一度解散。1989年に再結成して活動を続けていたが、2018年12月6日に創設者ピート・シェリーが心臓発作で死去した[1]。
John Maherの日本語表記について
[編集]- Maherの日本語(カタカナ)表記は一般的に「メイヤー」「メイハー」等だが、ザ・スミスの評伝「ザ・スミス・ストーリー 心に茨を持つ少年」(1988年9月・CBSソニー出版)には、メンバーのジョニー・マー (Johnny Marr)は本名がJohn Marrであり、当時のマンチェスターで既に有名人となっていたJohn Maherとは綴りが異なるものの発音が同じであるため芸名として「Johnny」をつけた、という記述がある。このことから原語での正確な発音は「ジョン・マー」であることがわかる。
メンバー
[編集]※2018年12月時点
現ラインナップ
[編集]- クリス・レミントン (Chris Remmington)
- ベース 【2008年 - 】
- ダニー・フェイラント (Danny Farrant)
- ドラムス 【2008年 - 】
-
スティーヴ・ディグル(G/Vo) 2013年
-
マイク・ウェッド(B) 2013年
-
ダニー・フェイラント(Ds) 2013年
旧メンバー
[編集]- ボーカル/ギター 【1976年 - 1981年、1989年 - 2018年】
- ソロとしても活動しており、代表曲としてHomosapien(1981年)、Telephone Operator(1983年リリースシングル。アメトーーク!のオープニングに起用。)などがある。
- 2018年12月6日、心臓発作で死去。
- ハワード・ディヴォート(Haward Devoto、1952年3月15日 - )
- ボーカル 【1976年 - 1977年、2012年】
- 脱退後マガジンを結成。
- ベース 【1976年、1977年】
- ドラムス 【1976年 - 1981年、1989年、1992年】
- ベース 【1977年 - 1981年、1989年 - 1992年】
- ドラムス 【1990年 - 1991年】
- 元ザ・スミス
- フィル・バーカー(Phil Barker)
- ドラムス 【1992年 - 2006年】
- ベース 【1992年 - 2008年】
ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- 『スパイラル・スクラッチ』- Spipal scratch(1977年)ハワード・ディヴォード在籍時のミニアルバム
- 『アナザー・ミュージック』 - Another Music in a Different Kitchen (1978年)
- 『ラヴ・バイツ』 - Love Bites (1978年)
- 『ア・ディファレント・カインド・オブ・テンション』 - A Different Kind of Tension (1979年)
- 『トレイド・テスト・トランスミッション』 - Trade Test Transmissions (1993年)
- 『オール・セット』 - All Set (1996年)
- Modern (1999年)
- 『バズコックス』 - Buzzcocks (2003年)
- 『フラット・パック・フィロソフィー』 - Flat-Pack Philosophy (2006年)
- The Way (2014年)
ライブ・アルバム
[編集]- 『レスト・ウィー・フォーゲット』 - Lest We Forget (1988年)
- 『ライヴ・バズコックス 1977』 - Live at the Roxy Club April '77 (1989年) ※『ライブ・アット・ロキシー』として再発あり
- Entertaining Friends (1992年)
- Encore du Pain (Live in Paris) (1995年)
- 30 (2008年)
コンピレーション・アルバム
[編集]- 『シングルズ・ゴーイング・ステディ』 - Singles Going Steady (1979年) ※日本のロックバンドGOING STEADYのバンド名の由来になっている
- Parts 1-3 (1981年)
- Total Pop (1987年)
- The Peel Sessions Album (1989年)
- The Fab Four (1989年)
- Product (1989年)
- 『ベスト』 - Operator's Manual: Buzzcocks Best (1991年)
- 『クロノロジー』 - Chronology (1997年)
- I Don't Mind The Buzzcocks (1997年)
- Time's Up (2000年)
- Ever Fallen in Love? Buzzcocks Finest (2002年)
- Inventory (2003年)
- The Complete Singles Anthology (2004年)
脚注
[編集]- ^ “パンクロックの先駆者、バズコックスのピート・シェリーが死去”. Rolling Stone Japan (2018年12月7日). 2018年12月7日閲覧。