ハンガリー臨時国民政府
ハンガリー臨時国民政府(ハンガリーりんじこくみんせいふ、ハンガリー語: Ideiglenes Nemzeti Kormány)は、1944年12月22日にソビエト連邦占領地域のデブレツェンで成立したハンガリー王国の臨時政府。後のハンガリー第二共和国の前身となった。
概要
[編集]1944年10月のパンツァーファウスト作戦により矢十字党の国民統一政府が成立し、ホルティ・ミクローシュのハンガリー王国政府は崩壊した。
12月2日にはセゲドにおいて諸政党が連合したハンガリー国民独立戦線が成立し、12月21日には臨時国民議会がデブレツェンで結成され、翌12月22日には臨時政府が成立した。首班である首相は陸軍大将のダールノキ・ミクローシュ・ベーラが勤めた。臨時政府はドイツとの諸条約を破棄し、1945年1月にはドイツに宣戦を布告し、ソ連との休戦が成立した[1]。
ブダペストの戦いの後の1945年4月に臨時政府はブダペストに移った[2]。5月にはブダペスト以西で予備選挙が行われ、ハンガリー共産党が第一党となった[1]。11月には「ソ連占領下では稀に見る民主的な選挙」と評された選挙が行われた。独立小農業者党は75%の票を集めて第一党となり[3]、選挙前からの協定に従ってハンガリー共産党など4党と連立政権を組んだ[1]。ティルディ・ゾルターンが首相となり[1]、臨時政府はその役割を終えた[1]。
1946年2月にはハンガリーが共和国であると宣言する小憲法(国家組織法)が制定された[4]。当時ソ連はハンガリーにおける影響力拡大を重視しておらず、小農業者党も英米と強いパイプを持っていた[5]。一方で共産党の影響力は弱かったが、1947年以降他党の影響力を削減し(サラミ戦術)、社会主義政権への道を歩むこととなる[5]。
閣僚構成
[編集]名前 | 就任 | 終了 | 党派 | |
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首相 | ||||
ダールノキ・ミクローシュ・ベーラ | 1944年12月22日 | 1945年11月15日 | ||
エルディ・フェレンツ | 1944年12月22日 | 1945年11月15日 | ||
ナジ・イムレ | 1944年12月22日 | 1945年11月15日 | ||
ヴェレシュ・ヤーノシュ | 1944年12月22日 | 1945年11月15日 | ||
ヴァレンティニイ・アゴシュトン | 1944年12月22日 | 1945年1月21日 | ||
ライズ・イシュトヴァーン | 1945年1月21日 | 1945年11月15日 | ||
タカーチ・フェレンツ | 1944年12月22日 | 1945年1月 | ||
バーン・アンタル | 1945年1月 | 1945年11月15日 | ||
ガボル・ヨージェフ | 1944年12月22日 | 1945年5月11日 | ||
ゲレー・エルネー | 1945年5月11日 | 1945年11月15日 | ||
ファラゴ・ガボル | 1944年12月22日 | 1945年1月21日 | ||
ロナーイ・サーンドル | 1945年1月21日 | 1945年11月15日 | ||
ジェンジェシ・ヤーノシュ | 1944年12月22日 | 1945年11月15日 | ||
モルナール・エーリク | 1944年12月22日 | 1945年11月15日 | ||
ヴァサリー・イシュトヴァーン | 1944年12月22日 | 1945年1月21日 | ||
オルトバニャイ・イムレ | 1945年1月21日 | 1945年11月15日 | ||
ナジ・フェレンツ | 1945年5月11日 | 1945年11月15日 | ||
テレキ・ゲーザ | 1944年12月22日 | 1945年11月15日 |
脚注
[編集]- ^ a b c d e 鹿島正裕 1974, p. 56.
- ^ 水島朝穂 & 佐藤史人 2013, p. 48.
- ^ 羽場久浘子 1998, p. 27.
- ^ 水島朝穂 & 佐藤史人 2013, p. 48-49.
- ^ a b 羽場久浘子 1998, p. 28-34.
参考文献
[編集]- 羽場久浘子「東欧と冷戦の起源再考 : ハンガリーの転機 : 一九四五〜一九四九」『社會勞働研究』45(2)、法政大学、1998年、1-56頁、NAID 110000184615。
- 水島朝穂、佐藤史人「試練に立つ立憲主義? : 2011年ハンガリー新憲法の「衝撃」(1)」『比較法学』第46巻第3号、早稲田大学、2013年、39-83頁。
- 鹿島正裕「ハンガリーの改革の意味するもの : 社会主義の歴史的理解のために」『アジア経済』第15号、アジア経済研究所、1974年、pp.52-66、NAID 120000807066。