ノート:精神疾患の診断・統計マニュアル/過去ログ1
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中立性についてのお願い
DSMは操作的診断基準の象徴であるためか、いわゆる反精神医学の方々の攻撃対象になっており、本項目においてもそのような観点からの中立性を欠いた編集が後を絶ちません。
DSMについて多角的な視点からの議論があることは確かですが、まずDSMの肯定的側面として、医師の主観的判断に依存していた時代の精神医学と比べ、操作的診断基準によって
診断の客観性が増し、統計的に扱うことが容易になったということがあります。WHOのICDも操作的診断基準です。
精神障害の存在を認め、それを分類しているのはWHOのICDにおいても同様であり、DSMに限られたことではありませんので、DSMのみを攻撃対象とすることは公平ではありません。
日本にはICDを診断基準に用いている医療機関は少なくありませんし、行政においてはICDが用いられています。それから、ICDには、最新の精神医学に追い付いていない点があり、
この点に関してはDSMのほうにアドバンテージがあります。DSMが障害の診断において「臨床的に著しい苦痛または、社会的・職業的、または他の重要な領域における機能の障害を
引き起こしている」ことを条件にしている点においても、DSMのほうがICDより診断基準としては厳格であるとも言えるかもしれませんね。
精神障害そのものが存在しないという極端な記述をする方もいらっしゃいますが、そのような論争はかなり過去のものであって、現在では、神経科学や分子生物学の進歩によって、
精神障害の存在そのものが議論されるということは、あまりありません。反精神医学の方が引用する文献は、それ以前の時代のものや、進歩を反映していないものが多いようです。
そもそも、そのような記述は、(単なる診断基準にすぎない)DSMの項目とは関係が乏しいです。
ちなみに、Momonga365さんによる編集には有益な箇所もあったとは思いますが、勝手ながら、とりあえず過去の版に差し戻させて頂きました。当面の対応としてご容赦くださいね。
--Kamchatka(会話) 2014年2月13日 (木) 00:54 (UTC)
- コメント Kamchatkaさんが仰る中立性は、ウィキペディアにおける中立性(Wikipedia:中立的な観点)と少し異なるように感じられます。偏っていると思われるのであれば、記述を修正するか、他方の意見を併記すれば良いのではないでしょうか? 「議論」という「対立意見の節」にまとめて記載されており、その点でも中立性に問題はないかと存じます。
- そもそも精神障害の「存在」に関して記述する必然性は乏しい、というご意見については、最初に「存在」について言及されたのはご自身です。この投稿[1]における「存在」とはどのような意味なのでしょうか? 除去された記述では「原因」が不明なだけで、精神障害の診断基準を満たす「症状」が存在しないとは述べていません。もし「原因」が判明しているという意味で「存在」するとお考えなら、まずはWikipedia:検証可能性を満たす出典をご提示ください。--Momonga365(会話) 2014年2月13日 (木) 07:04 (UTC)
- まあ、そう感情的にならないで下さい。一部の反精神医学の方の編集は、wikipediaにおける中立性の原則のうち幾つか、すなわち、「深刻な論争がある主張を事実として記さない」
- 「判断を下さない」「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す」等にしばしば反しているように思われます。中立性を達成するために、偏りの無い言い回しをするべき(=支持者らによる実況行為をしない)なんですね。
- それから、繰り返しになりますが、この項目において、DSMというよりも精神医学一般への攻撃をなされる方が少なくないように思われます。それはDSMの項目に記述することではないんですね。
- なお、苦痛をもたらす症状が自明であるのに、原因について未詳の部分が残っているというだけで、なぜ「精神障害が存在しない」という飛躍した結論になるのか、失礼ながらよく分かりませんが…。
- --Kamchatka(会話) 2014年2月13日 (木) 11:03 (UTC)
- コメント 診断基準を満たす症状を有する人は存在するという意味で精神障害は存在しますが、DSM-IVの「精神障害の定義」では精神障害を「臨床的に有意な行動」「心理的症候群」「様式」と定義しており、「身体疾患」とは定義していません。「身体疾患」として存在するといったニュアンスを含ませる場合は、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せないを考慮する必要があるかと存じます。出典を明記した上で、「身体疾患の可能性を示唆する研究もある」とでも記述すれば良いのではないでしょうか。
- Wikipedia:中立的な観点の「深刻な論争がある主張を事実として記さない。」については、「もしその主張について異なる信頼できる出典間で衝突があるのなら、その主張については事実ではなく意見として扱」うべきだと記載されていますが、Kamchatkaさんは出典を何も提示されておらず、出典間で衝突があること自体が示されていません。また、除去された記述[2]では「○○は××と述べている」という形で意見として扱われています。「判断を下さない表現が好まれます。」については、申し訳ございませんが、何を仰りたいのかいまいち分かりません。「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す。」については、Kamchatkaさんは勢力差を示す出典を何も提示されていません。また、何の勢力差のことなのかよく分かりません。
- 検証可能性を満たさない意見はウィキペディアでは独自研究と考えられています。まずはご自身の意見を裏付ける出典をご提示ください。また、仮に偏りがあったとしても、Wikipedia:中立的な観点/FAQ#偏った意見を削除して良いかで説明されているように、直ちに削除する理由としては不十分かと存じます。他の記事に記述したほうが相応しいと思われる場合は、Wikipedia:ページの分割と統合#項目一部転記に則って転記することもできます。
- なお、差し戻しをする場合は、差し戻し「前」にノートページで議論をするべきだとWikipedia:礼儀を忘れない#ウィキペディア内で無礼が起こらないようにするにはで定められています。ご理解頂ければ幸いです。--Momonga365(会話) 2014年2月16日 (日) 23:49 (UTC)
- コメント 仮に"mental disorder"が身体疾患でなかったとして、何故そこから「精神障害が存在しない」という命題が導かれるのですか。もしかして精神障害は脳の疾患ではないと
- 仰りたいんでしょうか…?DSMは脳の状態から直接に診断しないというだけでしょう。精神障害が脳の生物学的な状態と関係しない等と考えている精神科医および研究者がどの程度
- いるのでしょうか…?未詳の部分が残っているだけではないでしょうか。例えば、DSMはアルツハイマー病の診断にも用いられていますが、原因が完全に分かっていないことを理由に
- アルツハイマー病の生物学的な存在を否定することはあり得ない話ですね。これは最も分かりやすい例です。DSMはアメリカの精神医学会における現時点での一定の合意なのであり、
- それにより一定の主流性があると言えます。DSMの否定というのはサイエンスの世界において現時点での主流とは言えないのですね。繰り返しになりますが、WHOのICDもDSMと同じ
- 操作的診断基準なのですよ。そのような理由でDSMを否定することはICDの否定と同じであり、世界の精神医学会の主流に対して敵対的と言えるかもしれませんね。なお、項目の方向性
- そのものを変えるような大胆な編集が行われた場合には、緊急の措置としての差し戻しも仕方が無いと思いますよ。そうした編集こそノートで事前に了解を得たほうが良いと考えます。
- --Kamchatka(会話) 2014年2月17日 (月) 18:35 (UTC)
- コメント DSM-IVでは「精神」「身体」の区別を意味する「精神障害」という語弊のある用語について、代替案がないため、仕方なく使用していると説明しています。どうも「精神」「身体」を区別して考えておられるようですが、DSM-IVでは両者を区別して考えるべきではないと述べています。「身体疾患」とは定義されていませんが、「精神障害」も身体的・生物学的な因子・プロセスと無関係ではありません。反対に、「身体疾患」も行動的・心理社会的な因子・プロセスと無関係ではありません。
- 「アルツハイマー病」については、英語名「Alzheimer's disease」が示すように、障害(disorder)ではなく、疾患(disease)です。ICD-10では「精神及び行動の障害」「神経系の疾患」の両方に分類されています。DSM-IVにおける位置付けは身体疾患に伴う精神症状です。現在は精神科、神経内科の両方で扱いますが、さらに研究が進み、精神科で精神症状を診る必要がなくなれば、一覧から除外されることになるかと存じます。申し訳ございませんが、身体疾患に伴う精神症状を挙げて、精神障害は存在すると仰る意図がよく分かりません。精神障害と呼ばれる症状の中に身体疾患に伴う精神症状が隠れている可能性については、否定するつもりはありません。ただし、精神障害の存在が証明されるというより、身体疾患に伴う精神症状だったことが証明されるだけかと存じます。精神科は身体疾患を扱う科ではないため、他科の病気として再分類されることになるかと存じます。
- DSM-IVには研究動向を紹介・評価する「関連する検査所見」という項目がありますが、身体疾患に伴う精神症状などを除いて、診断に役立つ検査所見はないとの評価が並んでいます。例えば、代表的な障害の「統合失調症」には複数の検査所見がありますが、いずれも診断に役立つ検査所見ではないと評価されています。また、検査所見自体がない障害も多数あります。除去された記述[3]は主に「関連する検査所見」「有病率」に関するものですが、DSM-IVにも「関連する検査所見」「有病率」という項目があり、方向性も同様かと存じます。
- なお、個人的な考えではなく、ウィキペディアの方針とガイドラインに従って行動してください。--Momonga365(会話) 2014年2月20日 (木) 00:31 (UTC)
- コメントアルツハイマー病は例ですから、ここで申し上げたいことは、現在では、精神障害が脳の生物学的な状態と関係することを否定している研究者および精神科医はほとんどいないということです。
- あくまでも機序、メカニズムに関してよく分かっていない部分が残っているだけということですね。Momonga365さんが「精神障害は身体的、生物学的な要因と無関係ではない」とまで認めていらっしゃるのであれば、
- それは「精神障害が生物学的に存在する」ということと同義ではないかと思います。DSM等の操作的診断基準は、脳の状態から直接に診断しないというだけですね。
- --Kamchatka(会話) 2014年2月20日 (木) 09:08 (UTC)
- コメント追記になりますが、精神障害が脳機能の障害であることに関しては、自分から申し上げるより、一線級の研究者が編集している脳科学辞典の記述のほうが説得的ではないかと思います。
1970年代以降の脳画像技術の進歩により、精神障害の背景にある神経回路の機能障害が明らかにされつつあり、例えば、不安障害患者では、扁桃体の過剰賦活がみられ、外傷後ストレス障害では、それに加えて、内側前頭皮質の低活性が認められる。うつ病関連では、ストレスと視床下部-下垂体-副腎皮質系の機能亢進との関係やその持続が脳に及ぼす影響が示されている。また、大うつ病患者では、血清の脳由来神経栄養因子が低下している。統合失調症の患者群では、前頭前野-側頭-辺縁系に軽度の体積減少があり、その変化は、発症前後の数年間に進行する。生化学的には、GABAニューロン上のグルタミン酸受容体の低活性仮説が有力である。 — 脳科学辞典、生物学的精神医学
- コメント 各障害は症状によって分類されていますが、単一の病気なのか、よく言われるような複数の病気の集合体なのかも分かっておりません。同じ障害でも様々な原因が考えられます。調査対象の患者群の一部にしか異常が見られなかったり、健常者群の一部に同じ異常が見られることもあります。他の研究者が追試で再現できないことも往々にして起こります。「可能性がある」「示唆している」といういつもの話かと存じます。また、仮に一部の障害で進展があっても、300種類以上の障害があります。全体として見れば、ほとんど原因が分からないことに変わりないかと存じます。
- 病気の原因や症状を特定できるといった意味を持つ疾患(disease)という用語は論争の的になります。引用された文献[4]でも「脳機能の障害」と記述していますが、障害(disorder)と記述する分には大きな問題は生じないかと存じます。「生物学的精神医学では脳機能の障害と考えられている」とでも記述すれば良いのではないでしょうか。なお、DSM-IVでは「精神」「身体」を区別して考えるべきではないと述べていますが、かといって「精神の障害」を「身体の障害」の範疇に入れることはしておりません。--Momonga365(会話) 2014年2月24日 (月) 04:36 (UTC)
- コメントdiseaseとdisorderの違いは器質性の有無ではありません。disorderは行動障害により特徴づけられているだけです。脳画像研究等の進歩により、mental disorderには、基本的に器質性すなわち脳機能の障害が認められるようになりました。引用元の辞典で触れられていますが、1994年にDSM-IVから「器質性精神障害」という名称が消えたのは、他の精神障害に生物学的な基礎が無いかのような誤解を避けるためです。20年前において既にそのような認識が学会では共有されていたのですね。引用元にあるように、現在の精神医学では、mental disorderを脳機能の障害と見なすこと、すなわち生物学的精神医学がベース、生物医学的基盤となっています(300種あると言っても亜種が殆どです)。精神障害の生物学的な有無を問う議論は存在しません。これは「勢力差」というレベルではありません。仮にそのような特殊な議論があるならば、まず現在の精神医学会においてどのような立場が多数派であるか―DSM自体が多数派の共通言語ですが―を明記した上で、誰がどの査読付き学術雑誌でそのような挑発的な議論をしているのか、慎重に記述しなければなりません。精神障害が医師によって政治的に作られた陰謀である等という立場が、学会の多数派と同等であるかのような記述は許されません。ホロコーストの項目にホロコースト否定論を記述する必要が無いのと同じことです。(そもそもDSMの項目は精神障害一般について解説する場ではないのですが。)Kamchatka改め--まとりょーしか(会話) 2014年2月24日 (月) 12:58 (UTC)
- コメント 精神は身体から生じるから精神障害は存在するといった程度の話なら議論は不要かと存じます。精神の働きが脳の活動なしに存在すると信じる人がどれ程いるのでしょうか?
- 引用された文献[5]は、器質性精神障害以外の障害にも生物学的基礎が発見される可能性がある、と解説しており、原因を特定できているとは述べていないかと存じます。「生物学的に存在する」という記述は原因を特定できているかのような印象を伴うため、表現に注意する必要があるかと存じます。
- なお、ご自身の「精神障害の診断と統計の手引き」における投稿は基本的に出典が明記されていないため、Wikipedia:検証可能性#方針に則って誰でも取り除くことができる、とお伝えしておきます(出典のない記述の場合、除去されても文句を言うことはできません)。--Momonga365(会話) 2014年2月28日 (金) 09:38 (UTC)
- コメント「精神障害一般に生物学的基礎が発見される『可能性がある』」と言われていたのは20年前の話です。 20年前ですら精神障害の器質性は特殊的なものとは見なされていなかったというだけです。太字で「20年前」と強調したのはそのためです。既に代表的な精神障害の例を挙げて引用しましたように、精神障害一般に生物学的基礎があることは、今日では議論の対象ではなく、factであり、evidenceであり、現在の精神医学の生物医学的基盤です。精神障害は、脳画像の物理的変化として客観的に観察されるものであり、ときには血清などの生化学的な変化も認められるものです。精神障害の機序に関する議論が存在するのみであり、仮に環境要因があったとしても、精神障害が脳機能の障害であることを否定する議論はありません。もしあるとすれば、未だにフロイトやラカンを大真面目に信じている僅かな人たちの間ぐらいでは…?彼らもさすがに生物学的精神医学を全否定するほど疑似科学的ではないと信じますが。精神障害は脳機能の障害として生物学的に存在します。そうした研究者の共通理解に反する見解の紹介は、例えば「反精神医学」という項目を作成し、そこで記述すべき問題です。ホロコースト否定論は、「ホロコースト」の項目とは別に「ホロコースト否認」の項目があります。また、人類月着陸の捏造説も、「アポロ計画」の記事とは別に「アポロ計画陰謀論」の記事があります。精神障害否定論もそのように扱わなければなりません。そもそも、DSMの項目は、精神障害一般に関して記述する項目ではありません。ちなみに、なぜ唐突に自分の編集に関する話題をお出しになられたのかは存じませんが、その記述は当項目の「障害概念」の節に関してそのまま述べただけですので、もしそれが著しく疑わしく不適切と仰るのであれば、「障害概念」の節ごと「要出典」とするか、または、その節ごと削除して頂いても別に構いません。また、ただ出典があれば記述して良いというものでもありませんし、記述する場合にも原則に従わなければなりません。繰り返しになりますが、「反精神医学」(仮)という項目の作成をご検討して頂ければ幸いです。自分が作っても良いのですが、残念ながら手元に適切な出典がありません。--まとりょーしか(会話) 2014年3月4日 (火) 16:22 (UTC)
- 情報 追記になりますが、いま検索したところ、「反精神医学」の項目は既にあるようです。こちらは英語版の記事と比較して解説が著しく少ないので、Momonga365さんが加筆なされるか、英語版を翻訳なされることをお勧めします。もし「反精神医学」というスタンスを多くの人に詳らかに認知してほしいということであれば、そちらのほうが有効であり、Wikipedia全体、ひいては社会全体としても有益ではないかと思います。--まとりょーしか(会話) 2014年3月4日 (火) 16:38 (UTC)
- コメント ホロコーストの記事にもホロコースト否認論の節がありますが?
- DSM-IV自体にある「関連する検査所見」「有病率」がDSMの記事に記述すべきでない「精神医学一般」「精神障害一般」に該当するなら、ご自身の投稿もDSMの記事に記述すべきでない「精神医学一般」「精神障害一般」に該当するかと存じます。また、ご自身の場合は[6]のように出典の明記も拒んでおられます。一般的な事なら出典の明記は容易ではないでしょうか? 引用された文献[7]を出典の一つとして明記することもできるかと存じます。
- 編集合戦になりそうなので、記述の復帰は一部にとどめるつもりですが、さしあたって、[8]の編集でローレン・モシャー博士の意見に関する出典を除去した理由をご説明ください。--Momonga365(会話) 2014年3月10日 (月) 06:12 (UTC)
- コメント再三申し上げておりますように、精神障害が脳機能の障害であることを否定する議論は無く、存在するのはメカニズムをめぐる議論だけです。そのようなコンセンサスに挑戦的な記述をする場合、複数の査読付き論文か、それらを引用した専門書の複数の出典、しかも最新のものが望ましい。また、前述のように急速に進歩した精神医学の世界で、20年近く前の見解は非常に古いです。それだけでなく、それが学会内でどの程度の勢力、支持があるかに関しても言及しなけれはならない。DSMは米国の精神医学会における主流派の現時点での共通認識なんです。まずその前提から編集されるべきです。項目全体をDSM否定を前提に編集することが認められないというだけです。ただ単に、元○○の☓☓が△△と言った〜では、根拠としては薄弱です。そもそも、これもまた繰り返しになりますが、ホロコーストの項目にホロコースト否定論の章がある――まあ確かにこれはホロコーストに関する記述と言えなくもない。しかし、DSMの項目で精神医学一般、すなわち反精神医学のアジテーションを行うことは認められません。 DSMへの批判の章でDSMへの批判を紹介することは良いでしょう。もっとも、ただ批判なら何でも良いという訳でなく、『トンデモ陰謀大全』のような信用性の低い出典に基づくべきでない。ちなみに、モシャーは統合失調症の薬物療法を否定している先生ですから、学会のほとんどの研究者とは完全に乖離しています。研究者の評価は常に変動しており、現在において全体の中でいかなる位置にいる人なのかを明記すべきです。また、記述の復帰というのはどの部分を念頭に置いてらっしゃるのかは存じませんが、たしかに有益な記述はあると思いますので、その部分は事前に提示して頂くと嬉しいです。--まとりょーしか(会話) 2014年3月12日 (水) 19:39 (UTC)
- コメント Wikipedia:検証可能性には「検証可能性とは…読者にも検証可能にするということです。編集者が独自に検証できるからといって、それは(一般的な)検証可能性を満たしたことにはなりません」と記載されています。引用された文献[9]を出典の一つとして明記すれば、読者も検証可能になります。読者に検証されると不都合なことが何かあるのでしょうか?
- また、出典を除去した理由をはぐらかさずにお答えください。もし出典のない記述にして信用に値しない情報だと印象付けたかったのであれば、荒らし行為に該当するかと存じます。返答如何によってはWikipedia:荒らしに則って会話ページに警告を入れさせて頂きます。
- なお、『トンデモ陰謀大全』を出典とした投稿[10]は私の投稿ではありません。--Momonga365(会話) 2014年3月21日 (金) 01:28 (UTC)
- コメントMomonga365さんは、具体的にどの箇所の編集に対してご不満なのでしょうか?お示し頂くと有り難いです。あくまでも緊急措置として差し戻しましたので、中には編集する必要のない記述もあったかもしれません。ちなみに、陰謀大全の件は失礼しました。--まとりょーしか(会話) 2014年3月23日 (日) 08:23 (UTC)
- コメント 一時的な措置の場合、通常は記事にTemplate:観点を貼り、差し戻しはしません。Template:観点の存在をご存知でなかったとしても、問題があると思われる記述だけを除去すれば良い話です。「編集する必要のない記述」を一緒に除去する正当な理由はないかと存じます。まずは「編集する必要のない記述」とお考えのものをご自身の手で復帰させてください。個々の判断が難しい時は全文復帰の上でTemplate:観点を貼られても良いかと存じます。--Momonga365(会話) 2014年3月31日 (月) 00:35 (UTC)
- コメント私めを編集者として信頼して下さってありがとうございます。いくつかの原則にしたがって項目を編集いたしました(いわゆる大胆な編集の類に入るかもしれませんが…)。(i)DSMへの批判はDSMの章にまとめる。 (ii)「精神医学一般」および「操作的診断基準 一般」への批判は記載しない。(iii)最新の(生物学的精神医学の)知見を反映していない10年前後かそれ以前の古い出典に基づかない。 これらの原則に則って編集(主にコメントアウト)した版を、とりあえず暫定版といたしました。たしかに、Momonga365さんの仰る通り、荒らしでもないケースでの差し戻しは、荒っぽい点があったかもしれず、その点に関しては反省が必要かもしれないなと思っています。その予期せぬ副産物として、こうしてノートで合意に向けて対話させて頂いたことには、感謝いたしております。--まとりょーしか(会話) 2014年4月4日 (金) 03:09 (UTC)
- コメント 折角編集して頂いたところ申し訳ございませんが、差し戻しと加筆・修正を行う時は手順を踏む必要があります(Help:以前の版にページを戻す方法#差し戻し)。ご自身の編集は要約欄の記入に不備があり、また、差し戻しと加筆・修正が同時に行われています。「2014年2月13日 (木) 00:59 (UTC)」の変更も反映されておらず、差し戻しが正常に行われたとは言い難い状態です。さしあたって、一旦私のほうで差し戻しを行い、その後、再度加筆・修正して頂くという形を取りたいと思いますが、よろしいでしょうか?--Momonga365(会話) 2014年4月13日 (日) 00:56 (UTC)
- コメントWikipediaにて推奨されている手順にしたがって頂いて結構です。何分不慣れなもので…。わざわざご確認をお取り下さってありがとうございます。編集するポジションにおける若干の相違はともかく、Monong365さんには、協調性のある編集者さんであるとの印象を覚えます。(このようなセンシティブな話題を取り扱っているにもかかわらず…)--まとりょーしか(会話) 2014年4月14日 (月) 15:57 (UTC)
- 記事導入部の解釈について
- 導入部まで、独自ルールを持ち出して一部白紙化を行っておられます。
導入部(定義と概要)は記事全体の前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。
— [[User:Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)]]- 記事の導入部の解釈が誤っておられます。記事導入部と記事本文との重複が認められないということはなく、逆に完結的に記事の内容を示すということですので、重複は避けられません。
- Wikipediaにおける中立性(Wikipedia:中立的な観点)
- 中立的な観点とは、肯定派・反対派の意見を両方説明するということです。いついつの肯定派の誰々によればAという指摘であり、最近の肯定派の誰々はAとは少し議論を進展させBという指摘を行っている。といった具合に、多様な観点を検証可能な形で出典を挙げて、中立的に肯定意見も反対意見も示すことです。現在、Wikipediaの方針等を度外視して行われている一部白紙化等は、反精神医学による反対意見は載せてはいけないという独自ルールに基づいております。
- 反精神医学の攻撃対象であるという主張
- 反精神医学という抽象的な概念を用いて白紙化を行っておられます。DSMの編集者やアメリカ精神衛生研究所といった、主流の医学者からの現時点での批判であって、議論がずれています。一部白紙化などを行うよりは、それらが反精神医学の運動であるという出典を追加し、記事が中立的になるようにしてください。
- DSMは、神経化学や分子生物学に基づいたものではないです。
- DSMは症候学が診断基準であって、神経化学的な計測等ではありませんので、その部分に関するDSMへの批判は問題がないかと思われます。逆に、DSMが神経化学や分子生物学、脳の障害に基づいたものであるという主張を補強するような出典が御座いましたら、それを用いて中立的に記述すべきです。DSMはそうではないので、DSMにおけるmental disorderという状態が、何らかの客観的な生物学的な指標に基づいたものではなく、仮の評定基準であるという意見があるということです。DSMは脳における状態を診断基準としていないです。現在、脳科学的に精神障害が存在するという精神障害における生物学的精神医学の主張をDSMの記事へと飛躍させて、症候学に基づくDSMの説明を一部白紙化しておられます。本来、精神障害の記事で行うべき議論です。それから科学的な、生物学的精神医学とか脳機能の障害の立場をとるとして批判の記述を削除しておりますが、DSMはこれらに基づいた診断を下すものではないという、科学・生物学的精神医学側からの記述を削除しており、言動が矛盾しております。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月19日 (土) 08:01 (UTC)
- コメント 結論から申し上げるならば、単なる百科事典として不適切な記述のコメントアウトは白紙化ではないです。私めのコメントアウトには妥当かつ一貫した基準があります。記事の現状を見れば明白であるように、単なるDSMに対する批判まではコメントアウトしておりません。一時的なコメントアウトという措置を取らせて頂いておりますものは、まず第一に、「精神医学一般への批判」であり、これはDSMの記事に書くべき内容ではありません。第二に、前世紀のものなど「出典の古すぎる記述」であり、これは現状の精神医学の急速な変化に基いていない。他の記事でもそうですが、サイエンスに関する項目は、可能な限り、常に最新の出典に基づかなければなりません。第三に、「出典を借りた感情的、個人的なスピーチ」であり、これもコメントアウトの対象として妥当ではないでしょうか。いずれもWikipediaの原則に基づくか、または矛盾していないはずなのですが、如何でしょう。一応は「出典つきの記述」ではあるので、「削除」ではなく、「コメントアウト」という形で、いつでも復活できるよう留保いたしております。コメントアウトからの解除をお求めなさるなら、百科事典の記事の記述として妥当な内容に改めてください。それならばコメントアウトという形で留保する理由はありません。ちなみに、冒頭文については、当のスタイルマニュアルを読めば明らかですが、概要文は(著名な論争の存在を含め)記事の要点を示すところです。批判文そのものや、記事全体の説明にならない文章を載せるところではありません。また、論点の一方側だけを書くべきでもありません。そもそも、この項目は、ノートにおける合意によって差し戻しが決まっています。Wikipediaでは、ノートを無視した編集は、それ自体が問題と見なされるはずだったのではないでしょうか。--まとりょーしか(会話) 2014年4月20日 (日) 04:16 (UTC)
- あなたのコメントアウトの理由は、一貫したWikipediaのルールに則ったものではなく、一貫したあなたの考える独自ルールに則ったものです。
- Wikipediaにおける中立性(Wikipedia:中立的な観点)とは肯定派反対派の両意見を載せるということです。
- 百科事典の記事として妥当な内容は、Wikipedia:中立的な観点にて肯定意見/否定意見の両意見を、Wikipedia:信頼できる情報源を提示して検証可能な形で載せるということであり、これは満たされております。あなたの編集はこれを度外視して、否定意見をコメントアウトするという行為になっていますので、Momonga365氏も含めてWikipediaの方針やガイドラインを考慮するよう対話を行っている次第です。古い出典から記述してはいけないという方針やガイドラインも存在しません。
- 「スタイルマニュアルを読めば、冒頭文には批判文そのものを載せるところではないことが明らかである」との主張ですが、そのような解釈が明らかにできるような説明は見当たりません。これもあなたの独自ルールです。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月20日 (日) 05:07 (UTC)
- コメント「中立的な観点」と仰るなら、「敵陣」の立場についても(勢力差も含め)客観的に記述しないと駄目なはずなんですがね…。また、「こちら」にあるように、概要文は(著名な論争の存在を含め)記事の要点を示すところです。概要文は記事全体の簡略版です。あまつさえ、問題になっている記述は、概要節にも含まれない導入部だったはずです。それに、古い出典でも構わないと仰いますが、例えば計算機科学に関する項目で20年前の情報を載せることは望ましくないでしょう。サイエンスの記事は可能な限り新しい出典に基いていることが「正確さ」から望ましい(参照:Wikipedia:信頼できる情報源#概要)。また、「科学では一般向けの出版物からの引用を避ける」というルールもあります。そして、「DSMの項目に精神医学一般への批判は載せない」という点についてはマーダーさんも合意して頂けたのではないかと思います。ちなみに、ノートでの合意により、この項目は一旦差し戻される予定であるので、それは絶対に踏まえて頂きたいと思っています。--まとりょーしか(会話) 2014年4月20日 (日) 06:57 (UTC)
- 私はMomonga365氏の記述を差し戻していません。Momonga365氏の記述箇所が差し戻されるという、あなたとMomonga365氏との合意には私は関与していません。Wikipediaのルールに従っているだけです。あなたがご自身で、不慣れなので否定的な意見の記述分の差し戻しをMomonga365氏に任せると言っています。否定的な意見の記述を戻してくださいとも言っているということですよね。その間に他に編集してはいけないというのはあなたの独自ルールです。
- DSMの項目に精神医学一般への批判を載せないことは確かですが、DSMは精神医学における道具なのでDSMを介した精神医学の批判が生じてもなんらおかしくはないです。
- 科学の記事は最新の出典に基づくことが正確性において望ましいと言うのは、あなたの独自ルールです。今書かれているのが古い出典であって新しい見解があるという主張であるならば、あなたは妨害をするのではなくて、出典を用いて記述するんです。何一つ出典を示していない独自研究に基づいて、独自ルールで記述の削除を行うというのは、Wikipediaの中立性・検証可能性といった諸々のルールに反しています。記述できないように2か月以上妨害しており、Momonga365氏のいうように荒らし行為的な妨害かと感じます。そしてDSMが最新の科学を反映していないという記述を削除しています。当方としては、科学に基づくべきというあなたが何を行っているのか理解しかねます。DSMが神経科学に基づくという出典をご存知でしたら記述してください。DSMは症候学的なのでそのような出典を私は存じません。もちろんあなたが書き込む間に、他の方が編集してはいけないというルールは存在しません。
- あなたは導入部において、「[編者注: DSMへの批判は、どのようなものであっても、「批判」の節にまとめて記述してください。]」という独自ルールを書き込んで妨害しているため、このような独自ルールは導入部に完結的に内容を示すというWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に反しますという対話を行っているところです。あなたは導入部に「著名な論争を含める」といった文字通りの解釈をなさっていますが、この解釈に反してなぜ削除するのか理解しかねます。
- 今一度ガイドラインや方針をよくお読みください。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月20日 (日) 12:39 (UTC)
- (マーダーさんの主張) 私はMomonga365氏の記述を差し戻していません。
- (私めの主張) そういう事ではなくて、Momong365さんによる差し戻しと、その後に私めが編集すること。それがノートでの私たちの合意であり、その合意を無視した加筆は、一連のプロセスが済むまで控えて下さい。少なくともノートで了承は取って頂きたいと思います。
- (マーダーさんの主張) 科学の記事は最新の出典に基づくことが正確性において望ましいと言うのは、あなたの独自ルールです。
- (私めの主張) Wikipediaでは、正確性に疑問がある記事は問題であるとされています。サイエンスの領域では急速な進歩に伴って、新発見があったり、それまでの定説が覆ったり、論者のスタンスが変わることもあります。したがって、サイエンスに関する項目において、古すぎる情報には正確さ(参照: Wikipedia:信頼できる情報源#概要)という観点から疑問が持たれます。この場合、古い出典を引用するのは、例えば学説史など特殊な場合です。また、Wikipediaでは、同様の理由から、科学分野の場合、論文でも専門書でもない、(マーダーさんの引用なされたような)「一般向け出版物」からの引用は避けることになっています。
- (マーダーさんの主張) 導入部に完結的に内容を示すというWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に反します
- (私めの主張) 導入部は特定の立場からの主張そのもの(まして反対する立場の主張を無視した)を書くところではありません。論争があるならば、概要節が既にある場合、論争の要点は概要節に簡潔に書かれます。マーダーさんが当該の書き込みを行われたのは、概要節ですらない導入部です。
- (マーダーさんの主張) Wikipediaの中立性・検証可能性といった諸々のルールに反しています。
- (私めの主張) まず、Wikipediaにおける「中立的な観点」とは何なのかという事について引用いたします。
ここより. Wikipedia:中立的な観点からの引用
「 | 対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す。そのトピックについて異なる観点を記載する際には、その相対的な勢力差が適切なレベルで反映されるよう記述してください。同等であるとの誤った印象を与えたり、特定の視点を不適切に重点的に記述することを避けてください。 | 」 |
「 | 全ての観点を提示するということは、p 主義者は p が正しいと考えており、一方で q 主義者は q が正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある、というような記述をすることです。全ての観点を提示するにあたって、誰がどのような理由で p や q を信じており、どちらがより広く支持されているか、といった背景の説明を大量に供給できることが理想です。 | 」 |
—Wikipedia:中立的な観点#「中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?」 |
「 | 重要な制限事項がひとつあります。複数の観点を比較する記事では、少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。それは論争の形について誤解を与えかねません。公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。 | 」 |
—Wikipedia:中立的な観点#「中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?」 |
「 | ある意見についての事実を述べる時には、その意見に対立する意見についての事実を述べ、かつ、それらの意見のどれか一つが正しいと示唆せずにおくことも重要です。 | 」 |
—Wikipedia:中立的な観点# 「「中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?」 |
「 | もしも論争についてフェアに説明するのであれば、競合しあっている様々な立場を、常に肯定的で好意的な形で提示すべきです。多くの記事は、対立する見方について紹介しつつも、特定の見方を支持するものになってしまっています。(中略) 例えば、ある立場に対立する意見を紹介しながらそれを否定する説明を行うと、そうした対立意見を「対立意見」のセクションにまとめて紹介する場合と比べて、ずっと説得力がなくなります。 | 」 |
「 | 全ての競合する立場を好意的に説明しましょう。例えば、○○の考え方はよいアイディアだ、但し、一部の反対意見によれば、そうしたアイディアは××を見落としていると言われている、という書き方ができます。 | 」 |
「 | 例えば政治的に論争の的になっているような事柄について常に自分の観点を主張しようとして、他の観点がフェアに提示されているかどうかについては気にしない人は、この中立性のポリシーに違反しています。中立性の方針は、執筆者が自分の立場だけでなく、自分と反対の立場についてもきちんと説明するように求めています。 | 」 |
「 | そのユーザーが自分の賛同する立場だけを説明したり、対立する立場をフェアに説明しなかったり、不完全な形で説明したりしているような場合には、その人はウィキペディアに偏った見方を付け加えていることになります。 | 」 |
ここまで. Wikipedia:中立的な観点からの引用
以上です。 --まとりょーしか(会話) 2014年4月20日 (日) 23:38 (UTC)
- コメント まとりょーしかさんへ。
- 差し戻しました。差し戻しで除去された変更のうち、判断が難しい変更は再適用を保留にしています。お手数をお掛けしますが、よろしくお願いします。--Momonga365(会話) 2014年4月20日 (日) 23:57 (UTC)
- コメント Momonga365さん、差し戻しと保留について、早速のご対応ありがとうございます。尚且つご苦労さまです。目下ノート欄でトラブルの生じている記述は留保でも良かったかなと思いますが、まあ宜しいんじゃないでしょうか。また、「定義・病因」の節は、普遍的な内容で且つ有用性もあるので、一部は「精神医学」の項目に移したほうが良いのでは?とも思いますが、当座はこれでなかなかいいと思います。そして、この項目では、批判はDSM-IVに対するものが主のようですが、最新のDSM-5については、有力な研究者から以前にも増して批判がなされており、むしろ、まだ批判的見解の引用が足りないのでは?とも思います。ただ、「対立意見を『対立意見』のセクションにまとめて紹介すること」は、Wikipedia:中立的な観点#フェアであることと、好意的な立場において推奨されていますから、その辺はもう少しまとめたほうが、批判的なご意見をお持ちの方にとっても効果的なのかなとも考えます。ちなみに、個人的に、ノートでの合意を無視して編集するという独断専行は避けたいので、大きく加筆する場合には、可能な限りノートで報告しておきたいと思います。いずれにせよ、修正するとしても部分的なものになるでしょう。最後になりましたが、Momonga365さんが合意をお忘れになることなく編集して頂いたことに感謝します。--まとりょーしか(会話) 2014年4月21日 (月) 00:53 (UTC)
- コメント 追記ですが、出典の古い記述に関しては、コメントアウトするという方法以外にも、現状でMomongaさんがなさっているように、「199x年、XがYと述べた」といった形で、「経緯」として紹介することも、選択肢の一つとしては良いのかなとも思いました。ただし、その場合でも、「現状ではこれらの主張は古くなっている可能性がある」旨の注意は必要かもしれませんね。--まとりょーしか(会話) 2014年4月21日 (月) 01:44 (UTC)
「概要」節を作る場合、「概要」節の内容は導入部における説明とある程度重なっても構いません。ただし導入部の説明はより簡潔にするよう努めて下さい。
— [[User:Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#「概要」節を作る場合]]]- あなたはこれに反して「スタイルマニュアルに書かれているように、主要な論点を概要節にだけ書く」とおっしゃるので、スタイルマニュアルに反する独自ルールを持ち出しています。
- アレン・フランセス 『〈正常〉を救え』は、参考文献に20ページ程度割いており学術書の体裁があります。
- Benedict Carey (Feb 3, 2014-02-03). “Blazing Trails in Brain Science”. New York Timesは、完全に一般的とみなされるよりは信頼される情報源との中間に位置されるでしょうから、こういったものは多くの英語版にて用いられています。学術的にだけでなく、大衆的にも知られている、広く知られていることが示されます。
- Wikipedia:正確性に疑問がある記事は、主に検証可能性や中立的な観点に関してあって、これを古い出典を用いない方針等として、あなたの独自ルールとして解釈されていても第三者には分かりません。Wikipedia:信頼できる情報源#概要は、情報源の信頼性についてであって、新しい古いには触れておりません。古い出典を使わないという方針等は存在せずあなたの独自ルールです。新たに「いついつに述べられたことである」というように経緯として紹介すればと述べられておられますが、さっそく方針等をお読みくださったものかと存じます。あなたのWikipedia:中立的な観点の解釈の通り、執筆者の立場に反するものを削除するのではないですから。それが信頼性の低い内容であれば、ノートページで話し合えばいいのではないかと思われます。あなたの独自ルールやあなたの、科学に基づくべきだ、しかしDSMが科学に基づかないという争点の記述には反対するといった立場は、何がそれに引っかかるのかは事前に理解できませんので、余計に難しくなっているかと思われます。
- 新しい記述があなたの独自ルールに引っかかるとして、逐一独自ルールを持ち出すことは一種の妨害行為のように感じられます。今一度、スタイルマニュアル等もよくお読みくださいますよう。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月21日 (月) 04:23 (UTC)
- あなたはこれに反して「スタイルマニュアルに書かれているように、主要な論点を概要節にだけ書く」とおっしゃるので、スタイルマニュアルに反する独自ルールを持ち出しています。
- コメント タバコはマーダーさん、こんにちは。NYTであっても、何であっても、一般向けの新聞記事は「一般向け出版物」にあたるのではないでしょうか。失礼な表現かもしれませんが、個人的な判断で例外を作ることは、それこそ独自ルールによる解釈なのかな?と思ったりもします。マスメディアの報道が多くの英語版の項目一般で用いられているとしても、科学に関する項目では出典として用いるべきではないです。また、フランセスの著書を出典としておられるようですが(それ自体は結構なのですが)、肝心のページ数の指定がありません。これでは検証のしようがありません。購入するか図書館に赴いて当該箇所を探し、その箇所の意図に忠実な表現で改めて記述して頂きたいと思います。それから、古い出典の扱いに関しては議論中です。ただ、あまりに古い出典は、現在の(生物学的)精神医学のコンセンサスに反するようなものもあり、それは項目の「正確さ」という点から、そのまま記述して良いのか?という問題もあります。記述するにしても何らかの注意書きは必要になるでしょう。ちなみに、スタイルマニュアルには、概要節はもちろん、概要節でもない導入部に、特定の主張を要約しないまま一方的に書いて良いなんてどこにも示されてませんよね。それはまた中立的な観点にも反する疑いがあります。概要節において、DSMに支持的な主張と、それに批判的な主張を、それぞれ勢力差も含めて、現況の要点のみを簡潔に書く。それなら、より多くの編集者や読者の理解を得られるでしょう。他の点については既にお話した通りです。--まとりょーしか(会話) 2014年4月21日 (月) 08:39 (UTC)
- カテゴリーは科学ではなく、医学です。
- 現在は、大衆誌のようなものでない一般的な新聞は問題となっていない場合が多いので、特に英語版を翻訳した記事はアメリカのそうした新聞が多く含まれますが、もしそれが正確でないならば出典を追加して修正すればよろしいのでは。Wikipedia:信頼できる情報源にあるのは、実験結果に解釈の誤りが生じるのではということであって、書いてはいけないということもないので。その記述箇所により適した出典があれば、書き直されることで発展しているのではないかと。もし英語版の翻訳中の新聞が使えないということであれば、膨大な修正が必要となります。そんなことは起こっていないという実際の運用状況を見て問題がないということです。誇大な表現であれば議論が生じるかもしれませんが、逐一新聞だからと言って消して回るような状況はないです。それは大衆紙ではなく高級紙であることが多いかと思います。
- 主観的である操作的診断なので、生物学的に計測する科学側からの批判があり、最新の科学に基づくべきであるというのならば、これらの科学側からのDSMに対する批判を充実させるべきだとは思いますが。これらの科学側の研究者は反精神医学の人物であるとか、DSMは生物学を反映したものであるという文章は読んだことはありませんが、出典を追加なさってください。
- 何度も言いますが、あまりに古い出典を書いてはいけないということはないです。
- 正確さの解釈も間違っていますが、出典に忠実に書くのであって、出典を忠実に記事に反映させ、それを訂正するような新たな出典があればそれを用いて加筆するということです。
- 概要部にそんなに長々と書いていません。
- 中立的な観点とは、様々な観点から書くという方針であると、Momonga365氏と共に何度も説明しております。あなたがおっしゃるように現在の記述が反精神医学による批判であるとか、精神医学のコンセンサスに反するといったことが明瞭になるように、出典を追加してください。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月21日 (月) 10:47 (UTC)
- (ii) また、これも少し誤解がおありのようですが、操作的診断基準は主観的ではなく、客観的な基準です。医師個人が主観的な基準で診断していた時代に比べ、誤診のリスクは減ったが、無くなってはいないというだけです。生物学的精神医学とDSMが深刻な対立関係にあるというなら十分な出典が必要です。生物学的精神医学というのは学派というよりはアプローチなので、現在ほとんどの精神科医や研究者は生物学的精神医学の立場に立っているとも言えますが、そうした学会の主流がDSMと矛盾しているとか激しく対立しているとかいう状況にはありません。むしろ疫学調査等を通して親和的な関係にあります(参照: 「操作的診断基準(精神疾患の)」. 脳科学辞典.)。
- (iii) 身も蓋も無いことを申し上げれば、DSMは、アメリカ精神医学会の多数派の見解を集約している点において「支配的」な文書です。それが善いか悪いかとは別です。DSMそのものを否定する見解は――それがいかに説得的に映っても――少なくとも北米の精神科医や研究者の間においては、あくまでも少数意見なのです。少数意見だから記述するなという意味ではありません。多数派の主張を明記し、少数派の主張とそれぞれの勢力差も併せて記述することが求められているのですね。
- (iv) それから、フランセスは『精神疾患診断のエッセンス: DSM-5の上手な使い方』『DSM‐IV‐TRケーススタディー: 鑑別診断のための臨床指針』という著書も出版していますが、どうしてこちらは無視なさるのでしょうか? フランセスはDSMのような操作的診断基準そのものを否定している訳ではありません。個人の特定の発言だけを自らの主張に沿うように引用することは、事実を十分に伝える行為とは言えませんよね。
- (v) 古い出典についてですが、編集者は「科学におけるコンセンサス」を記述せよ、と要求されています。私たちはそれに従ったほうがいいでしょうね。サイエンスの領域において、コンセンサスは常に変化しています。サイエンスの分野では、古い出典は用いないか、または出典として用いるなら、注意を付け加えたほうが宜しいでしょう。「医学は科学ではない」というご主張には首を傾げさせるを得ませんが、少なくとも、Wikipedia:信頼できる情報源では、「自然科学、数学と医学」は同じカテゴリです。
- (vi) ちなみに、科学の項目では、学術論文に引用できないような出典は避けよ、と要請されています(わざわざ「科学や医学の記事」と書かれていますね)。新聞記事等の引用を避けなかった項目が他にあるからと言って、避けなくて良い理由にはならないでしょう。論争に関わる内容なら尚更ではないでしょうか。サイエンスの項目において、新聞記事等は不十分な出典であり、不十分な出典に基づく記述はコメントアウト等の対処をされても仕方がないと思うのですが、如何でしょうかねえ。いずれにしても、古いものや新聞記事等しか出典の無い主張は、かえってその信頼性を下げるというのが私めの愚見です。--まとりょーしか(会話) 2014年4月21日 (月) 14:29 (UTC)
- カテゴリーは医学で、しかも精神医学なので、DSMのように科学的でない部分は残っている分野です。
- 科学的な観点からの指摘を追加しましたので、最新の科学的観点に基づくよう反映いたしております。科学的でないという一文章を新聞から持ち出したのがよろしくなかったと、後に反省しております。DSMの非科学的な側面は私にとっては自明でしたが、珍妙な説なのでより良い出典を求めると指摘された場合には出典として弱いのは確かです。
- ノートページにて、出典を出さずに延々と論説を行っていても仕方がないので、あなたの見解を裏付ける出典を用いて記述してはいかがでしょうか。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月22日 (火) 09:35 (UTC)
- コメント まとりょーしかさんへ。
- 2013年に発表されたDSM-5の「Section I」では生物学的研究の限界も説明しています。日本語版はまだ発表されていませんが、英語版は図書館[11]で閲覧することもできます。一度、最新のDSMの内容をご自身で確認されては如何でしょうか?--Momonga365(会話) 2014年4月22日 (火) 22:28 (UTC)
- コメント 「障害定義」の部分の記述は以前より良くなっています。生物学的精神医学が(急速に進歩しているとしても)発展途上であることは、当の研究者も含めて誰も否定しないでしょう。ただ、少なくともヴァレンスタインについては、出典の本文を明示することは自分の役割ではないです。「統合失調症患者が存在するのではない」という表現はかなり論争を招く、というか強力な裏付けが無ければ眉唾物として扱われるだけではないかと思います。引用部分は本文のまま注釈等に書いておいたほうが良いのではないでしょうか(マーダーさんがそうしたように)。また、ヴァレンスタインは論争の第三者ではなく、論争の当事者なので(しかも出典が古い)、出典として用いないか、または「ヴァレンスタインは〜と主張している」としたほうが望ましいかもしれませんね。ここで再び問題の記述についてですが、「DSMは、脳機能の生物学的な障害ではなく、主に症状とその期間によって精神障害を定義づけている。例えば、DSMの基準によって統合失調症とされている人々は、あくまでもDSMにおける症状とその期間等を満たしたため、統合失調症と認定されたに過ぎない。DSMの診断基準には、脳機能の生物学的な検査は含まれていない」といったような表現に改めたほうが説得的ではないかと思います。それから、本題とは関係ありませんが、1週間以上経った投稿は利便上、そろそろ過去ログ化したほうが宜しいのではないでしょうか?--まとりょーしか(会話) 2014年4月23日 (水) 03:41 (UTC)
- そんなに頻繁に過去ログ化するものではないですが、あなたの独自演説が長すぎますので、一旦1週間を過ぎたものを過去ログ化することに同意します。
- DSMは、記述精神医学に属すため、ヴァレンスタインは生物学者ですし、生物学的な立場からの説明はMomonga365氏が詳細に説明してくださっています。Momonga365氏はADHDも編集されていますので、DSMが安易に利用された結果のADHDの過剰診断のような問題にもお詳しいものかと思います。DSMには弱点もあるということは、少しずつご理解いただけているかと思います。
- DSM-IVの編集委員長であるフランセスが、DSM-IVを出版してから「しまった!」ということで、ADHDの過剰診断に陥らずに安全にDSMを利用するためのDSMの争点を挙げていることも徐々にご理解いただけているかと思われます。
- DSMは記述精神医学に属すため、記述精神医学的な精神障害の解釈に注意するための説明の部分に対して、生物学的精神医学による精神障害という概念を持ち出しているので不毛なことになっております。
- そこまで主張なさるならDSMについての生物学等の見解を、出典を用いて記述してください。ここで独自研究を長々と演説しても仕方のないことないです。
- さらには、現在、要検証などのテンプレートを乱発されていますが方針をお読みになり、要検証などの過剰診断・使用ではないかを考え直していただきたいです。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月23日 (水) 11:35 (UTC)
- コメント 出典にDSM-IVを併記しています。DSM-IVに記載されている内容で、エリオット・ヴァレンスタイン博士の主張ではありません。同博士はDSM-IVに記載されている内容を紹介しているだけです。さしあたって、説明を追加しました。
- 過去ログ化については、Help:過去ログに「議論の最中はそれまでの議論を見渡せることが大切ですので、可能であれば議論が落ち着いている頃合いを見て過去ログ化することが推奨されます」「進行中の議論は現在のノートページに残すようにしてください」と記載されています。議論終了後に節単位で過去ログ化するほうが良いかもしれません。--Momonga365(会話) 2014年4月24日 (木) 00:26 (UTC)
- コメント「 DSM-IVでは『統合失調症患者』という人間を分類する表現は誤解を招くため、『統合失調症を有する人』というぎこちないがより正確な表現を採用するとしている」。これは注釈ではなく、記事の本文に入れたほうが良いのではないでしょうか。「統合失調症の患者は存在しない」というのは、これもまた統合失調症が何か架空の病気であるかのような誤解が生じるように思います。というのも、日本語では、"patient"も、病状に重きのある"case"も、同じ「患者」だからです。DSMと生物学の関係ということですが、精神障害のゲノムコホート研究、脳画像研究等、それらの生物学的研究は、操作的診断基準による診断に基いています。標準化された共通の基準が無ければ、そのような研究は困難です。操作的診断基準と生物学的精神医学が深刻な対立関係にあるという訳ではありません。実際、現在では、精神科医および研究者のほとんどは生物学的精神医学に立脚していますが、彼らも診断には操作的診断基準を用いています。操作的診断基準はバイオマーカーによらないというだけですよね。また、ヴァレンスタインの主張は、現在の生物学的精神医学の台頭を踏まえたものではないので、やや古く、精神医学会において主流と言える主張でも無いので、DSMと同じ括りで出典に用いないほうが良いと思います。もし引用するなら、「ヴァレンスタインは199x年に〜と主張している」という形にしたほうが宜しいでしょう。ちなみに、自分の編集履歴をご覧になればお分かり頂けると思いますが、操作的診断基準が診断基準として不足している点が無い等とは全く考えておりません。ただ、操作的診断基準によって精神科医療が退歩したかのような誤解が広まることは望ましくないとは思っています。--まとりょーしか(会話) 2014年4月24日 (木) 11:40 (UTC)
- それを裏付ける出典を用いてください。
- ADHDの安易な薬物治療に医師らが警告、2013年11月06日、この記事でも「ADHDという言葉」が「安易に使われている」と書いてありますが、そうしたこともからもつながって、本来子供の11%にしか必要のない薬を受け取っているのが87%になっている。
- 精神科医療が退歩したかのような「事実」に関する昨今の注意書きを書こうとしているんです。DSMは生物学とかではないので気を付けろとDSMの作成者や生物学者が言っているいうことです。現在進行形の警告ですね。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月24日 (木) 21:25 (UTC)
- コメント DSM-5の「障害定義」に出典として用いるのであれば不適切だと思いますが、DSM-IVの節にあるDSM-IVの「障害定義」です。何が問題なのかよく分かりません。さしあたって、説明を追加しました。
- それから、Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 論争の相手と話し合うに則った行動をお願いします。まとりょーしかさんは「ほとんど証拠を示さず反対意見を述べ」ておられますが、「理由と証拠を示しながら反対意見を述べる」ようにしてください。--Momonga365(会話) 2014年4月25日 (金) 01:24 (UTC)
- 現在、独自研究から執拗に要出典等を用いているように思えます。それだけの疑義を呈する前に、あなたのおっしゃる「DSMが科学的」ということは、誰がどのように述べているのかの加筆をお願いいたします。まったくの独自研究に基づいているかのようです。すでに著名な人物がDSMに疑義を呈しているという出典が、わたしとMomonga365氏とで用意されていますので、「DSMは科学的観点から疑問がある」という主張は、Wikipedia:検証可能性において裏付けられております。独自研究ではありません。著名な人物と反対のことを言っているので、要検証を用いたというように、Wikipediaのルールに則った議論可能な使い方をいただきたいかと思います。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月25日 (金) 22:45 (UTC)
- コメント まとりょーしかさんの独自研究行為については、別途、新たに節を作って議論しても良いかもしれません。--Momonga365(会話) 2014年4月26日 (土) 01:20 (UTC)
- コメント 何かお二人とも誤解なさっているようですが、自分の投稿の論旨はそこではないですよ。 「DSM-IVでは『統合失調症患者』という人間を分類する表現は誤解を招くため、『統合失調症を有する人』というぎこちないがより正確な表現を採用するとしている」。これは注釈ではなく、記事の本文に入れたほうが良いのではないでしょうか、と申し上げただけなんですがねえ…。ただそれだけの話なんですよ。それがどうして「独自研究」がどうのこうのという話に発展するのかよく分かりません。ちなみに、操作的診断基準と生物学的精神医学の研究との関係は、脳科学辞典の「操作的診断基準」の項目に、「その目的は、①病態解明だけでなく、それぞれの医療機関や医師の間での②治療成績や③転帰の比較検討を可能にすること、そして④疫学的調査への有用性である。」と明記されています。ただ、それは本題ではないんですよ。タバコはマーダーさんに問われたから言及しただけです。--まとりょーしか(会話) 2014年4月26日 (土) 19:20 (UTC)
- そうだったんですね。現在の焦点は「注釈解除」ということにします。そこはMomonga365氏が御詳しいのでお任せします。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月26日 (土) 22:36 (UTC)
- コメント 本文に記述しても良いと思いますが、直後に「ただし、「精神障害」の境界線が曖昧であることは、「精神障害」が存在しないことを必ずしも意味しない[要出典]。」という解釈に困る一文があります。まとりょーしか(Kamchatka)さんの投稿[12]をまとりょーしか(Kamchatka)さんご自身が修正[13]されたものです。しかし、更にまとりょーしかさんご自身によって要出典テンプレートが追加[14]されており、自ら独自研究だと認めておられます。この一文を除去した上で本文に記述するというのは如何でしょうか?--Momonga365(会話) 2014年4月27日 (日) 01:32 (UTC)
出典の本文との対照
コメント 記事の翻訳お疲れ様です。この部分についてですが、出典は示されているものの、事実関係が疑わしいため、出典の本文の引用をお願い致します。「大きく」「大幅」「過剰」「つながっている」: どの程度でしょうか?
製薬会社に大きく利用され、診断の大幅な増加と過剰診断、薬の過剰摂取事故につながっている。 — アレン・フランセス pp. 20-21. 65-66. 132-133. 175-176. 238. 321. 325.
--まとりょーしか(会話) 2014年4月21日 (月) 15:42 (UTC)
- コメント 出典を検証しました。アレン・フランセス著『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』の要約として問題ないと思います。--Momonga365(会話) 2014年4月22日 (火) 01:59 (UTC)
- コメント Momonga365さん、お疲れ様です。うーむ…著作権に反しない範囲で当該の部分の引用が欲しいのですが…。出典があっても無くても、Wikipediaでこの種の曖昧な強調表現はさすがにマズいと思います。--まとりょーしか(会話) 2014年4月22日 (火) 02:54 (UTC)
- Momonga365さんありがとうございます。注釈を追加しました。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月22日 (火) 09:35 (UTC)
フランセスの肯定
『精神疾患診断のエッセンス-DSM-5の上手な使い方』には、「DSM-5の問題点」といった節もあります。肯定しているという表現は独自研究ではないでしょうか。詳細を求めます。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月23日 (水) 11:35 (UTC)
- コメント 記事の本文は「診断基準としてのDSMを否定している訳ではない」という表現でしょう。「問題点を指摘すること」と「否定すること」は違うのではないですか。DSMそのものを否定している人がどうしてDSMの概説書を出版すると仰るんでしょうか…。--まとりょーしか(会話) 2014年4月24日 (木) 11:40 (UTC)
- Wikipedia:独自研究は載せないをお読みください。どういうことなのか、出典内容の要旨を教えてください。独自研究を書き込まないようにしてください。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月24日 (木) 21:25 (UTC)
- コメント 出版理由について、アレン・フランセス編纂委員長は次のように述べています。
- コメント 記事の本文は「診断基準としてのDSMを否定している訳ではない」という表現でしょう。「問題点を指摘すること」と「否定すること」は違うのではないですか。DSMそのものを否定している人がどうしてDSMの概説書を出版すると仰るんでしょうか…。--まとりょーしか(会話) 2014年4月24日 (木) 11:40 (UTC)
私も、DSM-5の暴走を正すための本を一冊書いている(拙著『精神疾患診断のエッセンス――DSM-5の上手な使い方』〈金剛出版、2013年末刊行予定〉は、各精神疾患を正確に診断するためのヒントや、診断のインフレを避けるための注意を述べている)。 — アレン・フランセス、『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』、大野裕監修、青木創訳、349頁
- コメント Momonga365さんはいつもよく調べてらっしゃいますね。ただ、「正確に診断するためのヒントや注意」なのですから、それは「否定」というのとは少し違うんじゃないかなと思いますが、如何でしょうか。--まとりょーしか(会話) 2014年4月25日 (金) 15:36 (UTC)
- Momonga365さん、いつもありがとうございます。Wikipedia:独自研究は載せないがありますので、出典に忠実に書けば「DSM-5の暴走を正すための著書である『精神疾患診断のエッセンス』」となりますね。これを肯定とは取れないと思いますが、否定ととるかは読者にゆだねられます。
- 『精神疾患診断のエッセンス』には「堅牢な科学的根拠に基づいていない」と書いてあり、そしてこの部分に要検証がつけられています。「堅牢な」をつけて要検証を外すか、つけずに外すかしか選択肢がなく、これ以上の検証のしようがありません。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月25日 (金) 22:45 (UTC)
- コメント 妥当な落とし所として、以下の試案を出してみました。これは事実の記述のみであり、個人的な価値判断とは無縁です。文章のねじれを整理いたしましたので、若干読みやすくなっているかなと思います。以下は、「批判」の節というよりは、「DSM-5」の節に移したほうが良いかもしれません。ちなみに、タバコはマーダーさんの述べている要検証部分の表現は、「堅牢な科学的根拠に基づいていない」で、とくに問題は無いでしょう。--まとりょーしか(会話) 2014年4月26日 (土) 18:56 (UTC)
『精神疾患診断のエッセンス: DSM-5の上手な使い方』 (日本語版: 金剛出版) を出版した。これは、それぞれの精神疾患を正確に診断するためのヒント、および診断のインフレを避けるための注意を著したものである。一方で、フランセスは、DSMをバイブルのようにして奴隷のように従うものというよりは、指針でしかなく、異なった文化では異なった分類さえも必要となる可能性もあると述べている。このため、患者の役に立つよう柔軟に役立てるようにとの日本向けの序文がある。また、フランセスはDSM-5を、堅牢な科学的根拠に基づいておらず、安全性と科学的妥当性が十分ではないとし、過剰診断、流行の診断、および診断の不正利用に注意することを求めている。 — 試案
- 一つ目の「これは」は、続く文章なので「『精神疾患診断のエッセンス: DSM-5の上手な使い方』は」か「『精神疾患診断のエッセンス』は」にすればいいと思います。文章はお上手ですので、Wikipediaのルールを覚えてください。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月26日 (土) 22:09 (UTC)
objectiveの訳
「他覚的」とされていますが、山崎真也の論文で「客観性objectivity」とあったり、脳科学辞典にも「客観的な検査」とあったりで、このような出典を元に本記事では客観という訳でよろしいでのはないでしょうか。DSMや操作的診断基準の文章において、他覚的と訳すための出典を求めます。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月23日 (水) 11:35 (UTC)
- コメント なぜ医学用語である「他覚的」のほうが望ましいかと言えば、そちらのほうが実情をより正確に表わしているからです。どのように訳すかは文脈にもよるとは思いますが、「客観的」と訳してしまうと、「操作的診断基準は客観的ではない」と誤解する読者もいるかもしれません。少なくとも、医師の主観に頼っていたそれ以前の診断よりは「客観的」なのですから、その実情に合った表現であることが望ましい。当時と比較して客観的になったことはマーダーさんもご理解頂けるかと思います。「他覚的」という訳語であれば、「自覚症状だけではない」という、より明確な意味になります。そもそも、医学の項目では定義の明確な医学用語で訳した方が良いと思います(例外はあるとしても)。検索すればお分かり頂けますが、「他覚的」というのは医学論文ではごく普通に用いられている用語です。精神医学での使用例が少ないのは、そりゃ当然ではないでしょうか。精神科の診断は他の診療科と異なり、主に「自覚症状」のみに基づくものですから。もし「他覚的」という語が一般読者にとって理解しにくい印象を与えるのであれば、「自覚症状の他に基準を持たず」と訳せば宜しいと思います。--まとりょーしか(会話) 2014年4月24日 (木) 11:40 (UTC)
- それは、いわゆるWikipedia:独自研究は載せないに該当するかと思います。Wikipediaは独自研究を書くところではないです。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月24日 (木) 21:25 (UTC)
- コメント 訳語の問題で「独自研究」と仰られても当惑しますが、「自覚症状の他に基準が無い」という翻訳は、現状を表すのにより的確で、なおかつ一般読者にも理解しやすいと思います。これはマーダーさんとも一致できる点ではないでしょうか。とくにご異論が無ければこの訳で行きたい所存です。--まとりょーしか(会話) 2014年4月25日 (金) 15:47 (UTC)
- Wikipedia:独自研究は載せない・Wikipedia:検証可能性の方針を重視すると、それではダメなのではないでしょうか。すでにDSMに言及した文献で、「客観的」という表現が使われている実例がある、検証可能性を満たします。Wikipediaの方針等に従う方向でお考えくださるようお願いいたします。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月25日 (金) 22:45 (UTC)
- コメント 適切な翻訳は文脈によります。山崎氏の論文は、精神医学の研究者によらない人文系の博士論文です。「DSMは客観的な診断基準ではない」とする精神医学の日本語論文が幾つかあるなら話は変わってきますが。「自覚症状の他に基準が無い」が訳として望ましいが、現状のままでは誤解が生じ得るので、とりあえず次善として、少なくとも何らかの説明は必要です。「「客観的」な計測基準を持たず< ref group= >ここでは、「自覚症状の他に基準が無い」という意。</ref >。」といったように、注釈で補完するか、または、「生物学的に客観的な計測基準を持たず」とすれば、大きな相違は無いと思います。 ただし、「客観的」という訳語はこの項目の他の記述でも既に用いられているので、この箇所ばかりを問題とするのは、全体を見ていない不毛な議論とも言えるかもしれませんが。--まとりょーしか(会話) 2014年4月26日 (土) 16:09 (UTC)
- 「自覚症状の他に基準が無い」ではよくないと思いますね。まとりょーしかさんのこだわりは少し見えてきていますが、DSMを説明するにあたって「客観的な」を使う部分が2つあるんです。
- 1. DSMは、客観的な診断基準を持つ。
- これはDSMでは、症状記述が定義化されているということです。
- 2. DSMによる診断は、客観的な検査に基づくものではない。
- これはDSMは、生物学的な検査に基づかないということです。
- そして、もう少し複雑です。
- 1. DSMは、客観的な診断基準を持つ。
- 客観的な診断基準は、症状に関する主観的な合意に基づいて決められている。客観的に決めるというのは、血糖値が200以上でという風に客観的に決める場合です。なので診断基準が妥当かどうかで改善の余地があり、まだ改善は不完全である。
- 2. DSMによる診断は、客観的な検査に基づくものではない。
- 生物学的な検査に基づかないので、診断の判断が主観的になりうる弱点がある。
- この辺りがうまく説明されていればよろしいのかと思われます。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月26日 (土) 22:09 (UTC)
- 「自覚症状の他に基準が無い」ではよくないと思いますね。まとりょーしかさんのこだわりは少し見えてきていますが、DSMを説明するにあたって「客観的な」を使う部分が2つあるんです。
出典の位置
Help:脚注が御座いますように、句点と脚注の位置を統一する際に注意するよう書いてあります。今回、脚注の位置を統一されたもののうち、出典が段落にかかっているため、すでに検証可能性を満たしている部分をいくつか発見しました。翻訳部分は、句点の後にあるものはすべて段落にかかっているかと思われます。ご注意ください。後に句点の位置と要出典を修正いたしますが、ご自身で差し戻されてもかまいません。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月25日 (金) 22:45 (UTC)
- コメント 自分も以前はやっていましたが、やはり脚注リンクは句点の前に置くことが原則のように思います。段落の文末の句点の「前」に脚注リンクを置くと、それだけで段落全体に出典があるものと見なされます。日本語版のWikipedia上の一部では、段落全体に出典のあることを示す場合、脚注リンクを文末の句点の「後」に置くことが習慣として行われているようです。一方で、その項目のアカデミックな評価は、それにより低下するのではないでしょうか。たしかに、出典の示されている範囲を指定することは難しい問題ですよね。自分は誤解を避けるため、出典が段落または複数の文にかかる場合、出典の前に「ここまで. #フグ田 p. 256.」と表記する方法を用いています。ご参考までに。--まとりょーしか(会話) 2014年4月26日 (土) 17:09 (UTC)
- 整えるのはいいんですよ。Help:脚注が御座いまして、ルール上は厳密には「<出典>。」と「。」までの一文の出典なんですね。
- 英語版を翻訳した時には、特に段落に対して出典がついていたりしますから、それが段落に対するものかリンク先で全文が読めれば確認が取れます。
- まとりょーしかさんは、「。<出典>」と後ろに出典があって、これを「<出典>。」として段落化を解除した後、もう少し前の文章に要出典をつけたりしています。少し確認すると、すでに段落に対する出典であったので、出典は満たされているんですね。そういうものがありました。コメントタグで注釈をつけていくとかがいいのでとは思います。そのうち修正しておきます。--タバコはマーダー(会話) 2014年4月26日 (土) 22:09 (UTC)
- コメント そのような箇所があるのなら、おそらく自分のミスかもしれません。怠惰で申し訳ありませんが、句点をcommand+F (Ctrl+F) で検索して、句点の後に脚注リンクがあるものを修正していったので、もしかしたら自分の不注意から、そういったケースがあったとしても おかしくありません。もし不手際がありましたらお詫びいたします。--まとりょーしか(会話) 2014年4月27日 (日) 00:55 (UTC)
改名提案
精神障害の診断と統計マニュアルへの改名提案を行います。
本来のDSMは「マニュアル」とつきます。
- 『DSM-IV-TR精神疾患の診断・統計マニュアル』新訂版(Diagnostic and statistical manual of mental disorders, fourth edition text revision.)ISBN: 978-4260118897
- 『DSM-IV-TR精神疾患の診断・統計マニュアル』(Diagnostic and statistical manual of mental disorders, IV-TR)ISBN: 978-4260118897
- 『DSM-IV精神疾患の診断・統計マニュアル』(Diagnostic and statistical manual of mental disorders)ISBN 978-4260118040
- 『DSM-III-R精神障害の診断・統計マニュアル』(Diagnostic and statistical manual of mental disorders, III-R)ISBN 978-4260117388
初期の編集である2008年5月21日 (水) 04:19版において 「DSMの日本語名」という節が追加され、下記の早見表と混同されています。この編集で「手引き」や「マニュアル」など定訳がないという趣旨の加筆が行われているので、もともと違いが分からないためそのように書かれたようです。これをマニュアルと書いたり、手引きと書いたりするとどちらを指しているのか非常に分かりにくいので、著名なDSMの訳語である「マニュアル」という訳語を使うということです。下記『手引き』のほうのQuick Refference to the Diagnostic Criteria from DSMを訳すと、「DSMの診断基準の早見参考書」といった感じでして、現在の記事名ではこれと本来のDSMを混同しかねません。本来のDSM、上記マニュアルのほうが完全な情報が含まれています。
改名提案は、Wikipedia:記事名の付け方に従って、認知度が高く、著名であると考えられ、曖昧でなくなります。特に別の資料である「DSMの診断基準の早見参考書」と、本来のDSMの混同が起きやすいことが解消されます。
上記『DSM-III-Rマニュアル』において、「早見参考書("ミニD")」と触れられています。下記Quick Refference『DSM-IVの手引き』においても、分類と診断基準だけの手引き、いわゆるミニDであることに触れています。この提案文章のように、現在の記事名は混乱をきたしうる記事名です。
現在の記事名の「手引き」部分を「マニュアル」とするか否か以外の議論は行いません。Wikipedia:改名提案に従い、1週間後に改名いたします。
現行の書籍にて「手引き」とつくのは、クイック・リファレンスでしてDSMの診断基準の早見表といった感じの、DSMに関する別の資料です。
- 『DSM-IV-TR精神疾患の分類と診断の手引』(Quick Refference to the Diagnostic Criteria from DSM-IV-TR)ISBN 978-4260118866
- 『DSM-IV精神疾患の分類と診断の手引』(Quick Refference to the Diagnostic Criteria from DSM-IV) ISBN 978-4260117937
- 『DSM-III-R精神障害の分類と診断の手引』(Quick Refference to the Diagnostic Criteria from DSM-III-R) ISBN 978-4260117333
- 『DSM-III精神障害の分類と診断の手引』(Quick reference to the diagnostic criteria from DSM-III) ISBN 978-4260116824
--タバコはマーダー(会話) 2014年5月21日 (水) 07:26 (UTC)
Template:特別支援教育について
ShikiHでございます。ここ数日でTemplate:特別支援教育が2回張られました。わたくしはこれは不要だと感じます。DSMは純粋に医学書であって、教育との関連は薄く、教育分野のテンプレートを貼る必要はありません。特別支援教育の対象となる生徒は視覚障害や聴覚障害などもありますが、これらを記述した書物にこのテンプレートは貼らないでしょう。それと同様でよいのではありませんか? またテンプレートの中にDSMは出てきません。応用分野にその基礎となる理論書を提示したいとき、応用分野の方に書くのはまだしも、基礎論の方に書くときりがない。メンデルの法則の中にクローン羊を書いたり、マックスウェルの方程式の中にリニアモーターカーを書くわけにはいかないでしょう。DSMと特別支援教育中の関係も似たようなものなので、お載せになるのはご遠慮くださいませんか。これを書き始めると、限りなくひろがって、収拾がつかなくなる恐れがあります。ご意見をぜひ、この場で賜りたく存じます。
ところでこのテンプレートを貼ったお二人はいずれもIPによる利用者で、宮城県からつないでいるようです。編集項目も似ています。別々のお二人ならこのままでも構いませんが、同一の方であるなら、アカウントを作成してくださいませんか。ここで議論になった場合、ちょっと不便なのでよろしくお願いします。--ShikiH(会話) 2014年9月13日 (土) 15:39 (UTC)
(追記) 医学と教育のスタブを示すテンプレートも外しました。ほぼ完成している記事に思うからです。教育についてはここに書き込むことに賛成できないからです。--ShikiH(会話) 2014年9月13日 (土) 15:56 (UTC)