ノート:田峰駅
「田峯」か「田峰」か
[編集]田峯駅
- 今尾恵介(監)『日本鉄道旅行地図帳』7号
- 白井良和「奥三河に咲いたローカル線―田口線回想」 鉄道ピクトリアルNo.461(1986年3月号)
- 徳田耕一「豊橋鉄道田口線」『新鉄道廃線跡を歩く』3 北陸・信州・東海編
- 愛知県(編)『愛知県統計書. 昭和24年』 541頁
- 設楽町(編)『設楽町誌 通史編』
- 飛田紀男、伴野泰弘『鳳来町誌 田口鉄道史編』
- 長篠郷土研究会(編)『長篠村誌』
- 設楽町教育委員会(編)『図録・田口線と用具』 - 「田峯駅前」(代行バス案内、p39)、「豊橋鉄道田峯駅」(本長篠駅祭礼案内板、p51)、
田峰駅
- 石野哲(編)「国鉄・私鉄の廃線停車場一覧」『新鉄道廃線跡を歩く』3 北陸・信州・東海編
- 大蔵省(編)『官報』「地方鉄道運輸開始」
- 鉄道省(編)『鉄道停車場一覧. 昭和9年12月15日現在』
- 日本国有鉄道(編)『停車場一覧. 昭和41年3月現在』 ※「たみね / TAMINE」
- 愛知県(編)『愛知県統計書. 昭和7年 第1編』~昭和10年
- 愛知県(編)『愛知県統計書. 昭和24年』 533頁
- 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和27年刊行』~『愛知県統計年鑑 昭和34年刊行』
- 設楽町教育委員会(編)『図録・田口線と用具』 - 「田峰」(印鑑、p44)、「田峰ゆき」(廃止20周年記念の切符レプリカ、p53)
- 豊橋鉄道創立50周年記念事業委員会(編)『豊橋鉄道50年史』
- 小早川秀樹『豊橋鉄道田口線』 - 白井良和氏の「田峯」を例示しつつ、ダイヤ表、乗車券などから勘案して田峰を採用。田口鉄道発行『田口鉄道株式会社アルバム』からの転載写真には「田峰駅」と記載
- 徳田耕一 『まるごと名古屋の電車 昭和ロマン』
豊橋鉄道田口線において「田峯駅」を「田峰駅」に変更する編集がされたので手元の資料等を確認してみました(田口線関連の本は他にもあるので今度図書館行ったときに確認してきます)。--ButuCC+Mtp 2021年4月14日 (水) 14:48 (UTC)
(追加)--ButuCC+Mtp 2021年4月25日 (日) 13:53 (UTC)
田峯か田峰かの表記について
[編集]当時の駅名標の写真や、残された切符、時刻表の表記は田峰となっている。 多賀城誠(会話) 2021年4月19日 (月) 10:18 (UTC)
- (節統合しました)『設楽町誌 通史編』では「田峯駅」、設楽町教育委員会『図録・田口線と用具』各ページ掲載の写真などによると「田峯駅前」(代行バス案内、p39)、「田峰」(印鑑、p44)、「豊橋鉄道田峯駅」(本長篠駅祭礼案内板、p51)、「田峰ゆき」(廃止20周年記念の切符レプリカ、p53)といった感じですね。引き続き調査しますが、表記揺れの範疇としてはどちらも通用していたとみて間違いなさそうです。--ButuCC+Mtp 2021年4月19日 (月) 16:55 (UTC)
ご参考までに https://kirakuann.exblog.jp/23000307/ 田口鉄道並びに豊橋鉄道社内で使われていた、伝票や現場関係その他の台帳やら書類等の表記は、全て田峰のようです。 地名としては田峰、田峯のどちらでも間違いありませんが、こと駅名の正式名称としては田峰で登記されていたのでしょう。 多賀城誠(会話) 2021年4月21日 (水) 08:47 (UTC)
後継路線バスの停留所名が田峯なので、資料的にも諸説混在し、紛らわしくなるのも無理はありません。 多賀城誠(会話) 2021年4月21日 (水) 08:53 (UTC)
改名提案
[編集]図書館で目星をつけていた文献を一通り確認しました。官報が「田峰」だった時点で半分改名提案を出す気持ちでいたのですが、豊鉄社史や(転載された書籍経由で)田口鉄道発行物でも「田峰」であったことから、田峰駅が正式ではないかという確信が持てました(郷土史や鉄道ライター系が一様に「田峯」なのは参考にした何らかの文献が起点になっている可能性がありそうですね。『長篠村誌』(1958年)→『鳳来町誌』(1996年)→『設楽町誌』(2005年)とか)。
元々「田峰駅」は表記揺れリダイレクトとして存在しており、本提案は「田峯駅」を正式、「田峰駅」を通称とする状態を交換し、「田峰駅」を正式、「田峯駅」を通称とするものです。なお、設楽森林鉄道(田峯森林鉄道)関連については調査しておらず別件と考えています。--ButuCC+Mtp 2021年4月25日 (日) 13:53 (UTC)