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ノート:片岡亮

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ノート:片岡幻亮から転送)

埃は誰にも奪えない氏による記述

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片岡氏は、ボクシング、それも特に亀田兄弟に関して批判記事を書くことが多いようだが、それでは、なぜ、ショー的要素の強い明らかな噛ませ犬的マッチメイク等、亀田兄弟を批判した記事内容と酷似する現象が横行しているk-1等の興行に対しては、何も言及しないのか? フジサンケイ・グループ関連の媒体に記事を書く機会が多いためか、記事の内容に明らかに偏向がある。特定の個人、競技やビジネス上の繋がりがあるグループだけに有利な記事を書く態度が、果たして、ジャーナリストを名乗る人間として最低の資質を備えていると言えるのか?まず、その二重基準の矛盾についてご説明頂きたい。--埃は誰にも奪えない 2007年10月18日 (木) 01:06 (UTC)[返信]

↓拳論から返答が書かれてたよ、埃は誰にも奪えない=PONTAPONTA999さん。 *埃は誰にも奪えない=PONTAPONTA999さん。とあるが、全く無関係。 同一人物であることが証明できる方がいるなら、かかった費用の1,000倍を差し上げますよ。 拳論に1字たりとも書き込んだことはない。 そもそも、拳論というのが何かも知らなかったぐらいだから。 誰かの悪ノリ、もしくは、運営者の自作自演の類でしょう。--埃は誰にも奪えない 2007年10月18日 (木) 01:06 (UTC)[返信]

今のK-1には格闘競技として観戦する興味すら覚えないからです(笑 あれを見て何を熱心に語れと? じゃあ、かませ犬を用語とする闘犬も語らなきゃ公平じゃないですね。大局的には、野球もサッカーも落語もボサノヴァもラーメンも自民党も批判しなきゃ公平じゃないですね(笑 | 05.08.2007 | ★片岡幻亮<拳論> #- URL [ 編集 ]

*それなら、○年○月以降から一切取り扱わないことにしました。 なぜなら、○○が理由です、と説明して頂けませんかね。 熱心に語れなくなった現在の「あれ」とそれ以前の違いを説明する義務があるはずだと思うが。 また、これから先、記事にすることがあるのなら、どういう理由で取り扱うことになったのか、経緯の説明も必要でしょう。--埃は誰にも奪えない 2007年10月18日 (木) 01:06 (UTC)[返信]

>じゃあ、かませ犬を用語とする闘犬も語らなきゃ公平じゃないですね。 *さっぱり意味がわからないが。 記事中に用いた単語の語源になった世界のことまで、一々説明する必要はない。 「かませ犬」という言葉が格闘技界に特有の専門用語であり、理解できない読者も多いだろうと想定するのなら、最初から使わないか、欄外に注釈でもつければ済む話。--埃は誰にも奪えない 2007年10月18日 (木) 01:06 (UTC)[返信]

夕刊フジ連載より。大晦日のK-1興行について 『同大会で魔裟斗、山本KID徳郁、武蔵の3選手の相手が、それぞれK―1が2戦目の元ボクサー、総合格闘技デビュー戦のレスラー、砲丸投げ選手。つまり王者クラスが一様に素人と組まれたようなものだった。  それらはKOシーンを演出するためで、実際にいずれも予想通りのKO決着だった。この力量差歴然の試合でも熱狂して実況される様は、まるでスターのプロモーションビデオのようだ。』 当のフジサンケイ系のメデイアで思いっきりK-1のマッチメイクを批判してますね。

>当のフジサンケイ系のメデイアで思いっきりK-1のマッチメイクを批判してますね。 *まず、大晦日は、(「Dynamite!! USA~」も)フジ絡みの興行ではない。 なので、指摘自体が少々的外れ。 思いっきり批判してますね。と言うのなら、フジが絡んだ過去から現在までの興行について、フジ系のメディア上で継続的に批判を展開してきた形跡がどこにあるのでしょう? 不可解なマッチメイク・判定、経歴の詐称・誇張、有名選手の敵前逃亡・恐喝訴訟騒動、試合直前の不可解な和解演出、数多の無気力試合、他競技を引退した選手、もしくは素人同然の人間や芸能人が特別な審査もないままにリングに上がることの倫理的・健康管理上の問題、ドーピング違反の横行・検査実施の有無、チケットの売上枚数水増し、総合格闘イベントが地上波打切りに至った経緯、暴力団との癒着、巨額脱税等、いくらでもネタはあるのに書かない・書けない理由は何でしょう?特定の個人・団体・メディアに対しての利益誘導型記事、俗に言う提灯記事しか書いていないということは、誰の目にも明らか。それは違う、今までに上記のことに関してもフジサンケイ系のメディアで詳細に取り上げ、批判もしてきたと反論できるかたがいらっしゃれば、ぜひとも、最下段から追記して下さい。--埃は誰にも奪えない 2007年10月18日 (木) 01:15 (UTC)[返信]

コメント依頼から来ましたが、ここでよろしいんでしょうか。さて現在俎上に上っている記述はこのあたりだと認識しますが、現時点で私はその記述の正当性については判断しません。このような批判が信頼のおける情報源にて言及されているという出典の提示を求めます。それがなければWP:Vに反します。例え格闘技ファンの大多数がそう考えていたとしても、出典がなければ書くことはできない、これはウィキペディアの原則の一つです。--MikeAz800o 2007年10月30日 (火) 01:07 (UTC)[返信]

「不可解なマッチメイク・判定、経歴の詐称~巨額脱税等、いくらでもネタはあるのに書かない・書けない理由は何でしょう?」 片岡氏はこういう問題について夕刊フジで書きまくっているわけだが?テレビでも度々言及。 「特定の個人・団体・メディアに対しての利益誘導型記事、俗に言う提灯記事」 そんなものがどこにあったのか出展をひとつでも出しなさい。専門誌への寄稿すら断る人であり、ひとつもないはず。--以上の署名のないコメントは、横浜インディーの汗会話投稿記録)さんが 2007年10月30日 (火) 02:43 (UTC) に投稿したものです。[返信]

>このような批判が信頼のおける情報源にて言及されているという出典の提示を求めます。 ○他競技を引退した選手、素人同然の人間がリングに上げることの倫理的、健康管理上の問題については、過去の格闘歴や引退後の動向を調べれば済む話。 最もわかりやすい例として、曙。 足腰の不調による成績不振が原因で引退し、その後、特に体を動かすこともなかった数年間を経て、試合前数ヶ月のみダイエット程度の運動をしてリングに上がること。 いつまで経っても、過去の肩書きが誇張され伝えられていること。 金子賢という俳優がリングに上がることの是非については? プロ・アマ通じて格闘技経験のないランディ・キムについては? 特別な審査もないままに、キム選手がキック・ボクサーとして紹介されていることについては? 素人同然のキム選手を相手に勝利を収めた澤屋敷選手については? その他、多数のいい加減なマッチメイク、経歴詐称・誇張あり。 少なくとも、あと数十例は挙げられるが、面倒なので省略。 国内でのドーピング検査の実施の有無については、興行会社、jadaに問い合わせること。 違反については、米国の州アスレチック・コミッションで何人もが指摘されている。 総合格闘技が地上波打ち切りに至った暴力団との交際の経緯について出典はいくらでもある。 「記事は捏造。裁判で証明する」とした興行会社の社長がそれを出来ないまま退任。 八百長行為については、総合格闘イベントに携わった元プロレスラー自らが告白済み。 単行本化されている。前身のプロレス団体から八百長行為があったことも認めている。--埃は誰にも奪えない 2007年10月30日 (火) 09:58 (UTC)[返信]

いえ、そういう列挙は要りません。埃は誰にも奪えないさんが記述しようとしているような片岡幻亮に対する批判が記載されている出版物なり報道なりを教えてください。--MikeAz800o 2007年10月30日 (火) 10:59 (UTC)[返信]

書きまくっている、TVでも度々言及というが、亀田兄弟に関することと勘違いしているのではないか。 また、(k-1についての批判を)「書きまくっている」という定義についても説明しなさい。 記事が掲載された回数中の8割なのか9割なのか。 また、亀田兄弟について言及した記事とのバランス(内容)において、それが適当かどうかも。 k-1のマッチメイクを批判したことがあると指摘があるが、フジが絡んだ興行ではない。 それも、批判とも言えない形だけの甘く控え目なもので、亀田兄弟についてと全く違う論調。--埃は誰にも奪えない 2007年10月30日 (火) 09:58 (UTC)[返信]

>専門誌への寄稿すら断る人 ○専門誌とは、どのようなものを指すのか? 専門誌への寄稿すらの「すら」とはどういう意味か? 専門誌で発言することと、他メディアで発言することでは、何がどう違うのか? 専門誌への寄稿を断ることに何の意味があるのか? そもそも、断る以前に片岡氏に寄稿を求める専門誌はあるのか? まず、そこを説明しなさい。--埃は誰にも奪えない 2007年10月30日 (火) 09:58 (UTC)[返信]

>そんなものがどこにあったのか出展をひとつでも出しなさい。 ○いままでの記事内容の偏向ぶりを指摘すれば足りること。 ひとつの記事に限定されるものではない。他の記事との相関関係で決まる。 また、k-1を取り上げないことについて語った「本人」コメントも不可解。 主に記事が掲載されることの多いフジ系の媒体において、フジ系が関与した格闘イベントについて、亀田兄弟同様の内容、分量で批判した記事を確認したことがない。 特定の競技、人物とフジが関与した格闘イベント。 いずれにも共通する、もしくは、フジが関与した格闘イベントでは更に不可解な点が多数あるにもかかわらず、特定の競技、人物においては執拗に非難し、フジが関与した格闘イベントにおいては触れないということこそが、「特定の個人・団体・メディアに対しての利益誘導型記事」に該当する。--埃は誰にも奪えない 2007年10月30日 (火) 09:58 (UTC)[返信]


>現時点で私はその記述の正当性については判断しません。このような批判が信頼のおける情報源にて言及されているという出典の提示を求めます。それがなければWP:Vに反します。例え格闘技ファンの大多数がそう考えていたとしても、出典がなければ書くことはできない、これはウィキペディアの原則の一つです。 ○記述の正当性については判断しないという個人が、断り無く文章を削除する。 また、編集に制限をかける。これこそ、「荒らし」と呼ばれるべき行為。 削除するなら、出典の提示を求めるなり、ノートで議論するなりしてからというのが筋。 そうでない以上、一旦、削除した記事を元通りにするのも筋。 これはウィキペディアの原則以前のこと。 それをしないのは、単に都合の悪いことを書かれたくなかったから、と判断されても仕方がない。 また、大多数がそう考えていながら、出典がなければ書くことはできないということもない。--埃は誰にも奪えない 2007年10月30日 (火) 09:58 (UTC)[返信]

私は記事の方は触っていません。別の人と勘違いなさってませんか。--MikeAz800o 2007年10月30日 (火) 10:59 (UTC)[返信]
>また、大多数がそう考えていながら、出典がなければ書くことはできないということもない
埃は誰にも奪えないさんが何らかの手段で世界の真実を知ったとしても、それだけではウィキペディアに書けないというのはご理解頂けてますでしょうか。私達は、真実はこうこうである、と書くのではなく、これこれの文献に真実はこうだと書かれていた、と書かなくてはいけないのです。埃は誰にも奪えないさんは批判文を専門誌へ投稿することを検討するべきかも知れません。それが掲載されれば、当初は一読者の意見に過ぎなくても、賛同者が現れて片岡幻亮バッシングのムーブメントを引き起こすかも知れません。そうなればウィキペディアに書くに足る事象となり得るでしょう。--MikeAz800o 2007年10月30日 (火) 22:36 (UTC)[返信]

保護依頼提出へ

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埃は誰にも奪えない氏の、個人的評論・主観による判断を執拗に記述しようとし、それを「まず記事本人の中立性を中立性を持って判断したい」というような、要領を得ない説明をしで差し戻す行為がやまない為、保護依頼を提出しました。なかなかご理解頂けないようですが、事典は、人物記事であれば、当該記事人物に対する非難・批判・裁定の場ではありません。ウィキペディアは何でないかをご覧下さい。--Huskys 2007年10月27日 (土) 14:17 (UTC)[返信]

差し戻す行為がやまない為って、一体、何度書き直したことを指して言っているんだ? ここは、k-1ファンの集いの場でもなければ、片岡氏の狂信的擁護の場でもない。 人物についての評価や仕事ぶりについて書くのは当然であり、単なるエピソードより優先される。 それは違うというのなら、まず、ノートにコメントを残すべきだと思うがどうだろうか? 事実関係まで無視して削除や保護依頼する理由が見当たらない。 特定のメディアや会社、人物から金銭の提供を受けて都合の悪い記述を削除しているのではないのか? --埃は誰にも奪えない 2007年10月30日 (火) 10:11 (UTC)[返信]

あなたは、どうも以前のやり取りを見ていても、中立的な観点から見て問題のある記述について指摘したものを、「狂信的な擁護」だの、上の通り、「事実関係まで無視して削除や保護依頼する理由が見当たらない。特定のメディアや会社、人物から金銭の提供を受けて都合の悪い記述を削除しているのではないのか」などというように、自己の思考回路だけに依る思い込みが激しいようですね。他の方は知りませんが、私は、あなたの、当該記事人物を糾弾、問題提起的に評論しようとしている記述に対して、そもそも事典は当該記事人物の賛美、中傷、評論、評価やどういう人物かという裁定の場ではないとの方針に基づいて問題視しているだけです。正直、あなたのように、当該人物に「関心」はないのです。事典の方針に基づいて問題があるから削除しているまで。まず、そこを間違わないようにして下さい。あなたは、その思い込みに終始していますが、中傷に限らず賛美も同じです。要は、事典の内容は、週刊誌の記事など、何かを提起する「報道」とは違うのです。そこを理解しようとせず、中傷を除去したら擁護だ賛美したい特定の連中だ、という理屈から脱しないから、いつまで経っても平行線なのです。氏を糾弾、問題提起したいなら、マスコミに記事を売り込むなり、ご自身のブログででもやって下さい、ということです。まず、事典とは何か、という方針を理解する必要がありますね。どうも、根本の方針の無理解があるようなので、その理屈に執着し続けるようでしたら、方針文章の要熟読対象ユーザーとして管理者伝言板に報告せざるをえません。--Huskys 2007年10月30日 (火) 10:32 (UTC)[返信]

○まず、文章のどの部分が中立的な観点から見て問題があるのか、具体的に指摘するのが先。 どの部分が糾弾にあたるのか?問題提起的評論なのか? それから、出典の提示を求めるなり、ノートで議論するなりする。 最後に、削除、訂正といった手順を踏むのが筋。 そういった当然の手順も踏まずに、全文を削除、「保護依頼」、「報告」をする。 こちらが手順に疑問を呈しても、それについては何も返答がない。 今はノートで議論する段階であって、いたずらに「保護依頼」、「報告」する段階ではない。 ウィキペディアの…を強調するのなら、きちんと手順を踏むべき。 「報告せざるをえません」タイミングを自己判断するものではない。 上記のことをノートで議論した後、考えればよいこと。 以上の通りですから、まずは「保護依頼」や「報告」を取り下げて下さい。--埃は誰にも奪えない 2007年10月31日 (水) 03:01 (UTC)[返信]

相変わらず「こんにゃく問答」の感が否めませんが・・・苦笑。まず、どこが問題かというのは最初に挙げていますが?除去した部分そのものなんですが?それを今さら「どこが中立的観点で問題がある個所なのか」と聞くあたりに、あなたが、何度も言っている、事典は当該人物の評論・評価・問題提起・裁定の場ではないという方針や、Wikipedia:中立的な観点、ウィキペディアは何でないかという理解の無自覚を露呈してしまっています。その他、保護依頼は自己判断ですべきではないとおっしゃっていますが、問題がある記述や行為が続けば、ウィキペディアんの誰でも依頼はできます。依頼した上で、ここで議論をすべきでもあります。「議論すればよいのだから、保護依頼はするな」とする理由が分かりませんし、保護依頼されるとまずいことでもあるのでしょうか?恣意的な記述姿勢に問題を問われる人ほど、往々にして、都合が悪いのか何なのか、やれ保護依頼や管理者伝言板への報告を取り下げろと言うものですが、何か、十字架を見せられたドラキュラ的なものを感じます。そもそも、あなたがなぜ自己の、当該人物への問題提起的な記述に固執せねばならないのか、他は理解に苦しみます。その素朴な疑問に答えることはできないのでしょうか?そして何度も言っているように、事典としてのウィキペディアはそうした場ではないのです。繰り返し、それがしたいのなら、自己でブログでも作って書くなり、マスコミに問題提起するなりすれば良いのでは?ということ。ここではできませんよ、と言われているのですから、それを守れないなら、申し訳ないですが貴方が退場すべきです。なお、管理者伝言板の「方針文章の要熟読」への通報は済んでいます。あとはあなたが理解できない限り、私が言うことは繰り返しになりますので、コメント依頼にも出しているので、他の方とも議論してみて下さい。皆さん、おそらくこの件に関しては、似たり寄ったりのことを言うとは思いますが・・・。--Huskys 2007年10月31日 (水) 03:29 (UTC)[返信]
コメント依頼から来ました。編集について、議論することは大いに結構なことだと思います。ただし、ウィキペディアには基本原則がありますので、それらを守った編集を心がけましょう。さて、Wikipedia:独自研究は載せないをご覧下さい。こちらに書いてあることを遵守していれば保護依頼などは不要になります。信頼できる情報源を明記することが必要です。独自の解釈は加えず、信頼できる情報源に基づいた記述を心がけましょう。私のように、当該人物をまったく知らない人間のためにも情報源をご提示いただければ幸いです。--Sanpei99 2007年11月1日 (木) 19:04 (UTC)[返信]