ノート:人間宣言
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(ノート:新日本建設に関する詔書から転送)
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このページの見出しを人間宣言から変更すべきでは?
[編集]一般的に通用する新日本建設に関する詔書、そしてマスメディアが一方的にねつ造したととられてもおかしくない通称を悪意をもって普及させたことを記述すべき。 正式名称ではなく通称を使用するなど言語道断、昨今の狂信的勢力が言っているようなことを引用すれば、トンスランドというページでトンスランドとは大韓民国の通称であるなどと記述されているようなものである。 さらに言えば主語のない文章とはなんぞや?通称といっても『人間宣言』だけでは通じまい、『天皇(陛下)の人間宣言』とすべきである。--掩憂い該千華(会話) 2014年10月10日 (金) 14:41 (UTC)
コメント この詔書のウィキペディア日本語版での記事名については、平成19年に一度議論が行われています。過去ログ化されて参照しづらくなっているので、当方を含む当時の各位の投稿内容について、ここにリンクを示しておきます。
- 改名議論の要約(当方が勝手に作成したものにつき『我田引水ではないのか』との批判は甘受します。)
- 当該議論を受けてなされた移動依頼
- 参考までに、ウィキソース日本語版のほうでは、『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』という「件名」を記事名とすることで落ち着いています。--無言雀師(会話) 2014年10月10日 (金) 17:48 (UTC)
- コメント 率直に言って、よく分からないご提案だと感じました。確かに、詔書の発表当日、新聞の見出しでは神格についてふれていないし、昭和天皇ご本人も1977年8月23日の会見で、「神格の放棄(※人間宣言のことでしょう)はあくまで二の次」「民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す」と明言なされています。過去の議論でも、「人間宣言は勅書の一部分で、主目的も別にあるのに、記事の内容は詔書の全体を扱っているのは問題」と私は申し上げました。「日本人には当たり前のことだったから、人間宣言はニュースとしての価値がなかった」という学術書も記事に書いてありますね。(追記したのは私ですが。この学者さんの専攻は近現代の日本史だそうです。)
- ただ、それがどうして「主語のない文章とはなんぞや?」「『天皇(陛下)の人間宣言』とすべき」という話になるのか全く理解できません。「だから新日本建設に関する詔書に戻せ」というのなら話は分かるし、賛成するのにやぶさかではないのですが。--伏儀(会話) 2014年10月15日 (水) 07:28 (UTC)
三島由紀夫
[編集]三島由紀夫の反応について、明確に本人の言であるものはともかくとして、小説を出典とするのは適切でないと思い、後者は除去しました。 --2001:268:C085:C109:BC58:687F:1779:6C12 2021年11月10日 (水) 03:34 (UTC)