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ノート:始祖鳥/2007年の論争

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他のサイトの抗議

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記事にリンクがある他の外部サイト(個人サイト)にウィキペディアへの抗議が書かれていましたので問題提示をしておきます。抗議内容についてはリンク先を参照ください。

Bdy 2007年1月21日 (日) 00:03 (UTC)[返信]

参考にしたのではなく模倣したというのであれば、この記事は削除依頼に出さなければならないのですが、どうなんですかね。 -- NiKe 2007年1月21日 (日) 00:05 (UTC)[返信]

著作権とは何かをもう一度勉強しなおす必要がありますね。--Bdy 2007年1月21日 (日) 00:07 (UTC)[返信]

構成も文章も違いますから、その方の考えすぎではないかと思います。ウィキペディアは独自のものを書かないという原則をもっており、ある意味後追いの要約サイトこそ我々の理想ですから、そういうところを「模倣」と言われるなら、それはその通りだろうと思います。が、特にそのサイトを「模倣」したかどうかまでは、わかりませんね。それと、外部リンクとして掲載するのは、まさしくウィキペディアの流儀です。この場合には、読者が参考にすべき基本的なサイトという意味でリンクしたのでしょうから、あちらを軽く見ていることにはなりません。ライバル視されるのは困る気がしますが、外部からのウィキペディア批判はあってよいと思うので、我々が特に対応をとる必要はないでしょう。Kinori 2007年1月21日 (日) 02:27 (UTC)[返信]

模倣は違うでしょう。参照もしくは参考が正しい表現でしょうね。 本記事の履歴を飛び飛びに確認しましたが、色々な方が少しずつ文章を増やしていった典型的なウィキペディアの記事のようです。「ある時点で大量の文章を他のサイトからコピペした」ような形跡は見当たりません。 従い、著作権侵害云々には当たらないし、削除申請云々は本末転倒と思われます。 しかし、「抗議」に対する対応は誠意をもって行う必要があると思います。 外部サイトの作成者自身も、表現が違う以上は本記事が著作権侵害ではないといっています。 次に主張しているのは、パラグラフの構成や内容が自サイトを参考にしたものだろうと推測しています。 本当に本記事の編集者の誰かがそのサイトを参考にしたのかどうかは、編集本人に聞かないとわかりません。 いずれにせよ、情報源として利用している先を、外部サイト(個人サイト)のようなあいまいな表現ではなく、参考文献(参考外部サイトでもいいかもしれません)にせよ、というのが当該サイトの作成者の主張です。 (外部サイトと書くのが「ウィキペディアの流儀」といっても、その意味が相手に伝わらなければ無意味です) 当該サイトへのリンクを参考外部サイトと書くべきでしょう。 Bdy 2007年1月21日 (日) 06:01 (UTC)[返信]

そのサイトの作者の人に伝えるために、この記事だけスタイルを変更するということですか。それはウィキペディア側で納得を得られないと思います。ここで変更してもたぶんか誰かが元に戻してしまうでしょう。それに、書いた本人でない私たちが、そのサイトを特別に参考にしたと認定するのも、どんなものでしょうか。実際問題としてそこまでの類似はないと思いますし。リンクに際しては社会通念上必要とされる礼儀を払えばよいのであって、リンク先の賛同は条件にならないと思います。Kinori 2007年1月22日 (月) 03:19 (UTC)[返信]

それでは、なんらかの「誠意」をどうやって示しますか?Bdy 2007年1月22日 (月) 11:51 (UTC)[返信]

対応としては、何もしないというのが私の考えです。Kinori 2007年1月22日 (月) 12:28 (UTC)[返信]

外部サイトでクレームの声があるときに、「何もしない」という対応は事態を悪化させる可能性があるとは想像できませんか?Bdy 2007年1月22日 (月) 14:40 (UTC)[返信]

(追記)実際、悪化しているようです。Bdy 2007年1月22日 (月) 14:55 (UTC)[返信]

しかし、どんなに素晴らしいサイトであろうと個人運営なら「個人サイト」です。そして、Wikipediaにおいて個人運営のサイトを「参考文献」として挙げるわけにはいかないと考えます。残念ながら、個人運営のサイトはいつ消失するか分からないのですから。 -- NiKe 2007年1月23日 (火) 01:54 (UTC)[返信]

Bdyさんへ。あちらのサイトにウィキペディアのこの記事との比較対照表が作られましたね。こちらの議論を読んでいるのでしょう。私はその比較を見て、「模倣」や「劣化コピー」ではないとの思いを強めましたので、他の執筆者を悪者にするような形で対応したくありません。かといって、逐一反論して批判を取り下げさせようと努力するのも、ウィキペディアのあり方にそぐわない気がします。
そして先ほどのBdyさんの編集についてですが、注記の変更はそれで良いと思います。しかし、参考文献と外部リンクを分けるスタイルを、この記事においてだけ崩す特別な事情はないと思います。Kinori 2007年1月23日 (火) 05:01 (UTC)[返信]
削除依頼のほうにも意見が出ていますが、「この記事においてだけ崩す」のではなくて、個人ページでも参考文献に加えて問題ないということで全体の意識あわせをすればよいのではないかと思います。もっとも、「個人運営のサイトを参考文献として挙げるわけにはいかない」という主張が、(現状でも)正しくないと思いますけど。--Tamago915 2007年1月26日 (金) 10:01 (UTC)[返信]

著作権侵害の疑い

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上記の外部サイトで本記事との対比図が示されており、それを見る限りでは残念ながら本記事がそのサイトからの剽窃を含む可能性は非常に高いようです。先ほど削除依頼を出しました。 -- NiKe 2007年1月23日 (火) 02:34 (UTC)[返信]

検証可能性の観点

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削除依頼の方でも議論が進んでいますが、こちらにコメントいたします。問題になっている外部サイトですが、これの模倣であるか否かという問題もさりながら、ウィキペディアの記事としてこのサイトに依拠した記述を認めるべきなのかという(ウィキペディア内部の)問題があります。これはWP:Vにかかわる問題で、私見を結論から述べれば、当該外部サイトはWP:V#自主公表された情報源にど真ん中で該当するもので、「原則として適切な情報源としては認められません」。「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう」と同じ場所にかかれていますが、私がざっと見た限り当該サイトでは、サイトの著者・作者の氏名・経歴等一切の情報がほとんど匿名の状態であり、関連分野において著名な専門研究者に該当するかどうか確認する術もありません。わたしは古生物学などには全く無知ですので、当該サイトの内容がどの程度学術的観点から妥当であるかは判断できませんが、 ウィキペディアは、出典・参考文献に関しては、学術雑誌・学会等で認知された専門家による記述である事を以てその内容の妥当性を確認する、「トラの威を借るキツネ方式」ですから、匿名の著者による記述は、それが一見、十分専門的に見えても、また、専門家を称するウィキペディアンが妥当だと確認したとしても、これを出典、また外部リンクとして掲載し、またこれに依拠した記述を行う事は控えるべきであると思います。サブカルチャー的な話題に関する記事ならいざ知らず、この項目のように、純粋に学術的な内容を話題にした記事に関しては、特に厳格にWP:Vの基準を適用するべきではないでしょうか。--Pugnari 2007年1月26日 (金) 13:56 (UTC)[返信]

削除依頼のコメントの中では、Y tambeさん、ウミユスリカさんなどが、当該外部サイトが検証可能性を満たしているとの見解を示しています。「論文を孫引きで利用するべきではない」という立場を厳格に守って、このサイトからの参照を完全に除去する方向もあるとは思いますし、このサイトを参考文献として明示の上で利用するのも、ありだと思います。
一般論として、Wikipedia:検証可能性では、「検証可能性を満たした個人サイト」の存在を想定していないように読み取れました。そのため、こういったサイトの記述を使用できるかどうかについては、どのガイドラインを根拠とするかによって全く反対の結論が出てしまう可能性があります。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいというガイドラインもあるわけで、ウィキペディアの成長・発展のためにどうすべきかを考えていけばよいと思います。--Tamago915 2007年1月26日 (金) 14:47 (UTC)[返信]
「検証可能性を満たした個人サイト」というのが、そのサイトに参考文献があげられている事を指すなら、問題のサイトはそれに当たるのかもしれません。しかし、そのサイトの著者がそれらの参考文献に基づいて「独自の研究」を行っており、それが他の2次資料で確認できない場合、どうするのでしょうか。ウィキペディアンが当該サイトに上げられている参考文献をくまなく確認し、当該サイトの記述の正確性に問題がないと確認すればいいのでしょうが、それを行った暁にはもはやそのサイトを参考文献として掲げる理由がありません。
もちろん、参考文献があげられていても内容の正確性に問題が生じるといったことは、ウィキペディアの記事そのものにもいえる事ですが、ウィキペディアは、ウィキペディアの記事よりもより信頼性の高い情報源に基づいて記述されていなければならない、というのがWP:Vの精神であると思います。「検証可能性を満たした個人サイト」というのが、ウィキペディアの各基準を満たした外部サイトにおける記述という意味であり、著作権に問題がない場合でも、その外部サイトが理想的な出典であるとは思えません。なぜなら、そのサイトが信頼できる2次資料に基づいて中立的に、検証可能性を満たして書かれた外部サイトであったと仮定しても、それを参照して書いた文章は、執筆者が直接信頼できる2次資料を確認しなかったという点において、原理的に信頼性の減少が生じているからです。ウィキペディアの発展とは、情報の量が増える事だけではなく、情報の質、信頼性の向上をも意味するのでしょうから、ウィキペディアが百科事典としての信頼性を確保するためには、特にこのような基本的な学術的項目に関しては、出典を厳選すべきとする現行のWP:Vや翻訳中ではありますがWP:RSの基準を厳格に保持すべきであると考えます。
もし今回のような外部リンクをウィキペディアのよって立つべき参考文献として一般に許可することに変更するなら、それは「トラの威を借るキツネ方式」の放棄を意味しており、WP:Vの根底を揺さぶる大改変のように感じます。--Pugnari 2007年1月26日 (金) 15:29 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。削除依頼の方では「研究者的なものの考え方」をそれ以外の人にどう書いたら理解してもらい、説得できるのかを悩みながら書いたので(総説というものの学術的な位置付けの理解や、「プライオリティ」という言葉で通じるのか、など)、正直言うと自分の考えを伝えにくい部分もありました。PugnariさんみたいにWP:RSやWP:Vについて理解されている方を相手に、こちらで議論する分には、もう少しだけ細かく突っ込んだ話ができそうで助かります。
えーと、まずPugnariさんの言わんとするところは判りますし、最後の主張については私も同意します。削除依頼の方でスのGさんも言ってますが、私も「外部サイトでも参考文献として良い、という部分だけが敷衍しないことを希望」するということに全面的に賛成します。あくまで今回のケースは個別の判断に基づきます。
まず、当該サイトは「そのサイトが信頼できる二次資料に基づいて」書かれているだけでなく、参考文献として一次資料も挙げた総説的な位置付けにある内容であたる、すなわちこれ自身に二次資料(総説)としての解釈が可能だという側面があります(原著作者が主張しているのは、その総説的な総括のやり方についてのプライオリティですね)。つまり「お墨付きのない二次資料」にも相当するという解釈です(「専門の研究者と同等」と向こうで書いたのは、そういう、研究者が非専門家向けに書いた総説を想定してます)
では、それに代替可能な「信頼できる二次資料がどの程度あるか」というと、Pubmedで「Archaeopteryx」のreviewで見つかるのは PMID 10845087 の一つのみ、しかも2000年のもののみで最新の情報が反映されていない可能性があります(この分野でPubmedを使うのが妥当かどうかは悩みましたが、近年カバーしている領域が広がってますし…それと専門の教科書あたりは未チェックです。このへんは判断材料の収集に「詰めの甘さ」がありますがご容赦を)。このことから、この分野はそもそも「信頼できる二次資料」自体が少ないのではないか、と判断しました。科学分野でもマイナーなところでは、在野の研究者や一般愛好家、蒐集家が公開している資料が有用であるという、いわばサブカルチャー系と同様な事情を持ったケースが存在しますので、今回はそれに該当する、という解釈です。
原著作者の「実際に参照した文献ならば参考文献として挙げるべきだ」という主張は、文章書きにとっては反論するわけにはいかない、至極正当なもので、しかも比較による証拠提示もされている以上、実際に「現行版の参考文献である」という事実は覆せないでしょう。で、今後の執筆方針としては、まず「参考文献として妥当である」という例外的解釈のもとで記載しておき、出典の信頼性が疑問視されるというのであれば、信頼できる一次資料や二次資料を読み、内容の信頼性を検証した上でそれらも「参考文献に併せて追加する」というかたちで補強していくのがいいと思ってます。WP:VやWP:RS、WP:NORでの細かな取り決めに配慮することより、もっと本質的に「で、その記事は知りたいことが書いてあるの?」「それは『少なくともBritanicaと同程度に』信頼していいものなの?」という部分を満足させるかどうかが重要だと思います(と、WP:V周りの議論に関わっている人が言うのも問題ありかもしれませんが ^^; まぁ結局のところそれらは「品質保証」のための一手段として後付けで考案されたもの、「目的」達成のための唯一無二の方法かどうかは判らないわけで)。もちろんあくまで「個別の判断に基づく例外扱いのケース」であることは強調しておきますが。
将来的に、この分野での信頼できる二次資料が書かれ(同時にそれは、この文書全体の構成やパラグラフが、どの程度普遍的かを判断する材料にもなるでしょう)、誰か力のある執筆者が全面的な改稿を行って、当該サイトを参考文献から外すときが来るかもしれません。とりあえず、その日がくるまでは、この記事に関しては当該サイトを参考文献として扱い、少なくとも一定レベルには達していると考えられる、この「始祖鳥」の記事を、ウィキペディア上で読者が読める形にしておくのがよいだろうと思ってます。--Y tambe 2007年1月27日 (土) 00:24 (UTC)[返信]
(編集競合気にせず)まずは、Y tambeさんの最後の結論には私も個人的に同意見である事をまずはじめに断っておきます。現状でも他の記事に比べて当該記事がそれなりの水準に達していると「直感的」に感じることができます。私は生物学はどちらかといえば苦手というか、全く知らないし興味もとぼしいので「直感的」としか言い様がありませんが、Y tambeさんのように生物学の素養と学問実践をお持ちの方が、当該サイトが「トンデモ」の領域に足を踏み入れていないと判断されるならば、私としてはそれに異を挟むものではありません。
準拠する2次資料については、たとえばGoogle Booksで見る限りでもそれなりに信頼の置けそうな教科書の類いは存在しています(当然ですけど ^_^;;)。ウィキペディアは、読者の知りたい情報が書かれているべきというのも一方ではありながら、そこにかかれている情報が信頼にたるものである事をある程度保証できなければなりません。その意味で、「最新の研究結果」が反映されている必要もありません。科学の分野においても、「最新の研究結果」がその次の「最新の研究結果」で否定される事はしばしば起こる事でもあるからです(NatureとかScienceで査読された記事でも、内容がねつ造だったなんて言う話もちらほらありますしね)。また、古生物学や考古学の領域では、いわゆる「セミプロ」による「研究」が盛んに行われている事は何となく存じていますが、それらが信頼するに足る「研究」であるのか、学問にとって最も重要な要素である「ディシプリン」の観点から、私個人としては、比較的大きな疑問を持っています。そしてこの懐疑的姿勢は現行のWP:Vとも共有していると思っています。
この記事に関しては、現状はまだ記事の完成へと向かう途中段階であるということを強く認識すべきです。その限りにおいて、問題のサイトを参考文献として掲げる事は構わないでしょう。しかし、Wikipediaの基準により厳密にしたがうならばTemplate:正確性Template:Unreferencedの貼付、Wikipedia:修正依頼への提出などを行えばより良いと考えます。--Pugnari 2007年1月27日 (土) 04:06 (UTC)[返信]
ここでの議論内容に関する話し合いが別の箇所でもなされています。関係する人は一読が必要と思い、リンクを貼ります。
さて、上の人の発言中で「この記事に関しては、現状はまだ記事の完成へと向かう途中段階であるということを強く認識すべき」とありますが、wikipediaの記事は全てが記事の完成へ向かうよう編集途上であるではないでしょうか? 記事が完成して編集がフィックスされた記事があるのなら、教えてほしいな。ミリガン 2007年1月27日 (土) 11:37 (UTC)[返信]

(インデント戻し)全てが編集途上であると思いますよ。だからこそ、「この記事に関しては、問題になっている外部リンクを出典として認める」という結論で問題が解決するわけではない、という自明な主張を繰り返しているまでです。--Pugnari 2007年1月27日 (土) 14:43 (UTC)[返信]

本当に参考にしているの?

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通りすがりのものですが、この記事は本当に抗議先のサイトの情報を本当に参考にしているの? 本当は参考にしていないのに、参考文献とかしたら、それはおかしいですね。 そのような議論がこのノートで全くされていないのは奇異に思います。

さらに、Pugnariさんの論拠は本当は参考にしていないならば、全て瓦解するわけです。 Pugnariさんが自論の正当性をうるためにはこのことを明らかにしない限り説得力無いですね。紫蘇巻 2007年1月27日 (土) 03:53 (UTC)[返信]

(スタイル修正しました)私は記事の内容にまで踏み込んで議論を行っていません。既に断っているように古生物学の素養は全くありませんし、興味も差ほどないので、既存記事と問題の外部サイトの類似性、また本当に参考にしたのかという点に関して検証を行ってはいません。それに、本当に参照したかどうかは実際に編集を行ったウィキペディアンのみぞ知るところです。
ということで、私はあくまでそのサイトを参照して記事を書いたと仮定して、方針文書との整合性を問題にしているだけです。その限りにおいて、私自身がこれら検証を行わなければ私の議論が「瓦解する」という事はあり得ません。机上の空論になるかもしれませんけど。もし、当該サイトを参照していないと結論できるならば、静かに外部リンクを消去すればいいだけのことで、そうなればよりメデタシメデタシな話な訳ですよ。
しかしながら、記述の類似性を指摘して、参照したのではないかと呈された疑問に対して、どのような方法で「参考にしなかった」ことを証明せよと仰るのです::か?良い方法をご存知なら提示していただきたいところです。私が思いつく限り、最も明白な方法は、類似性が指摘された部分を違う方法で書き換える事ぐらいでしか対処できないように感じます。--Pugnari 2007年1月27日 (土) 04:18 (UTC)[返信]

このノートは当該記事の内容に関する目的のものです。 内容には関知しないというPugnariさんの発言には「はあ」と嘆息するしかないですね。 Pugnariさんはこのノートで発言する資格はないし、Pugnariさんの意見の正当性も説得力もないことがよくわかりました。紫蘇巻 2007年1月27日 (土) 06:00 (UTC)[返信]

議論がないのは、ここまで当該外部サイトを参考にしていないという主張がなされていないからです。そういった主張をされるのであれば、議論はできると思います。向こうが証拠を公開している以上、それを覆す根拠が求められるでしょうが。--Tamago915 2007年1月27日 (土) 06:51 (UTC)[返信]

このノートの#著作権侵害の疑いに関しては、あちらのサイトでも著作権侵害とは言っていないので的外れな指摘ですね。Nikeさんの完全な勘違いでしょう。

#検証可能性の観点 に関しては、こちらのサイトがあちらのサイトを参考にして作り上げたという実証がなされない限り、この記事とは無関係な議論でしょう。紫蘇巻 2007年1月27日 (土) 06:57 (UTC)[返信]

著作権侵害についてはほぼ同意。検証可能性については、何を情報源としたのかを明らかにする必要がありますが、向こうのサイトから証拠を提示されて、ウィキペディア側が反証できていないというのが実際のところです。反証できない以上、向こうのサイトが情報源の少なくともひとつであったということになると考えるべきです。それに、実証できていなくても可能性、蓋然性が高い以上、情報源であったという前提をおいて議論を進めるのは意味があると思います。--Tamago915 2007年1月27日 (土) 07:24 (UTC)[返信]

誰か反証を試みた人がいるの? 反証を試みたけど、「反証ができていない」のですか? 単に誰も、反証など面倒だとやっていないだけでは?

上のほうで、kinoriという方が「放置して黙殺すべし」という意味合いの発言をしていますが、その状態が続いているだけではないですか?

したがい、私の一番最初の疑問に戻るわけです。「本当に参考にしているの?」

紫蘇巻 2007年1月27日 (土) 07:36 (UTC)[返信]

そこまで気にされるのでしたら、紫蘇巻さんが自ら反証するか、反証できる方を探してくださいな。向こうが「参考にされている」と主張しているのに対して、誰もノーを唱えていないのですから。--Tamago915 2007年1月27日 (土) 12:37 (UTC)[返信]

やれやれ、自分の論理の辻褄がつかなくなったあげく、相手に暴言ですか。次の履歴をみてください。

2007年1月27日 (土) 16:24 Tamago915 (→本当に参考にしているの? - ウィキペディア側が反証できないことが実証となり得ます)

このような理屈は通じないといっているのです。問題は私ではなく、Tamago915さんの意識にあるのですよ。紫蘇巻 2007年1月27日 (土) 12:51 (UTC)[返信]

では、同じく通りすがりです。火の無いところに煙は立たないわけで、私も両方精査したわけではないですが、該当サイトの方が怒られるのはそれなりの理由がある可能性はけして低くないでしょう。精査した結果、参考文献ではないという判断をくだされることもありえるわけですが、現在は誰も明示的にNOと言えていないわけで、その段階でこのページで見られるような極めて無礼な対応、つまり言いがかりだろうと決め付けて話を進めるのは明らかに、該当サイト管理者の気分を損ねるものであり、状況の解決には寄与しないでしょう。わからないなら誠意をもってまだわかないので調査中なのでしばらくお待ちください申し訳ありません、という態度はとれないのでしょうか?なぜ煽る?結果としてサイト管理者の方の怒りは十分理解できます。--58.70.63.145 2007年1月28日 (日) 04:57 (UTC)[返信]
疑わしきは白なのか、疑わしきは黒なのか。58.70.63.145さんは後者なのですね。一般社会の認識とは異なります。本当に参考にしているのか、単に似ているだけなのか、どちらなのでしょうねえ。ミリガン 2007年1月28日 (日) 05:40 (UTC)[返信]
その二分法は当てはまりません。黒である可能性がある以上、「外部」の人に無礼な対応はしないというのが一般社会、というより法人の通常の対応の仕方ですね。ここで当該サイトの管理者の方が怒っている(事実です)対象のコメントが書き連ねられているわけですが、仮に彼らは黒だと判明した場合に、無礼しましたお許しくださいと謝罪するという覚悟で書き込んでいるのでしょうか?問題はですね、「本当に参考にしているのか、単に似ているだけなのか、どちらなのでしょうねえ。」というコメントがせいぜいでる段階なのに、黒であったら謝罪を要求されかねないような無礼なコメント(繰り返しますが事実として怒りを買っている)を上の利用者さんたちがしていることです。--218.251.16.97 2007年1月28日 (日) 06:18 (UTC)[返信]
黒である可能性?「外部」の人は著作権侵害にはあたらないといっているけど? 無礼な対応というのは、このノートでのNiKeとかいう人の対応とか、 Kinoriとか紫蘇巻とかいう人の発言でしょうか。
「外部」の人が怒っている(事実)としても、だからといって「卑屈」な態度にでる必要はないと思うのですが、いかがでしょう?まず「土下座」から始めるべきなのでしょうか?ご意見をおきかせください。ミリガン 2007年1月28日 (日) 09:53 (UTC)[返信]
なぜ「卑屈」「土下座」という極論なのですか?まとはずれな二分法や二元論に暴走されやすいようですが、世の中スイッチがONかOFFのデジタルな世界ではないのですよ。私はこのノートで見られるようなたとえばあなたの「土下座する必要はない」といったような極めて挑発的で愚かなコメントはするなと申し上げているだけなのですよ。で、黒である可能性っていうのは、著作権侵害のことではなくて、参照して記事を書いたのに参照元として明示しなかったという問題ですね。あなたがそもそも黒とか白とか上で出したわけで、疑わしきは、とか、本当に参考にしているのか似ているだけなのかという事を書いているわけですが、ふらふらしていてまったく応対に困りますね。。--218.251.16.97 2007年1月28日 (日) 19:18 (UTC)[返信]
Kinoriです。長文で失礼します。参考にしたのかどうか、イエスかノーかで答えれば、イエスだろうと思います。外部リンクに掲げられたことが間接的な証拠です。リンクが設けられた2005年11月以降に加筆した人は、一度はそこをクリックしてみたと思います。もう一つの間接的な証拠としては、「始祖鳥生息地」が日本語でもっとも充実した解説を載せているウェブサイトだということです。執筆者の中で、Bird of Featherさんは英語版を参考に記事を書こうとしたようですし、Vogelさんは英語の論文を出典として挙げていますが、ウィキペディアの様態からして、誰も参考にしなかったというのは不自然でしょう。
その一方で私は、上のほうで「特別に参考にしたというほどの類似はない」という趣旨の発言をしました。「始祖鳥生息地」はウィキペディアのこの記事よりずっと大きな量を持ちますから、参考にしなくてもすっぽりおさまる可能性はあります。
まず最初に確認しておきたいのは、「始祖鳥生息地」へのリンクは2005年11月23日 (水) 16:25の版でSaurusさんが付けたもので、彼はこの記事に微修正しかしていないということです。
検討に移ります。類似のパラグラフ構成、たとえば「飛翔能力」を独立したパラグラフとしていることが証拠とされていますが、それは英語版も同じです。初期の英語版の見出しは、「原始的な鳥」「飛んだか跳ねたか」「発見」「これも見よ」「外部リンク」でした。今はそれに「羽」が加わり、「飛んだか跳ねたか」が「飛翔能力」に変わり、「発見」が「分類」と「化石」に分かれています。日本語版の最初の見出し分けはBirds of a Featherさんの2005年12月4日 (日) 04:25の版により、「学名の意味」「始祖鳥に位置づけ」「飛翔能力」「近年の発見」「系統関係図」「標本」「関連」「外部リンク」です。これは現在までほとんど同じです。始祖鳥を論じるときにその飛翔能力にまず関心が向かうのは、普通のことではないかと思います。
また、この記事では初め「大きさは50cm」とする記述があり、それが上記Birds of a Featherさんの加筆で、「頭部の先から尾部の先まで約50cmであり、尾部が長いことを考慮すると胴体のサイズは現在のハト程度である。」となりました。「始祖鳥生息地」は、大きさを独立したトピックとして取り上げ、よくカラスくらいと言われるがハトに近いということを、詳しく説明しています。同時点の英語版には、「現生の鳥と体型が似ておらず、短く広い翼と長い尾を持つ。」「大きさはカササギ程度」とあります。カササギではなくハトとしたところで始祖鳥生息地のほうに近そうです。が、平凡社の「マイペディア99テキスト版」にも「大きさはハトくらい」とあり、ハトに比すことが特別珍しいわけではなさそうです。参考にした可能性はありますが、証拠になるかと言えば、そこまでではないと思います。
学名の意味について、あちらのサイトでは、「古代の羽毛」あるいは「古代の翼」として、発見地で石版材料としての石が採られていたからだと記しています。学名のカタカナ表記は「アーカエオプテリクス」です。現在の英語版には、pteryxの意味は羽毛か翼だと書かれて居ますが、この点に関しては日本語版のほうが先行します。日本語版では、2005年10月6日の版で加筆されました。最初は「アーケオプテリクス、古代の羽も意」(「うもう」のタイプミスか?)で、直後に別の人に「古代の羽」に直されました。2005年11月4日 (金) 09:05の版では、学名を「アルケオプテリクス」、訳語を「古代の翼」に改めた上で、「石版画材料の名産地」に由来すると記しました。さらに学名のカタカナ転写をめぐってノートで議論があってから、今あるものに落ち着きました。ひょっとしたらこのうちの誰かの頭の中に、「始祖鳥生息地」の表記があったかもしれません。それを否定することはできませんが、これらがみな一つのサイトに依存しているとは考えにくいです。
完全を期すためには他の箇所も比較対照すべきかもしれませんが、「模倣」でも「劣化コピー」でもないことを示すにはこれで十分だと思います。
ウィキペディアには履歴があるのですから、以上はみな読めばわかることです。私は最初の段階でウィキペディアの履歴をチェックして、あちらのサイトの過去版と比べました。最初に提起したBdyさんもそうでしょう。その上で「参考はありうるが、模倣でも劣化コピーでもない」と結論しました。その時点であちらの作者の方は、ウィキペディアの記事は自分のところの「模倣」「劣化コピー」と言っておりました。それが事実ならウィキペディアが悪いですが、事実に反しているのなら、「模倣」呼ばわりするほうが無礼です。誰に対して無礼なのかと言えば、それぞれの箇所を投稿した有名無名の執筆者に対してですね。他のウィキペディアンが言うのでも、無礼に変わりありません。現在活動していない執筆者をスケープゴートにして事をおさめようという心理がもしあるなら、改めていただきたいと思います。
さて、その時点での私は、それではこの批判に対してどうすべきなのかを考えました。一つの方法として、逐一反論して抗議するというのが考えられます。しかしそれによってウィキペディアが得るものは小さいと考えました。説明して納得していただける可能性も小さいと思いました。
ついで、批判をそのまま放置したとして、執筆者の名誉が不当に損なわれることになるかを考えました。最新版とあちらのサイトを読み比べた人は、「ああ、過去には模倣だったのかもしれないが、最新版では改まっているのだな」と思うでしょう。誰が模倣したのだろうか、と履歴をあさる人は、「なんだ。言うほどのことではなかった」と結論づけることでしょう。結局、ウィキペディアの名誉は少し損なわれるかもしれませんが、執筆者の名誉が損なわれることはありません。
正直なところ、こちらの履歴もあちらの比較対照図も読まずに議論する人が出てくるとは予想外でした。事実関係を調べずに他人の態度を非難しても、実りがないと思います。
現在では、「参考にしたかどうか」「参考文献に加えるかどうか」が論点になり、もう誰も「模倣」や「劣化コピー」を言うことはなくなっています。あちらのサイトの作者の方も、おそらくその点は納得してくれたのでしょう。それは良いことだと感じております。私が「まったく参考にしなかった」と主張していると考えられたのであれば、それは誤解です。
参考文献をどのように掲載するかは、全体の問題として考える必要があるでしょう。私は数年前にはウェブ上にある基本資料を「参考文献」または「参考文献・外部サイト」という見出しの下に置きましたが、その時はすべて他のユーザーに「参考文献」と「外部サイト」の二つに分けられてしまいました。違和感はありましたが、そういうスタイルなのか、と思って従いました。注機能が新たに付け加わり、出典重視の方針に大きく舵を切った今、リンクの方針を全体の問題として練り直すのはとても良いことだと思います。Kinori 2007年1月29日 (月) 15:45 (UTC)[返信]
完全を期すためには他の箇所も比較対照すべきかもしれませんが、「模倣」でも「劣化コピー」でもないことを示すにはこれで十分だと思います。というコメントが示すところの分析ですが、当該サイトの画像イメージによる「模倣批判」を網羅しておらず、まったく十分ではありません。私は精査していないと上でコメントしましたが、その比較対照図を読んだからこそ、個人的には「黒の批判はけしてまぬがれえない」というバイアスをもって無礼なコメントをするなとコメントしました。[1]を見ると、その他まったくこのページでまったく反論がない要素が数多くあります。たとえば、外部リンクの英語ページが数ある中で2つ同一であるとか、標本列記の仕方が誤表記まで含めてまったく同一であるとかです。外部サイト標本の項:[2]これらは普通にみればそのままコピペしてスタイルだけ整えちゃったんだろうと深刻が疑惑が出て当然ですが、こういうものを意図的かどうかしらないが無視して、模倣していないと示した、参照したかどうか証明なんてできないという路線で話が進んでいるのはどう考えても誠意がないと思いますが、いかがでしょうか?模倣していないと反論するには、最低限、あちらの比較対照図に逐一反論するのは必要です。あと当該サイト管理者の方もお読みになっているので、お願いしたいのですが、あのような比較対照図を作る際には、解像度に問題があるような画像でなく、テキストベースでやっていただきたいと思いました。非常に位置の乱雑さも含め見難いのが精査しにくい要因となっております。--218.251.16.97 2007年1月30日 (火) 07:29 (UTC)[返信]
標本の誤記については、削除依頼に書いた私のコメントを読んでください。外部リンクは2005年12月10日にVogelさんが付けました。彼は他に、始祖鳥の足の指の向きと新聞報道について書いています。「始祖鳥生息地」には、12月6日に同じことについて記した箇所がありますから、それを参考にした可能性は高いですね。しかし同時に彼は少なくとも論文のアブストラクトと、ウィキペディアのノートを読んでいる可能性が高いです。そして、ウィキペディアのノートには、さらに前の12月2日の議論が残されています。そこでは同じ内容についてIganodonさんが指摘しています。
比較対象図の他の箇所の論理は、内容が同じで日付が先なら先のほうを後のほうが参考にしたのだというものですよね。この場合、ウィキペディアのノートのほうが先だから、「始祖鳥生息地」が真似をしたということでいいのでしょうか。具体的な反証がなされるまでの間、「始祖鳥生息地」をウィキペディアの模倣サイトと言ってよいのでしょうか。私はそうは思いません。そこには方法的な誤りがあるのです。Kinori 2007年1月30日 (火) 10:32 (UTC)[返信]
基本的に結論がどうであれ、係争中の案件の過程で拠り所が確立していない無礼な言動を控える事とすることで、当該サイトの方も納得されて、後の問題は純粋にテクニカルに参照した証拠があるかないかということだけになりつつあるようです。[3]。上のKinori 氏の主張は主張としてありますが、ここで問題はけして当該サイトの方がその反論を是として受け入れて「模倣」されたものではないと決着がついているわけではありません。[4]こちらで、当該サイトの管理者の方から再反論が行われているので、主張のある当事者の方はご自分の主張が正しいと確信があるのであればきっちりと「すべて網羅的に」反論しないといけないのが筋でしょう。ひとつでも向こうの方の主張が正しいと認めざるを得ないということになれば、それはとりもなおさず、「模倣した」もしくは「参照した」という明示的な証拠となります。その場合はこのページにおいて外部サイトに自らの誤認により不必要に攻撃的なコメントを残した方々は謝罪する覚悟があってそういうコメントをしたのだろうか?ということになります。--218.251.16.97 2007年1月30日 (火) 21:54 (UTC)[返信]

(インデント戻します&長文失礼)えーと、まず218.251.16.97さんに対してお願いですが、実際にそうさせる意図のあるなしに関わらず、「謝罪」だのという言葉を使われますと、また変な連中がやってきて言葉尻に食いついて引っ掻き回す結果、事態の収束から遠のいてしまうことになりかねませんので、その点ご配慮いただければ幸いです。議論参加者には、それぞれの立場や意見の違いこそあれ、「(回り道ならまだしも)道草せずに問題を解決する」という求心的なベクトルでの議論をお願いしたいところですので。

ただ、一点はっきりさせておきたいのですが、指摘があった直後の、情報がまだ十分集まっていない状況下において、KinoriさんやNikeさんの判断および対処は、Wikipedia内部での処理としては妥当なものだったと、私は思ってます。昨今、Wikipediaが注目を集めるに伴い、「外部」からいろいろな形での干渉や批判が増えており、その中には謂れのない、不合理なものも多く含まれていること。またKinoriさんが指摘されているように、当初は現在の「参考文献に加えるべき」というのとは別の主張が強かったことなどを併せて考えると、これを警戒するとともに、執筆者の名誉保持を図った彼らの行動は、Wikipedia内での行動としては妥当なものだったと考えています。他方、Bdyさんが最初に指摘したことにもBdyさんなりの予備知識と将来的な予測があってのことでしょうし、その判断も間違いではなかったと思いますし、何よりも問題提起という意味で大きな役割があった、と思います(つまり初動時においては、ノートページで論争したどちらの側の判断も、非難されるものではなかった、という考えです)。また、当該サイトでの主張が途中で変遷したというKinoriさんの主張については、実際問題として自分が当事者であった場合に「初めから的確な指摘ができるか」という点を考えると難しく、これも(初動時の印象に影響を与えたろうとはいえ)非難はすべきではないと思います。むしろ今回のケースは、原著作者が科学的手法による反論能力のある人である分、まだ向こうの主張するところがはっきりと判っているケースと言えるのではないかと。個人的には、初動時の「行き違い」はそういう当事者全員の細かな瑕疵の積み重なりによるものとして、双方が「手打ち」としてくれることで(誰かに「謝罪」を要求するなんてことなしに)、実際の問題解決にむけて建設的な議論が進められたらなあ、と願ってます。

ただまぁ、「変な人が絡んでくる」ことが増えてきてるなんて事情は「Wikipedia内部の事情」であって、「外部」の人にとっては与り知らぬことなわけで。Wikipedia内部だけについてならまだともかく、「双方の瑕疵の分で、初動時の頃のことは手打ちにしてよ」と外部の人に言うのも理不尽なことでしょう。その点については、Wikipediaを取り巻く事情について「理解を示していただける」ことを期待するほかありません。議論に関わったものの一人として、御理解いただければ幸いに思ってます。

個人的には、とりあえず削除依頼で「参考文献に加えて存続」という結果が出た時点で、一区切りとして、次のステップの議論を進めていっていいんじゃないかと思ってます。今後、Pugnariさんが主張されているように、それぞれの記述を別の参考文献で置き換えて行くのか(外部リンクのあり方については、私は別の意見を持ってますが、それはまた別のところで)、だとしたら「どの程度改変されたら、別の参考文献への『置き換え』が可能だと言えるのか(=過去に参考にされた文献はどこまで保持する必要があるか)」「実際に執筆過程で参考した文献のうち、どの程度のものまで『参考文献』に加える必要があるのか」など、またややこしい問題が先に控えているように思いますので。--Y tambe 2007年1月31日 (水) 03:11 (UTC)[返信]

まとめ

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問題の焦点は端的に言えば、当該サイトのリンクセクション名を「外部リンク」から「参考文献」に変えるかどうか?につきると思われる。

議論が長大であるので、観点に集中して整理してみた。(以下、斜体は引用文)

  • (参考)始祖鳥生息地からの声
    • 当地の主張はシンプルです。「当地を参考にするのは構いませんし、表現を変えているならそれは著作権侵害ではありません。ただ、執筆の上で当地を参考にしたならばそれを参考文献に列挙することが学問のルールだと思います。」

これに対して、いくつか意見が分かれる。

  • (1) 変える必要はないという意見
    • Kinori氏:対応としては、何もしないというのが私の考えです。/ 私はその比較を見て、「模倣」や「劣化コピー」ではないとの思いを強めました
    • NiKe氏:どんなに素晴らしいサイトであろうと個人運営なら「個人サイト」です。そして、Wikipediaにおいて個人運営のサイトを「参考文献」として挙げるわけにはいかないと考えます。残念ながら、個人運営のサイトはいつ消失するか分からないのですから。
    • 紫蘇巻氏:この記事は本当に抗議先のサイトの情報を本当に参考にしているの?
  • (2) 変える方向の意見
    • bdy氏氏:「抗議」に対する対応は誠意をもって行う必要があると思います。
    • Y tambe氏 :当該サイトは「そのサイトが信頼できる二次資料に基づいて」書かれているだけでなく、参考文献として一次資料も挙げた総説的な位置付けにある内容であたる... 原著作者の「実際に参照した文献ならば参考文献として挙げるべきだ」という主張は、文章書きにとっては反論するわけにはいかない、至極正当なもの
    • 58.70.63.145氏:私も両方精査したわけではないですが、該当サイトの方が怒られるのはそれなりの理由がある可能性はけして低くないでしょう。
    • 218.251.16.97氏:黒である可能性がある以上、「外部」の人に無礼な対応はしないというのが一般社会、というより法人の通常の対応の仕方ですね
  • (3) 変えてはいけないという意見
    • Pugnari氏:私見を結論から述べれば、当該外部サイトはWP:V#自主公表された情報源にど真ん中で該当するもので、「原則として適切な情報源としては認められません」。
  • (4) 旗色不鮮明
    • Tamago915氏:(どうしたいかの表明なし)

以上、さまざまな意見があるが、どの意見に従うべきなりや? --たれパンダ 2007年1月29日 (月) 13:16 (UTC)[返信]

取りまとめていただけるのであれば大歓迎です。私の意見は、上で Y tambe さんに触れていただいたように「外部サイトでも参考文献として良い、という部分だけが敷衍しないことを希望」ということを前提に、あくまでも今回は例外として、当該サイトを参考文献として挙げるべきというものです。条件付きの (2) とでも言えるでしょうか。--スのG 2007年1月29日 (月) 13:36 (UTC)[返信]

  • (意見表明)とはいえ、どっちでもないですが、参照しているなら参考文献に挙げざるを得ず、参考文献に挙げないのであれば、重複する記述は編集除去、ではないでしょうか。1、3の御意見の方は、そういうことでよいのか、記述は残すということなのかを明らかにしてほしいと思いました。参考にしていないということが示されるなら、このままでもよいと思いますが、難しそうです…。--Ks aka 98 2007年1月29日 (月) 13:56 (UTC)[返信]
  • (私も意見表明&整理要約)特段の事情がない限り、WP:Vの観点から、参考文献としては原則取り上げるべきではないし、もしこれを参考文献として書かれていると疑われる箇所があれば、将来的には修正したほうがいいとおもいますが、今すぐ直ちにとはいかないかもしれません。Kinoriさんの分析などを読むにつけ、参考にしていないことを証明することはほぼ不可能だと思います。暫定的に問題となっているリンクを参考文献として残すこともありうるし、暫定的に外部リンクを単に削除するという結論もありえますが、いずれの場合でもTemplate:正確性Template:Unreferencedを貼付けることによって、今回の問題が記事の上で未解決(参照箇所の修正の必要がある状態である)ことを明示し、興味のある執筆者の加筆修正を促してはどうかと考えます。ちなみに、WP:ELを尊重するならば、外部リンクとしても残すべきか否か議論の余地があると思います(信頼できる情報源であるか、独自の研究に当たらないかどうか。そのサイトに多くの情報が含まれているあらといって、それがその情報の信頼性を意味するものではないので。WP:ELの掲載してよいリンクにも該当しないが、掲載すべきでない外部リンクのどれかに当てはまるとまでも言い切れないような...)。--Pugnari 2007年1月29日 (月) 16:28 (UTC)[返信]



削除依頼存続終了

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Wikipedia:削除依頼/始祖鳥を存続終了しました。つきましては、削除依頼での議論を尊重して、こちらの議論で結論が出るまでの間は暫定的に

  1. 現在の内容構成のままであれば「始祖鳥生息地」を「参考文献」として扱ってください。
  2. 「始祖鳥生息地」を「参考文献」として扱わないならば、内容構成を「始祖鳥生息地」を連想させないものに全面改稿してください。

よろしくお願いします。--miya 2007年1月30日 (火) 01:22 (UTC)補足2007年1月30日 (火) 04:02 (UTC)打消し線2007年1月30日 (火) 05:44 (UTC)[返信]

趣旨には賛同しますが、どういった立場での発言でしょうか。議論中の案件については、誰であれ個人が記事の方向性を決定することはできないものと理解しています。--Tamago915 2007年1月30日 (火) 03:35 (UTC)[返信]
補足。管理者が削除依頼を終了させるのは、管理業務の1つであって当然なのですが、そのあとの記載内容に踏み込んだ要請について、何の権限で要請しているのかを伺いたく思います。--Tamago915 2007年1月30日 (火) 03:55 (UTC)[返信]
「削除依頼に存続終了宣言した管理者」としての「連絡」です。「私」が「方向性」を「決定」したなどと誤解の無いように赤字で補足しておきます。--miya 2007年1月30日 (火) 04:02 (UTC)打消し線2007年1月30日 (火) 05:44 (UTC)[返信]

この項目の削除依頼を「存続」で終了したことをご報告します。削除依頼の議論の詳細はWikipedia:削除依頼/始祖鳥をご参照ください。--miya 2007年1月30日 (火) 05:44 (UTC)[返信]

Tamago915氏と同様の印象を持ちます。根本には昨今のmiya 氏への各所の議論における不信感よりこのようなコメントがつくのですし、Wikipedia空間でのコメントは当面しない、さもなければブロックするぞby他の管理者@冗談というのはもう喪が明けたのでしょうか?基本的に、削除依頼「存続」終了と、記事内容の方向性を最終的に決めるような「してください」コメントとは相関がない。「存続」結構、では次に参考文献と取り扱うか、それとも連想しないものに全面改定すべきじゃないか?YesOrNoってのが今の段階なんですよ。コミュニティの連携から一歩抜きん出る、もしくは合意プロセスを独自の解釈ではしょる行動は今後慎んでいただきたい。--218.251.16.97 2007年1月30日 (火) 07:03 (UTC)[返信]

Wikipedia:削除依頼/始祖鳥をみると議論終了となっており、結果は、

議論の結果、存続、「参照文献に含める」 に決定しました

とあります。 おそらく、miya女史はこの結果を踏まえて、2007年1月30日 (火) 01:22のような発言をしたのかと想像します。それに対して、Tamago915氏は異をとなえています。 すなわち、Tamago915氏はWikipedia:削除依頼/始祖鳥の議論の結論が不満であると主張しているのでしょうか?あるいは別の理由があって、異をとなえているのでしょうか? Tamago915氏は異論を提出した以上、説明責任を果たしてください。 Solnhofen 2007年1月31日 (水) 01:24 (UTC)[返信]

私も異を唱えたコメントをした以上、補足いたします。そちらの削除依頼は本来存続削除か否かを決めるものであり、そもそもの削除依頼自体Nike氏の不適切な判断により、いわばやらなくてもいいものをわざわざ出したというのがだいたいの見方ですし、それはそこのコメント郡でもわかります。もちろんなされた議論は尊重されるべきですが、同じ面子が時系列的にもこちらでかぶるような形で現在進行形で議論していたわけで、そちらに枝がわかれたからといって、本筋のこちらの議論の流れを無視、あちら側のコメントが出揃った部分をまとめて結果を出すというのは常識的に考えて通りません。端的にいうのであれば、不必要に枝別れした部分の削除依頼の部分がこの本筋よりもなぜか権威づけされてかぶさるように本筋での議論をぶったぎっている。そんなところでしょう。やるのであれば、削除依頼での議論もふまえて、こちらでその方向性で合意がとられるか否かで、削除依頼の場でタイムアップした時点のある管理者の存続削除以外のまとめを無批判に取り入れるという根拠はありません。あと蛇足ですが重要なので申し上げますが、Solnhofenの投稿記録一連の操作をみていると、この始祖鳥の議論のためだけに新たに取ったソックパペットの疑いが非常に濃厚です。いきなりアカウント取得後から大胆で手馴れた様子で始祖鳥ノートページのサブページ化などの操作のみをやっていますが、Miya氏に近い人もしくは当事者ですか? --218.251.16.97 2007年1月31日 (水) 02:07 (UTC)[返信]

まず、私はMiya氏(女史?)でもその側近でもないことを告白します。 次の私の発言が誤読されているようなので、再度説明しましょう。

Wikipedia:削除依頼/始祖鳥をみると議論終了となっており、結果は、

議論の結果、存続、「参照文献に含める」 に決定しました

とあります。削除依頼の本文は議論終了後は編集不可がルールですから、この一文が確定の指示文なのでしょう。

それに対して、Tamago915氏が異をとなえています。 私の要求はTamago915氏の発言では説明不十分であるから、その内容を詳しく述べよ、というのみです。 異をとなえるにしても、様々な立場があります。たとえば、

  1. Wikipedia:削除依頼/始祖鳥の議論の結論は不正である。
  2. Wikipedia:削除依頼/始祖鳥は削除依頼に関するノートであり、それ以外の指示は出せないはずである。
  3. Wikipedia:削除依頼/始祖鳥で、削除以外の議論がされてもいいのだが、この始祖鳥ノートの議論内容を無視するのはあんまりである。
  4. この始祖鳥ノートの議論に参加していない人間がこの始祖鳥の編集に関する指示を出す資格はない。
  5. そもそも、Miya氏(女史?)の昨今の言動が気に食わない。
  6. Miya氏(女史?)の昨今の言動が気に食わないどころか、管理者として不適切である。

等々。

別に、私はTamago915氏の意見に反対でも賛成の立場でもありませんし、ましてMiya氏(女史?)の意見に反対でも賛成でもありません。議論する以上は、その立場々をハッキリとさせるべきといいたいだけです。 Solnhofen 2007年1月31日 (水) 04:00 (UTC)[返信]

上から選べば1および2です。存続・削除の結論は管理者の裁量範囲ですが、それ以上のこと、とくに本文の記述方針については管理者の権限が及ばないものと理解しています。表現は悪いですが、管理者としては、存続か削除かだけ結論を出していただきたく、余計なことはしないでいただきたかったということです。--Tamago915 2007年1月31日 (水) 04:11 (UTC)[返信]
意見表明確認いたしました。これにて私の2007年1月31日 (水) 01:24 の動議は終了いたします。Solnhofen 2007年1月31日 (水) 04:23 (UTC)[返信]
いえまだ告白することが残っています。この編集スキルは明らかに常連レベルのものですが、この始祖鳥のみに特化した編集をいきなりはじめたアカウントを取得したのはなぜですか?誰かのソックパペットではないのですか?お答えください。--60.56.72.78 2007年1月31日 (水) 04:25 (UTC)[返信]

ある利用者がアカウントを別に取得することはウィキペディアでは一般的にはみとめられています。 ただし、「投票行為」などで二重投票を行うことは不正です。

では告白します。私のアカウントは始祖鳥に特化したアカウントとはまさにその通りですが、普段は全く別の分野で活動をしています。 普段の活動とは切り離して今回の問題解決の手助けをしたいために別のアカウントで活動をしています。以上でよろしいでしょうか。(あなたが今回の発言を匿名IPで行っているのと同じですね)

それでは、このノートの本来の議論に各自戻ってください。Solnhofen 2007年1月31日 (水) 04:44 (UTC)[返信]

上でIP投稿したものですが、そういうそもそも別のIDを取るとかナンセンスな行動を各所で見るにつけ、馬鹿馬鹿しくなりすべてIPで投稿しています。今回の発言が匿名IPだというまるで今回だけ隠蔽するような行動を取っているという暗喩については否定します。そもそも問題のある編集で非難を免れないと思ったからわざわざ普段のIDと切り離すというような恣意的な行動を取っているのではないですか?--219.122.235.8 2007年1月31日 (水) 10:47 (UTC)[返信]


その後

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1月末に、「始祖鳥生息地」の作者さんから私を指名しての反論がウェブページにありましたので、2月上旬に私は作者さんとメールのやりとりをしました。その中で、総論で私の考えに同意するが、各論の部分で見解の違いがあるというお返事をいただきました。総論部とは、ウィキペディアが始祖鳥生息地を参考にしたという認識であり、各論部とは、どこがどの程度まで参考にされたという問題だと私は理解しております。作者さんは各論部について反論したいということでしたが、それは今に至るまでありません。多忙もありましょうし、時機を逸したという事情もあろうかと思います。ホームページのトップはまだKinoriに対する「反論待ち」となっておりますが、そういうやり取りがあって、Kinoriと作者さんとの間では一応話がついているということを、事後ではありますが報告します。Kinori 2007年3月28日 (水) 03:05 (UTC)[返信]

随分前のものですがまだ活動されているユーザーなので意見。 証明できない「メールのやりとり」で「作者さんは各論部について反論したいということでしたが、それは今に至るまでありません。」と勝利宣言ですか。客観的に、つまり見ることができる始祖鳥生息地におけるKinoriさんへの反論は、各論部・・・何でしょうこの日本語は、たぶん総論部という言葉も作っているので個別、部分の意味だと思いますが、Kinoriさんによる主張が個別に部分的にされているために一つ一つに答えているもので、「総論で私の考えに同意する」なんて読むことはできません。なぜに、ここで発生した公開の場における議論をメールで行い、その結果をここで公表するのでしょうか。自分と始祖鳥生息地管理者との個人的なものであるとするならば、自称結果もここではなく個人サイトでやるべきです。あなたの主張がここにあり、それに対する反論が向こうにあるのに、向こうに対する再反論の内容は見ることができないのでは信用できません。他者の視点では「Kinoriさんは各論部について反論され、ここの記述を見ると再反論したいということでしたが、それは今に至るまでありません。」と思います。これはノートにおける記述の不当性を訴えるもので、記事本文に関する編集とは関わりがないのでしょうが、記事本文の編集を行うために、「メールのやりとり」をしたはオリジナルリサーチつまり独自の研究ですので注意してください。

また、削除依頼において、議論の結果、存続、「参照文献に含める」 に決定しました。というのも驚きました。この削除依頼は、削除するか否かを決めるためのもので、「参照文献に含める」かどうか決めるものはないし、実際に誰もそんな議論はしておらず決定もしておらず、明確な嘘です。 どちらも2007年という随分前のものですが、今でもそして今後も閲覧可能なものです。他サイトとの関わり合い、はっきり言えば盗作かどうかという今後もウィキペディアの悪い意味で珍しい出来事として注目されるであろう内容でこのような行為は避けて欲しいものです。115.65.24.193 2011年10月31日 (月) 02:25 (UTC)[返信]