ノート:由美子ちゃん事件
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(ノート:嘉手納幼女強姦殺人事件から転送)
この記事は犯罪被害者の人名を含む事件名を記事名に用いています。 日本語版ウィキペディアでは、記事名に被害者の人名を用いることは原則として避けられていますが、被害者本人または関係者が積極的に実名を開示して活動している、または他の適切な記事名がないなどの理由により、当記事では例外的に実名を使用しています。より適切な記事名がある場合は、改名を提案してください。 |
改名提案
[編集]『沖縄大百科事典』には本事件は「由美子ちゃん事件」(現状ではリダイレクト)という名称で収録されている[1]ほか、以下のように「由美子ちゃん事件」という名称が一般的に使用されていることから、「由美子ちゃん事件」への改名を提案いたします。--利用者:要塞騎士(会話 / 投稿記録 / 記録) 2021年8月26日 (木) 14:00 (UTC)
1955年の由美子ちゃん事件 — 沖縄県議会 (2004) [2]
由美子ちゃん事件で大変震憾させて衝撃を与えた事件 — 沖縄県議会 (2008) [3]
1955年9月に起こった6歳の由美子ちゃん事件 — 沖縄県議会(2015) [4]
1955年、米兵が6歳の少女を何度も暴行、殺害し基地内のごみ捨て場に捨てた「由美子ちゃん事件」 — 沖縄県議会(2016) [5]
由美子ちゃん事件 — 沖縄県議会(2016) [6]
米兵による幼女殺人事件 「由美子ちゃん事件」 — 宜野湾市議会史 活動編 (2006) [9]
今回の事件で「由美子ちゃん事件」を思い出した人も少なくない。1955年、小さな女の子が米兵に拉致され、レイプされ、殺され、ゴミ捨て場に捨てられた事件だ。 — 『沖縄タイムス』2016年6月17日[11]
1955年の「由美子ちゃん事件」 — 『沖縄タイムス』2021年5月16日社説[12]
1955年に6歳の少女が米兵に乱暴され殺害、遺棄された「由美子ちゃん事件」 — 『琉球新報』2016年5月21日[14]
六歳の女の子が米兵に暴行され殺害された一九五五年の由美子ちゃん事件 — 第151回国会 外務委員会 第19号[17]
1955年9月3日,在沖米軍曹××が6歳の幼女を強姦殺害した事件(通称「由美子ちゃん事件」) — 井上史 (2018) [18]
- 賛成 ご提案ありがとうございます。賛成いたします。--四葉亭四迷(会話) 2021年8月27日 (金) 02:07 (UTC)
- 済 議論開始から1週間経過し、反対意見がないため改名を実施いたしました。--利用者:要塞騎士(会話 / 投稿記録 / 記録) 2021年9月2日 (木) 14:55 (UTC)
脚注
[編集]- ^ 福地昿昭「由美子ちゃん事件」『沖縄大百科事典』 下巻(初版発行)、沖縄タイムス社、1983年5月30日(原著1983年4月30日:初版印刷)、784頁。 NCID BN00422696。国立国会図書館書誌ID:000001645489。
- ^ 狩俣信子 (2004年9月29日). “平成16年(2004年) 第4回 沖縄県議会(定例会) 第4号”. 沖縄県議会. 2021年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月26日閲覧。 “1955年の由美子ちゃん事件”
- ^ 比嘉京子 (2008年2月26日). “平成20年(2008年) 第1回 沖縄県議会(定例会) 第7号”. 沖縄県議会. 2021年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月26日閲覧。 “1955年の石川の○○由美子さん。由美子ちゃん事件で大変震憾させて衝撃を与えた事件でありました。”
- ^ 狩俣信子 (2015年3月3日). “平成27年3月3日(第6号)平成27年 第1回 沖縄県議会(定例会)会議録” (PDF). 沖縄県議会. 2021年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月26日閲覧。 “私の記憶にある事件・事故のうち1955年9月に起こった6歳の由美子ちゃん事件というのがあります。”
- ^ 嘉陽宗儀 (2016年5月26日). “平成28年 第2回 沖縄県議会(臨時会)会議録” (PDF). 沖縄県議会. p. 13. 2021年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月26日閲覧。 “1955年、米兵が6歳の少女を何度も暴行、殺害し基地内のごみ捨て場に捨てた「由美子ちゃん事件」を思い出します。”
- ^ 翁長雄志(沖縄県知事) (2016年7月6日). “平成28年 第3回 沖縄県議会(定例会)会議録” (PDF). 沖縄県議会. p. 104. 2021年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月26日閲覧。 “沖縄県、私どもは由美子ちゃん事件から、”
- ^ 『営繕のあゆみ 40周年記念誌』(PDF)沖縄県土木建築部建築課、1987年3月、28頁。オリジナルの2021年8月26日時点におけるアーカイブ 。 - 営繕のあゆみ(2000年(平成12年)以前)
- ^ “『営繕のあゆみ 40周年記念誌』 > 第I部 〔終戦から復帰まで〕昭和20年〜昭和47年”. 沖縄県 (1987年3月). 2021年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月26日閲覧。 - 工事実績一覧
- ^ 宜野湾市議会事務局 編「第5章 第二次大戦後から復帰まで」『宜野湾市議会史 活動編』(PDF)宜野湾市議会、2006年3月31日、423頁。国立国会図書館書誌ID:000008179710。オリジナルの2021年4月4日時点におけるアーカイブ 。「こうして沖縄住民の不信を助長するかのように、 9月4日、 米兵による幼女殺人事件 「由美子ちゃん事件」 が発生する。 犯人は嘉手納在第22高射砲大隊×××軍曹であった。 一連の米軍による弾圧に決起した住民は人権擁護、 全沖縄住民大会に参加、 土地問題四原則貫徹、 外人犯罪の公開裁判、 基本的人権を守る訴え、 祖国復帰が叫ばれた。」
- ^ 「社説[無言の意思表示沖縄の怒り、見誤るな]」『沖縄タイムス』沖縄タイムス社、2016年5月23日。オリジナルの2021年8月26日時点におけるアーカイブ。2021年8月26日閲覧。
- ^ KEN子(けんこ)「「抗議」と「祈り」を対立軸にしているのは誰か。」『沖縄タイムス』沖縄タイムス社、2016年6月17日。オリジナルの2021年5月12日時点におけるアーカイブ。2021年8月26日閲覧。
- ^ 「社説[アメリカ世の27年] 軍政下の記憶の継承を」『沖縄タイムス』沖縄タイムス社、2021年5月16日。オリジナルの2021年8月26日時点におけるアーカイブ。2021年8月26日閲覧。
- ^ 「戦後史、コザに凝縮 古堅さん 民主主義、街づくり語る」『琉球新報』琉球新報社、2015年4月23日。オリジナルの2021年8月26日時点におけるアーカイブ。2021年8月26日閲覧。
- ^ 「「県民ぐるみで闘いを」 故亀次郎さんの言葉訴え」『琉球新報』琉球新報社、2016年5月22日。オリジナルの2020年12月17日時点におけるアーカイブ。2021年8月26日閲覧。
- ^ 田中邦利(設楽町議会議員) (2018年6月19日). “平成30年第2回設楽町議会定例会(第2日)会議録” (PDF). 設楽町議会. 2021年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月26日閲覧。 “沖縄の人たちは、過去にさまざまな苦難をなめてまいりました。由美子ちゃん事件というのがありまして、6歳の少女が米兵に拉致され嘉手納基地内で暴行された挙げ句に殺され、米軍のゴミ捨て場に捨てられた事件がありました。”
- ^ “1.由美子ちゃん事件(1955/石川市) -少女暴行殺害-”. 読谷バーチャル平和資料館. 読谷村. 2016年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月26日閲覧。
- ^ 桑原豊 (2001年7月10日). “第151回国会 外務委員会 第19号”. 衆議院. 2021年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月26日閲覧。 “六歳の女の子が米兵に暴行され殺害された一九五五年の由美子ちゃん事件”
- ^ 井上史(著)、編集長:藤原千沙(編)「月例研究会(2018年7月31日)1950年代の沖縄および日本本土における米軍司法をめぐる議論――「由美子ちゃん事件」と「ジラード事件」にみる日米沖関係史」(PDF)『大原社会問題研究所雑誌』第722号、(編集兼発行人)法政大学大原社会問題研究所、2018年12月1日、108頁、ISSN 0912-9421。「1955年9月3日,在沖米軍曹××が6歳の幼女を強姦殺害した事件(通称「由美子ちゃん事件」)」