ノート:号 (称号)
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(ノート:号から転送)
この記事は2005年9月24日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。 |
- 脚注にて「号の起源に関して再考の余地がある」と書きましたが、これについて付記をしたいと思います。中国北宋の欧陽修がはじめて号を用いたとする説の出典は、新関欽哉氏の『東西印章史』です。新関氏もどこからの引用であると思われますが、この説のオリジナルは誰のものなのかはわかりません。いずれにしろ、文献にある説を優先する立場にある者としてこの説を記事に取り上げています。しかし、脚注にある通り、六朝時代の文人である陶弘景の方が500年も早く号を名乗っています。想像を逞しくするなら、欧陽修は瘞鶴銘論争に加わるうちにこの書名に啓発されて号を用い始めたのではないかでしょうか。その後、蘇軾や黄庭堅・米芾などが同様に号を用いることでこの習慣が拡がっていったようで、陶弘景と欧陽修の間で号を用いた人物は確認できず、明らかに断絶があります。号を用いた最初の人物が陶弘景とは断言できずそれ以前に遡るのかもしれません。陶弘景は道士であったことから道教を起源とする風習なのかも知れません。以上、勝手な憶測を述べましたがこの方面に詳しい方のご意見をうかがえたら幸いです。--萬卯 2007年11月7日 (水) 06:52 (UTC)
- 後、本文中に「李白は、.....別号が青蓮居士である。」とありますが、「欧陽修がはじめて号を用いた」のであれば、李白の号は李白死後、欧陽修以降に名づけられたということになるのでしょうか?--Tomzo 2010年7月19日 (月) 12:15 (UTC)