ノート:プリンキパトゥス
ごめんなさい。「誤字」、と要約欄に失礼なことを書いてしまいましたが、「元首政」は誤字ではありませんでした。素人には、「元首政」と「元首制」、どっちがよりただしいか、判断ができないのでこのままにしておきますが、不都合があったら、容赦なく差し戻してください。--じゆにち (Mobnbka) 2007年9月24日 (月) 15:19 (UTC)
- 元首制ではなく、「元首政」が正しい用語です。こうして「制」ではなく「政」が使われる理由としては、
- 古代の政体論の伝統を受けている。つまり「~政」とは、政治の主体が誰かというのを表す。
- 共和政と元首政の間に顕著な制度的変化が見られない。元首政においても、制度的には共和政のシステムが維持されている。
- 点が挙げられるのではないでしょうか。とりあえず「元首政」が正しいです。元首政以前も「共和政」とするのが適当です。--Kanbun 2007年9月25日 (火) 04:55 (UTC)
- 戻しときますね。--コータ 2007年9月25日 (火) 13:47 (UTC)
- Kanbunさん、コータさん、ありがとうございます。救われた気持ちです。--じゆにち (Mobnbka) 2007年9月25日 (火) 14:24 (UTC)
元首政と元首制どちらが正しいかという話がすぐ上にあるところで提案するのは多少はばかられるのですが、現在の「元首政」を「プリンキパトゥス」に変更することを提案します。理由は現代の「元首」とプリンケプスの訳語としての「元首」の違いを考慮すると「プリンケプスによる統治」と素直に説明しやすいプリンキパトゥスのほうがいいかなと思うからです。もう一点はこれと対になるドミナートゥスに関してです。専制君主制と訳されるのはその通りなのですが、そこにはドミナートゥスという語に含まれる「主人として支配する」というニュアンスがありません。そしてまた専制君主制という語にはより一般的な使用法が存在しており帝政ローマ後期の特殊な支配を説明する上ではあまり適切ではないのではないかと考えます。実際専制君主制のリンク元にもこうした一般的用法を求めるものが含まれています。というかディオクレティアヌス以降の皇帝と「専制君主」は別物だろうに専制君主のリダイレクト先にもなってます。これは単に解除するなり修正したりすればすむので主張しませんが。いいかがでしょうか。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2008年1月10日 (木) 19:18 (UTC)
- 賛成します。Anton21 2008年2月6日 (水) 10:07 (UTC)
- 両者とも移動させました。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2008年2月14日 (木) 11:09 (UTC)
Tanuki Z氏の2008年2月22日 (金) 20:40における編集を取り消し致しました。理由は下記の通りです。
- 『「ローマ帝国」は帝政の国家であったとされるが』
- 「帝国」とは複数の民族を含む巨大国家を意味し、その意味で共和制時代のローマもローマ帝国であり、少なくともそう自称しており、この記述は間違い。
- 『この政体は原則的には共和政であり(中略)実質的にはノビレスと呼ばれる貴族層に公職は独占されており、きわめて寡頭制的色彩が濃いというのが実情であった。』
- 共和制は君主がいない政体を意味し、貴族を中心にした寡頭制である事と共和制である事は矛盾しない
- 『他方でカエサルは、かつて設置されていたディクタトル(独裁官)を復活させ』
- カエサルのすぐ前の時代において、ルキウス・コルネリウス・スッラが終身独裁官になっており、かつてというほど古い時代ではない。またカエサルがスッラを真似て終身独裁官になったという視点が抜け落ちている。
以上、間違いが多々見られます。この間違いの部分に訂正を加える編集をするという方法もあったとは思います。ただしこのくだりはプリンキパトゥスそのものの解説ではなく、それに至る前段階の解説であり、編集を加えてこの部分を冗長にする必要は無いしすべきでないと考え、削除する事に致しました。 利用者:PATMAN2008年2月26日 (火) 02:10 (UTC)
- 間違いといわれればそうですが、一応意図的にやっている部分があったのでその説明を。
- まずは『「ローマ帝国」は帝政』についてですがご指摘の通りです。ですがそんなことは百も承知で一般人向け?というと妙なのですがまぁそういう誤解がまかり通っているというのを前提として記述しました。いわゆる「皇帝」像はローマ帝国には当てはまらないよ、プリンケプスは違うよと。まぁ説得的すぎて百科事典的ではないと言われればそれまでですが。
- 共和政と寡頭制の両立について。それも知ってましたが表現で手を抜きました。単純に怠惰が原因ですので申し訳ないです。
- ディクタトルの復活について。プリンキパトゥス登場までの略史を書いていきましたがあまりに長くなりすぎるように感じてスッラを思い切って割愛しました。その結果です。スッラの改革は逆向きのベクトルなのでその記述を入れると長くなりそうだなと感じたので。
- 以上の修正を施した上で除去部分を再び記載したと思うのですが構わないでしょうか。前段階だから不要とはおっしゃいますが、プリンキパトゥスとポンペイウスの関係は述べないわけにはいかないはずですし、プリンキパトゥスの特殊な政体の登場を説明する上では必要と思いますので。tanuki_Z(sysopは偉くない) 2008年3月4日 (火) 08:22 (UTC)
- 力及ばず結果として間違った記述をやってしまうのは仕方ないですが、承知で間違った事を記述するのは問題です。手抜きをするのであれば、「詳細は○○参照」という形でやって下さい。もしくは手抜きをするなら、最初からWikiを編集する必要は無いです。別にプリンキパトゥスそのものの解説ではない事を、この項目でやる必要は無いのですから。とりあえずあなたが必要だと思われるのであれば、今度は正確な記述を、手抜きをしないでお願いします。利用者:PATMAN2008年3月9日 (日) 16:13 (UTC)