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ノート:ワールドミュージック

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ノート:世界音楽から転送)

20、30年前という表現は避けたほうがよいかと。0null0 06:26 2004年5月31日 (UTC)

民族音楽とワールドミュージックの差別化

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民族音楽とワールドミュージックの違いがいま一つわかりません。ワールドミュージックという語自体変な言葉というかありえない言葉ではあると思いますが。{比較音楽学者の柘植元一は、「民族音楽」「エスノミュージック」という言葉のもつ弊害を憂慮し、}というあたりの事情をもう少し詳しく教えてもらいたいと思います。民族差別や文化進化論のこととは思いますが、同じ意味の言葉なら弊害を取り除くことはできないと、当然考えると思うのですが。--Simes 2008年3月17日 (月) 05:09 (UTC)[返信]

出典・参考文献が欲しい

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本日、{{正確性}}と{{独自研究}}が付けられて外されておりましたが、私もこれらのタグを付けるほどではないにせよ、ワールドミュージックをこのように定義し、解説する根拠となる出典や参考文献が示されれば、この記事は良くなるだろうなと感じました。文献などをご存知の方は、追記願います。--Hachikou 2008年5月3日 (土) 02:46 (UTC)[返信]

見事に差し戻されました(笑)別に出典の明記でも何でも良かったんですが、こういう形で独自研究の成果にケチつけると怒る人がいるんですよ…。ワールドミュージックとポピュラーミュージックと民俗音楽の区別が全くついていないのによくこの記事に関わったり、記事書いたり出来ると思うよ、ホントーに。

簡単に手に入る資料だと、ミュージックマガジン勢の北中正和、松村洋ってとこですか。松村氏はもう沖縄一本らしいですけど。90年代初期のミュージックマガジンのバックナンバーを読めばそれなりにアウトラインはつかめると思います。確か中村とうようがピーター・マニュエルの本を訳してたはずだけど、これも役に立つはずです。--122.145.88.35 2008年5月3日 (土) 04:01 (UTC)[返信]

「この記事の正確さについては疑問が提出されているか、あるいは議論中です。詳しくはノートを参照してください。」というタグを張り付けながら、ノートには何も書かずに立ち去るのは不誠実な行為で、タグの濫用とみなされても仕方ありません。独自研究ならば改稿されるべきですが、しかるべき加筆をして改稿するかノートで議論を呼びかけるのが筋であるはずです。タグだけ張り付けてあとはお任せ、ということのようでしたので、タグの濫用とみなして差し戻しをさせていただきました。私はこの記事の執筆にはほとんど関わっておりませんし、執筆する能力もありませんので、しかるべき方々が議論・加筆をしてくだされば私としても幸いに存じます。--Peccafly 2008年5月3日 (土) 04:24 (UTC)[返信]

あ、利用者ページ見て気付きました。バルカンの人じゃないですか、密かに応援してます。履歴に数回名前があったのでてっきり執筆者の一かと思ってました。謝罪します。

で、議論しろと言っても、初版から変でどこから話を始めていいのか分からないんですよね。音楽系の記事に非常に多い(妙にクラシック及び現代音楽POVだったり、J-POPオタクが自説を垂れ流してたり)んですけど。

↑の資料の話をもって議論の最初として、タグを貼り直していいですかね。タグも何も貼られてないと閲覧者が「これは真実」と間違って覚えてしまうのに物凄く危惧を感じてます。--122.145.88.35 2008年5月3日 (土) 05:38 (UTC)[返信]

その点に関しては同意します。出典のあやしい「自説の垂れ流し」は少なからず見かけますし、ちゃんと議論が始まり、あるいは出典をつけて記事を改善できるのであれば素晴らしいことです。タグの張りなおしにも反対いたしません。
>密かに応援してます。
ありがとうございます(笑)。なかなか私の仕事はお粗末でお恥ずかしいですが、こういっていただけるととても励みになります。私は英語版から翻訳するだけが能ですので・・・--Peccafly 2008年5月3日 (土) 05:49 (UTC)[返信]

まぁ、議論の最初と言うだけでこれ以上深入りする気はないですけど。講義になっちゃう。

P.S バルカンマニア少ないですからねー、wikipediaには特に。ボバン・マルコビッチとかスロボダン・サリエビッチとか気が向いたら書いてくださいな。--122.145.88.35 2008年5月3日 (土) 06:08 (UTC)[返信]

せっかく出典となりうる文献と、講義をぶつ程の知識も持っておられるのでしたら、いっそのこと本文のほうをバッサリやってみてはいかがでしょうか。出典つきで記事を書き換えれば不用意な反論はされにくいと思います。--Peccafly 2008年5月3日 (土) 08:41 (UTC)[返信]

この記事だけの問題ならすぱっとやりますがねー。どうしても連動して他の記事を複数触らないといけなくなるんですよ。他の記事に書かれているべきことがここに書かれてたり、関連記事にここを参考に書いたとおぼわしき記述がチラホラあったりしますから。

さすがにね、そこまで気合入れて編集するほど心優しくないんです。。。こいつはデタラメだ!と指摘するので手一杯。wikipedia的にはこれで一歩前進でしょ。次の(他の人による)一歩を気長に待ちましょう(笑)--122.145.88.35 2008年5月3日 (土) 09:23 (UTC)[返信]

その内参考文献を中村とうよう先生や石橋純先生の本で埋め尽くしてみたいものですが、今はそんな時間ないので誰かにやってもらいたいです。ポピュラー音楽のルーツはキューバだったとか誰か書いてくれないものでしょうか。ラテンアメリカのは歴史や政治の記事書くので精一杯なんで、是非音楽やってる人に書いてもらいたいです。--ベム・ウーゴ 2008年5月9日 (金) 17:39 (UTC)[返信]

「アカデミックな意味」と「それぞれの地域」について

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アカデミックな意味についてですが、音楽之友社の「新版 音楽中辞典」ですら「ワールド・ミュージック」に関して「初期には C.ザックスの著書《世界音楽小史》(1956)にみられる文化進化論を背景とする用語であったが,1970年代後半にはアメリカの民族音楽学者を中心に,西洋の自文化中心主義を内包する民族音楽という語に対し,全世界のすべての音楽をさす語として広まった。80年代後半から90年代前半には,ポピュラー音楽の要素をとりいれた諸民族の音楽がブームになり,日本ではこうした音楽をさす語として定着した。」、同じく「民族音楽学」の項では「ところが,1980年代には歴史学者が「伝統的」とされたものの普遍的価値に疑義を唱え,それらが政治的策略のもとで創造された過程を明るみにした。民族音楽学者も,諸民族の民俗音楽や古典音楽が歴史的に変化する動態的側面に注目すると同時に,「非伝統的」だという理由で対象外としてきた新しい融合音楽(一般にはワールド・ミュージック)にも関心を向けるようになった。さらに,90年代までには,西洋芸術音楽が世界音楽史上の1つの体系ととらえ直され,研究対象に加えられた。また,人間と音環境の相互作用の結果としての自然と文化をつなぐ音や音楽の研究,録音資料の商業化にともなう演奏者の著作権や研究者の倫理をめぐる論議がなされるようになった。」などと書かれています。こうしたことが全く踏まえられていないように見えます。

それぞれの地域についてですが、ジャンルや舞曲の種類が羅列されているだけで、地域の概論的な説明がありませんし、旧ソ連地域が丸ごと抜け落ちています。

こうした点を補ってみたいのですが、ご意見があればお願いいたします。--さんらいず会話2018年6月17日 (日) 10:25 (UTC)[返信]

私なりに考えた、簡明な定義を出典つきでつけました。「概要」と言う部分については、実はもうこれで不要ではないかと思います。 歴史についても、「ワールド・ミュージック」と言う言葉が使われる以前に関してはあまり雑駁な記載は不要と思いますし、ウォーマッドに関しては概要ではなく、歴史の方に書くべきと思われます。日本とワールドミュージックや「ワールド・ミュージック」が含みうる要素に関しても、雑駁なバラバラの情報が並んでいるだけに見えます。この辺りも整理してみたいのですが、ご意見があればお願いいたします。--さんらいず会話2018年6月18日 (月) 12:14 (UTC)[返信]