ノート:PlayStation (ゲーム機)
- 過去ログ - /2006年5月
GTE-2 ?
[編集]Sorry for writing in english. I've noticed that the japanese wikipedia page is mentioning the SCPH-7000 and later models to have a "GTE-2" instead of the classic "GTE".What is that "GTE-2" about? What kind of "improvements" does it include? Is there some reference/source for it? There appear to be no other webpages mentioning the existance of this "GTE-2". From the wiki history... that GTE-2 was originally mentioned on 09 Feb 2007 by "222.14.87.95", alongsides with +11,614 bytes of new text. And on 26 Oct 2009, "Monster-T" changed the GTE/GTE-2 info to table format (but maybe that was just cosmetic reformatting without knowing anything about the technical details).--2.241.96.187 2014年3月24日 (月) 23:22 (UTC)
- --202.211.84.124 2023年9月26日 (火) 06:04 (UTC)
- 翻訳:英語で書いてごめんなさい。日本語のウィキペディアのページに、SCPH-7000 以降のモデルには従来の「GTE」ではなく「GTE-2」が搭載されると記載されていることに気付きました。その「GTE-2」とは何ですか?どのような「改善」が含まれているのでしょうか?それに関する参照/ソースはありますか?この「GTE-2」の存在について言及しているウェブページは他にないようです。 Wiki の歴史によると... GTE-2 は、+11,614 バイトの新しいテキストとともに、2007 年 2 月 9 日に「222.14.87.95」によって最初に言及されました。そして 2009 年 10 月 26 日、「Monster-T」は GTE/GTE-2 情報をテーブル形式に変更しました (しかし、おそらくそれは技術的な詳細については何も知らずに単に表面的に再フォーマットしただけかもしれません)。--211.1.212.37 2024年12月18日 (水) 04:06 (UTC)
ムービーについて 2
[編集]「しかしその一方で、本来は開発工数すなわちコスト削減のための手段に過ぎなかったムービーが多用されることでムービー主導型のゲームも増え、開発リソースをムービーに注力し、これを見るために練り込みの不足した作業的なノルマをプレイヤーに課すような、従来とは主従が逆転した「ゲーム」作品まで見られるようになった。」という文が本項にありますが、本来のムービーの役割が開発工数の削減のみであった旨の出典が不明です。物語の導入部や節目などに積極的な理由(より完成度の高い映像を提供してプレイヤーの感情を導くなど)によりムービーを用いることは普通に考えられることであり、「コスト削減のための手段に過ぎなかった」という消極的理由がメインかどうかは各社各様である可能性も大いにあり、それを否定するためには上述の理由が普遍的であるという証拠(出典)が求められると思います。--ちぇす 2006年5月5日 (金) 05:30 (UTC)
ついでに今回の質問事項より前の文に関して、既に議論が収束(終息?)していることより過去ログ化を行いたいのですが、一週間ほどご意見を待ちたいと思います。--ちぇす 2006年5月6日 (土) 05:14 (UTC)
CD-ROMのメリット・デメリット
[編集]「ゲームをプレイする上でのメリットは皆無であるが」とした部分ですが、「大容量」も削除されていますが、まさにその部分がCD-ROMのユーザーサイドのメリットでしょう。
容量の検証は、PS発売当時のROMカセットでの代表的大容量ソフトであるFF6が24Mbit(3MByte)であることから、200倍の比率であり、文句なく大容量と言えるでしょう(価格帯がまったく違うNeoGeoの100Mbitと比べても50倍)。
この容量は、何もムービーのためだけに活用されるわけではなく、多種のキャラクタやアイテム、地形データなどのvertex, texture, motion など容量が必要なデータは数多くあります。--ちぇす 2006年8月11日 (金) 11:00 (UTC)
- プレイステーション#概要のCD-ROMに関する文書に対する参考資料を本項目の末尾に追加しました。『新版 情報処理ハンドブック』ではCD-ROMの大容量性が、『AERA 1997年1月17日号』ではCD-ROMの流通に関するメリットやFF7が大容量を求めてPSに移った経緯(スクウェアの小林宏 広報室長)が掲載されています。--ちぇす 2006年8月12日 (土) 11:07 (UTC)
プレイステーション2
[編集]憂い、ゴチ等いろんな言葉を「言葉のパズル文字っぴったん」ですよね DSと2ッス--221.31.188.208 2007年11月10日 (土) 02:57 (UTC)
PlayStationシリーズ関連記事の改名提案
[編集]報告 「プレイステーションシリーズ」のノートで、当記事を含むプレイステーションシリーズ関連記事の改名を提案しています。議論は当該ノートにてお願いします。 --cllackr (talk) 2012年3月24日 (土) 20:00 (UTC)
PCエンジン関連について
[編集]最近、PCエンジンがソニーが任天堂にCD-ROMを用いたゲームを採用するよう提案するきっかけとなったと主張する記事が追加されていますが、それについて確認を行ったので忘備録として、また再チェックの助けとしてここに書いておきます。
現在、この部分でやっこんぶぶづけさんと編集合戦になっておりますが、この人の提示した出典『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡 2兆円市場の未来を拓いた男たち』の該当部分にはハドソンからPCエンジンのハード開発企画をソニーに持ち掛けられたといった記述はありませんでした。(この本はソニーのプレイステーションの開発の記述もありますが、当然PCエンジンとの関係は書かれていません。)。またプレステ4巻き返しへの課題 栄枯盛衰の家庭用ゲーム機市場という出典には「PCエンジンの成功を見たソニーは、ロムカセットの代わりにCD-ROMを用いたゲームを採用するように任天堂に提案」とありますが、記事では「1987年にPCエンジンのCD-ROMドライブ拡張機器「CD-ROM2」の発売予定がアナウンスされると、ソニーが任天堂にCD-ROMを用いたゲームを採用するよう提案」と変更しており、出典から全く外れた内容で書かれています。どこからこんな言葉が湧いて出たのかさっぱりわかりません。しかもプレステ4巻き返しへの課題 栄枯盛衰の家庭用ゲーム機市場という出典にはPCエンジンとソニーの関係についてソニーにインタビューを行ったといった内容の記述がありません。(訳あって秘匿するなら情報源秘匿といった記載がありそうなものですが、、、)
やっこんぶぶづけさんの出した出典で、今まで確認できなかった『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡 2兆円市場の未来を拓いた男たち』の内容を確認でき、また別の出典(ハドソンへのインタビュー)と合わせてチェックした結果を報告します。
結果としてPCエンジンの開発の歴史として記事を書くことになりました。(時間に余裕にある方は、これの「開発経緯と設計思想、『チップの開発』『ゲーム機の開発』」をご覧ください。『NintendoDREAM』毎日コミュニケーションズ、2008年3月号と『ゲーム大国ニッポン 神々の興亡 2兆円市場の未来を拓いた男たち』の該当部分を要約したものになります。)
時間のない方は、主要な部分のみ書きますのでこちらで確認願います。
- チップ開発は既存のマシンの強化用チップとして開発されている。そしてこの時点でハドソン自身に新ゲームハード開発の野望は無かった。
- ハドソンには半導体製造の工場が無いため主要な半導体メーカーと交渉したが断られている。
- セイコーエプソンでようやくチップの開発が可能になった。チップの完成が近くなったのが85年末から86年初め。このあとからハドソンに新ハードを作る考えが出てくる。
- 完成品を持ちシャープに向かうが失敗。次にNECに行き契約にこぎつける。(CDをゲームに使う計画を具体的に形にしていたのはNECのほう。)
つまりハドソンが企業に接触するタイミングは大きく分けて2つありますが、ゲーム機の企画持ち込みはチップ完成後になります。そちらの企業訪問はシャープとNECの2つのみでソニーは対象に入っていません。これで「ソニーにも訪問した急にハドソンのことが語りたくなった -』 Hisakazu Hirabayashi Official Blog」は初めのチップ開発の時であることが分かります。
※ちなみにCD-ROMの規格書「イエローブック」(85年)、インタラクティブCD (CD-I)の規格書の規格書「グリーンブック」(86年)の規格を出したのがソニーとフィリップス。既にこの時期には各社CD-ROMの開発と競争が始まっているとのことです。光ディスク全体に範囲を広げると、さらに開発競争の歴史がさかのぼれるようです。 --Kaonohito(会話) 2016年2月4日 (木) 13:33 (UTC)