ノート:ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地
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「コメルス」が「コルメス」、「23番地」が「3番街」となっており、単純な書き誤りと思われますので移動しました。さえぼー(会話) 2016年2月6日 (土) 02:06 (UTC)
改名提案
[編集]記事名を『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』に改名することを提案します。
過去に原音主義を根拠にして何の提案も合意もなく改名がなされましたが、プロジェクト:映画#記事名によると、映画作品の記事名は劇場公開時の邦題を採用することになっています。この作品は長らく日本劇場未公開でしたが、2022年に「シャンタル・アケルマン映画祭」で劇場公開されており、その邦題は『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』となっています(公式HPを参照)。ですので、ガイドラインに従う形で記事名を上記のように改名します。--石川太郎左ヱ門(会話) 2022年8月15日 (月) 07:36 (UTC)
- 石川太郎左ヱ門様、初めまして。本年4月に当該ページの編集や移動を致しました、Wikipédienne frと申します。この度の石川様の改名のご提案は、より深く考察する契機となりました。ありがとうございました。早速ですが、以下に「移動」を施した理由をご説明致します(わたくしは日常的にフランス語等の外国語を日本語よりも多く使用しておりますため、もしかしたら以下の説明文に日本語として奇妙であったり間違っている箇所があるかも知れません。その場合はどうぞご容赦ください)。
- ①まず第一に、ウィキペディア日本語版のガイドライン「Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきこと」の最も上段にあります「ページ名に誤字、脱字があるとき」に沿いまして、当該ページを「移動機能を用いて」誤ったページ名のものから正しいページ名のものへ移動を施しました(ご指摘の通りです)。その実施をした具体的な理由は、旧ページ表題の中の固有名詞「ディエルマン」は、実際は確実に「ディールマン」であり、「明らかな誤字」であったためです。同時に、ご指摘のガイドライン「プロジェクト:映画#記事名」の上部にあります「(以下のガイドラインは)強制ではありません」との文言も熟慮しました結果、「移動」を施すに至りました。逆(日本語→アルファベット)の例でご説明しますと、海外版のWikipediaで「長谷川◯◯」という日本人の人物名を表題にするページが「••••• Nagadanicava」と、一目瞭然で誤ったアルファベット表記がなされたページを「明らかな誤り」と認識し、訂正すべく「••••• Hasegawa」を表題とするページへ「移動」を施したケースと同様の措置を致しました。
- ②その意義が正しいか否かの議論は別として、日本人の間にすでに定着・浸透し切っていて市民権を得、もはや「慣例」となっていた重要な固有名詞のカタカナ表記がここ最近、相次いで「改め」られました。例えば、グルジア→ジョージア、キエフ→キーウ等です。それらは全て原音への尊敬・尊重と、現地の方々の尊厳をも考慮に入れた「改名」だったと考えられます。ウィキペディア日本語版も、閉じられた日本国内・日本人の視点ではなく、(インターネットで世界中と一瞬でつながる時代ですので)世界規模の視点で客観的に見て、一目瞭然で誤っているものを「改める(無論、その過程も記録する)」フェーズにあるのではないでしょうか? ウィキペディア日本語版は根本・大元にあるものを疑う(更に踏み込みますと「長い物には巻かれろ」の「長い物」をこそ疑う)メディア、我々の思考を引き上げてくれるメディアであって欲しいように感じています。今回のディエルマン→ディールマン問題に戻りますと、本年、「シャンタル・アケルマン映画祭」で商業的な劇場公開に携わった「根本・大元」の配給会社のご担当の方が、厳格な調査を経ずにうっかり日本語題名を決められてしまったのだとわたくしは考えます。具体的には固有名詞Dielmanはフランス語圏ほぼ全てのかなり広い地域で「ディールマン」のように発音されており、この邦題のようにドイツ風に「ディエルマン」と発音するのは非常に稀です(「ディエルマン」と発音する地域がないわけではありません。が、ドイツとオランダ、カナダのごく一部に限られます)。配給会社のご担当者は今回アンラッキーなことに、何故かネット検索で出てきやすいこちらのカナダ在住の(英語が母国語の)男性の発音例だけを参照されて日本語題名を決定されたようです(Forvo「Jeanne Dielman の発音の仕方」をご参照ください)。
- ③先ほど「ドイツ風」と書きましたが、ユダヤ人家系のアケルマン監督(祖父母3人と母がアウシュビッツに強制連行されています)にとっては、ことによるとこのドイツ風とも感じられる「ディエルマン」という発音や表記をとても嫌がったかも知れません(更には「屈辱的」とまで感じたかも知れません)。当然それは憶測の域を出ませんが、前述のグルジアやキエフのように単語の「音や表記」を誤っただけで政治性を過剰に帯びたり、ときには人権を脅かすような事態を生じさせる、ということが発生しうることもご理解いただけますと幸甚です。
- ④わたくしも「映画作品の記事名は劇場公開時の邦題を採用する」というガイドラインは誤ってはいないと思いますが、今回のように一目瞭然で「明らかな誤り」が認められるケースでは、頑なにそれに従う必要はないのではないでしょうか? 「(ガイドラインは)強制ではありません」という注意書きもありますし。劇場公開時の邦題を決定する配給会社も過去にかなりの数の驚くべき「うっかり」邦題命名をなさっています(あからさまな例ですと、『ドリーム 私たちのアポロ計画』、『サム・サフィ』、『マックス、モン・アムール』)。また、ウィキペディア日本語版にはフランス語の単語(特に、名詞、固有名詞)だけでも、嘲笑されても仕方がないとも受け取れるカタカナ表記が(ページの表題としても多く)跳梁跋扈しており、前述のように世界規模の視点で客観的に見て、一目瞭然で誤っているものを「改める」柔軟性は不可欠で急務だと考えます。
- ⑤ちなみに、先ほど東京の友人から聞いたのですが、2022年に「シャンタル・アケルマン映画祭」でこの作品が劇場公開されるずっと以前、日本国内のシネクラブや自主上映会ではこの作品は長らく『ジャンヌ・ディールマン(以下略)』として親しまれてきたとのことです(当時のそれらのパンフレット等の文中でも「ディールマン」表記になっているとのことでした)。つまり、「公式な劇場公開の直前まで」、すなわち、つい最近まではこの映画は正しい邦題を持っていた、ということになろうかと存じます。
- ⑥約16種類あるフランス語の母音を、日本語の約5種類に限られた母音に置き換え、それをカタカナ表記することにはどうしてもアクロバティックな側面があり、今後も大いに議論がなされるべきだと思いますが、今回のディエルマン→ディールマンに関しましては、単語中の「e」の音を発音する/しない、というごく単純明快な問題でしたので、上記①の如く、明らかな誤りとしてページの「移動」のみを選択致しました。また、我々はアケルマン監督本人がこの作品の題名を正しく(=彼女の要望通りに)「ディールマン」と何度も発音している姿をYouTube等の動画サイトで確認することが現在でも可能です。
- ⑦わたくし自身は語順に関しましては、日本式(現状:郵便番号、住所、氏名の順)の『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディールマン』、欧州式の『ジャンヌ・ディールマン、コメルス河畔通り23番地、ブリュッセル1080』のどちらでも構わないと思っております(固有名詞の発音の ✕ ディエルマン→ ◯ ディールマンを重視・問題視しております)。
- ⑧最後に繰り返しますが、ウィキペディア日本語版は、「慣例」や「馴致」を大元から疑い、暗黙の了解と闘うメディアであって欲しいとわたくし自身は希望しています。Wikipédienne fr(会話) 2022年8月16日 (火) 09:51 (UTC)
- 反対(従いまして、わたくしWikipédienne frが 2022年8月16日 (火) 09:51 (UTC)付けの投稿にてご説明致しました①②③④⑤⑥⑦⑧等の理由により、わたくしは石川太郎左ヱ門様の改名提案に反対致します。この度の改名の取り下げを依頼します。) Wikipédienne fr(会話) 2022年8月18日 (木) 10:31 (UTC)
- Wikipédienne frさん、お返事ありがとうございます。
- Wikipédienne frさんはフランス語が堪能な方として、発音を正しく修正したいという強い思いがあるのはよく分かりました。ただ、記事名の付け方には指針があり、とくに映画作品名は記事名を決定するうえで混乱や障害が起きやすい分野(今回の場合は発音による表記の揺れ)なので、それをできる限りなくすためにガイドラインというものが設けられています。確かに「強制ではありません」が、その文言に続いて「映画作品記事に関する統一的な指針ですので、基本的にはこれに従ってください」とありますので、今回もこれに従うのが順当だと思います。
- そのガイドラインでは「日本で配給され劇場公開された際の邦題を記事名とします」というのが基本となり、さらに記事名に用いる表記は「作品の公式ウェブサイトや配給会社のサイト、プレスリリースなど、その作品の公開に直接関係している企業・団体の資料が用いている表記(以下「公式表記」と呼びます)に従ってください」とあるので、たとえ配給側が決定した邦題が実際に正しくない発音で表記されているとしても、それが公式表記になりますので、この通りに従うのが順当だと思います。『マックス、モン・アムール』も発音的には正しくないのかもしれませんが、それが公式表記になりますので、これを記事名とするのは適当だと言えます。
- 発音が正しくないという指摘は本文中で記せば十分だと思いますし、あるいは「ディールマン」の邦題をリダイレクト化すればいいと思いますので、それさえすれば記事名が「ディエルマン」になっていてもそこまで大きなダメージを与えるものではないと思います。ただ、それを指摘する場合は、独自研究を避けるため、あるいは私を含めてフランス語に無知な方にもそれが裏付けられた根拠であることを確認・理解できるようにするため、なるべく信頼できる情報源を出典に付けて頂きたいです。一番理想的な出典は「ディエルマンが正しくない発音である」と識者・専門家が指摘している資料です。
- 私も「ディールマン」表記で書かれている文献の存在は把握しています(その一方で「ディエルマン」表記の文献が存在するのも事実です)。ただ、あくまでも記事名はリリース時のタイトルを採用することになり、今回は劇場公開の邦題が存在するので、その公式表記が優先されると思います。また、以前に「ディールマン」表記で非劇場上映が行われたということですが、その時の記事名を採用する場合は「劇場公開、ビデオグラム発売、テレビ放映のいずれもされていない」場合になり、今回は劇場公開されたので、その公式表記が優先されると思います。
- それと、あなたは「ディエルマン」が、直ちに改名を行う条件となる「明らかに、ページ名に誤字」がある場合に該当するとして即時改名をしましたが、この場合の「誤字」とは、例えば過去にさえぼーさんがなされた(ノートページ上記を参照)ように、「コメルス」が「コルメス」、「23番地」が「3番街」になっているなど、記事名を見て明らかに書き間違いがあるものを指し、発音や外来語表記の問題とはニュアンスが違うのではないかと思います。今回の場合は複数の文献や配給側の公式サイトで「ディエルマン」と実際に表記されており、しかもそれが公式表記になっているため、「ディエルマン」が書き間違いになっているというわけではないと思います。「ディエルマソ」だったら明らかな誤記と言えますが。発音の問題や原音表記がどうというのは、それぞれの記事の分野ごとに事情が異なるので、議論・合意形成を経て決めるのが適切であり、実際に「ジョージア」や「キーウ」も改名提案が出され、議論・合意形成を経て決定しています。今回は公式表記というものがあり、映画作品の記事名の付け方のガイドラインを考慮する必要がありますので、「ディエルマン」を誤記と見なして即時改名するのはやや強引だと思います。
- なお、②の配給側の経緯と③については、あくまでもあなたの憶測に過ぎず、それを裏付けるものがないので、これについてはコメント致しません。また、②と⑧のWikipedia日本語版に対するあなたの意見は、今回の改名の是非を問う議論とは直接関係のないことですので、これについてもコメントは致しません。もしWikipediaのあり方に何か疑問がおありならば、この議論の中で言うのではなく、別のところで問題提起してください。
- 今回の議論に関しては、私は以上のように反論をしましたので、あなたの反対票だけで提案を取り下げるのではなく、もっと多くの利用者から意見を伺い、議論・合意形成をして決めたいと思います(もちろん反対多数だったら提案を取り下げます)。--石川太郎左ヱ門(会話) 2022年8月18日 (木) 14:34 (UTC)
- 質問 Wikipédienne frさんにひとつ質問です。語順に関してはどちらでもよいとのことですが、「ディエルマン」を「ディールマン」に変更する条件付きで、公式表記に従って『ジャンヌ・ディールマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』とするならば改名はOKなのでしょうか?そうだとすれば、公式表記に従う記事名を、原音主義により変更することがアリなのかが議論のひとつのポイントになると思いますので、それも他の利用者から意見を伺えたらと思います。--石川太郎左ヱ門(会話) 2022年8月18日 (木) 14:43 (UTC)
- 非常に論理的で微に入り細を穿った懇切丁寧なご返事をありがとうございました。わたくしも石川太郎左ヱ門様のような明晰な日本語が書きたい! と一行一行感じ入りながら拝読致しました。
- 一番最後の「ひとつ質問です」へのお答えですが、わたくしの結論を「改名はOK(ディールマンであるならば)」としていただいて結構です。あなたの日本語の文章の聡明さにほだされたわけではなくて、以下の点におきまして熟慮に熟慮を重ねた上で導いた結論です。箇条書き致します。
- ・まず第一に、Dielmanをカタカナ表記で「ディエルマン」とするのはやはり絶対に許容されてはならないと考えます(過去の過ち ── というより、言葉は強いですが「蛮行」と言っていいと思います ── をこれ以上繰り返さないためにも)。今後、日本の書籍での表記や、この作品が日本でブルーレイディスク化される場合などの表記は「ディールマン」へ必ず訂正されることを望みます。そのため(=以後そのように正しく記載されるため)の重要な「参照元」のひとつとして、検索サイトのトップに示されるであろう「ウィキペディア日本語版の表題」がずっと誤ったまま(=「ディエルマン」のまま)放置されていてはいけないと、どうしても思うのです。ウィキペディア日本語版のさまざまな「ページの表題」に(表記や意味、意義等、色々な領域において)間違い・ミスが混入していると考える日本人はとても少ないと思いますが、その下にあるもっと小さい字の本文で、「いや、実は表題として掲げている単語の表記は本当は間違いであって……云々」といった記述を読んで、「なるほど、このカタカナ表記は実際の発音とはまるで違うんだな。じゃあこっちの正しい方のカタカナ表記を使おう」等と、きめ細やかな把握ができる日本人は更にずっと少ないのではないでしょうか?
- ・「公式表記」をわたくしや周囲のフランス人は「公式」だとは認めていません(2022年以前までずっと日本で親しまれてきた正しい表記を、思慮・検証することもなくわざわざ変更した姿勢に対し疑念を払拭できません。『サム・サフィ』や『マックス、モン・アムール』という邦題を付けることが許されるような「前時代」ではもはやない、ということです。愛情を込めて丁寧に調べることが可能な時代ですので……)。
- ・「原音主義」ということであれば、Dielman(発音記号 [dilman])は、厳密には「ディルマーヌ」が最も原音に近いのです。その点では既にわたくしも日本で広く流通しているフランス語→カタカナの移記ルールを尊重・考慮しておりました。つまり、もう既に「譲歩」しておりました。フランス語圏での固有名詞としてのDielmanの「間違っていないカタカナ表記」のヴァリエーションとしては原音に近い順に「ディルマーヌ」「ディールマーヌ」「ディルマン」「ディールマン」の4つが挙げられますが、中でも最後の「ディールマン」を選択したのは「日本で広く流通し認められているフランス語→カタカナの移記ルール」と照らし合わせて、もっとも相応しかったからです(本心ではフランス語→カタカナの移記ルールも根本から全て正し、「ジャーヌ・ディルマーヌ」に直したいところです)。
- ・石川様は「なるべく信頼できる情報源を出典に付けて頂きたいです。一番理想的な出典は『ディエルマンが正しくない発音である』と識者・専門家が指摘している資料です。」と書かれています。そのお気持ちには深く同感します(わたくしには「出典は、以前言語学も学び、日常的に現在ほぼフランス語しか使わないわたくし自身です」と主張したい気持ちもありますが……)。が、前回わたくしが書きました通り、固有名詞としてのDielmanはフランス語圏以外では「ディエルマン」と発音される地域も一部あるため、「ディエルマンが正しくない発音である」を立証する「理想的な」出典を見つけるのは今回かなり困難ではなかろうかと思っています。が、その逆(つまり「(広いフランス語圏での固有名詞としてのDielmanは)ディールマンが正しい発音である」)を立証する出典はネット上でたくさん見つけることが出来ます。例えば、それが「識者」に相当するのかどうかわたくしには判りませんが、「専門家」、つまりこの作品の制作や上映、放映に携わった映画関係者たち(まさしくシャンタル・アケルマン監督ご本人も)が動画でDielmanを「ディールマン」(発音記号 [dilman])とくっきり発音している様子をいくつも見ることが出来ます(残念ながら日本人は省きます)。以下にそれら「資料」を列挙します。
- ・ 英語を母語とする人物による「ディールマン」の発音①(英語訛り有り)
- ・ 英語を母語とする人物による「ディールマン」の発音②(英語訛り有り)
- ・ 英語を母語とする人物による「ディールマン」の発音③(英語訛り有り)
- ・ アケルマン監督による「ディールマン」の発音①(英語でのインタヴュー。監督はフランス語訛り有り)
- ・ アケルマン監督による「ディールマン」の発音②(フランス語)
- ・最後に、この愛おしい作品の邦題以外にも「なぜか日本人だけが当然のように奇抜な発音で口にするフランス語の名詞・固有名詞(「Lacoste(ラコスト)」等、とても著名なものも含みます)」が以前にも増し、本当に多く、こちらが恥ずかしい思いで赤面する場面がとても増えました。そして、それらカタカナの表記・発音について「だって、ウィキペディア日本語版(の表題)にそう書いてあったから、間違ってるわけない」と思い込んでいる人はかなりの数に上るのではないでしょうか? 現在日本は「経済水準」的に世界から異様に取り残された存在になりつつあるようですが、このように「文化水準」的にも(特に表記と発音は如実に文化を表すと考えます)「なぜか日本人だけが奇抜(自分では分からない)」な方向に舵を切ってしまい、世界から圧倒的に取り残された存在になるように思えてなりません(「文化水準」と「経済水準」が相応になってきたと考えて、これで良しと納得し、目と耳を塞いでしまえばいいのかも知れませんが……)。ちなみに身近なところでは最近、飲食店を選ぶ際に、「親友の助言」を遮る形で無視し、いわゆる「飲食店格付けサイト」の情報の方を「絶対」だと主張し、親指だけで安易にはじき出したその結果で最終的にとある飲食店を選択した日本人と出会いました。そして、彼女は長年つきあってきたその助言をくれた「親友」から先日訣別を言い渡されました。ほとんどの場面において目の前の「親友」の尊厳を軽んじ、「あなたなんかよりも◯◯サイトの方が正しいに決まっている」という態度が近年顕著になってきたからだとの事でした。このような些細(?)で身近な不幸が日々繰り返されないためにも、(「飲食店格付けサイト」の方はどんどん問題が明るみになっているようですが)やはり「ウィキペディア日本語版(の、特に表題)」に関しては、親指の操作だけで安易に辿り着かれてしまったとしても、それに耐えうるような、誰もが安心できるような信頼性・堅牢性があって欲しいように望んでいます。Wikipédienne fr(会話) 2022年8月21日 (日) 11:08 (UTC)
- すみません、もしかすると上記の5つの発音例リンク(URL)が全て間違っているかも知れません。以下に再度記入してみます。
- ・ 英語を母語とする人物による「ディールマン」の発音①(英語訛り有り)
- ・ 英語を母語とする人物による「ディールマン」の発音②(英語訛り有り)
- ・ 英語を母語とする人物による「ディールマン」の発音③(英語訛り有り)
- ・ アケルマン監督による「ディールマン」の発音①(英語でのインタヴュー。監督はフランス語訛り有り)
- ・ アケルマン監督による「ディールマン」の発音②(フランス語)
- 以上です。Wikipédienne fr(会話) 2022年8月21日 (日) 11:35 (UTC)
- 返信ありがとうございます。ディールマンの発音が正しいということは、より正確な原音表記の件を含めて十分理解しました。ただ、Wikipediaの映画記事名の付け方の指針があることもご理解いただきたいです。上記の質問をしましたが、私の意見としては、やはり映画作品名はそれ自体がひとつの固有名詞であり、ましてや公式表記というものが出てきたわけですから、たとえ発音が正しくなくても、それを正確な発音に変更して記事名とするのは、公式表記に従わないことになってしまうので、私が最初に提案した公式表記に基づく記事名に改名すべきと思います。
- 「そのため(=以後そのように正しく記載されるため)の重要な「参照元」のひとつとして、(中略)きめ細やかな把握ができる日本人は更にずっと少ないのではないでしょうか?」とのことですが、読者の多くはフランス語に精通しているわけではない日本人ですので、あなたのように表題から発音の正誤を判断することはできません。Wikipediaの表題が「ディエルマン」であったとしても、それが「正しくない発音」であると表題を見て理解することはできませんし、逆に「ディールマン」の場合でもそれが「正しい発音」であると表題を見て理解することもできません。むしろWikipediaと公式サイトや映画情報サイトで表記が異なることに疑問を持つ方もでてくると思います。実は私もそのひとりで、「シャンタル・アケルマン映画祭」の公式HPで「ディエルマン」となっているのに、Wikipediaが「ディールマン」になっているのは何故だろう?と疑問に思って本記事を訪問し、本文を読んで発音の件を知り、公式表記ではないことを知って改名提案をしたのです。ですので、表題がどちらにせよ、本文を読まないと発音の件を理解することはできませんので、前の返信で「発音が正しくないという指摘は本文中で記せば十分」であり、大きなダメージはないと主張したのです。また、Wikipediaは「正しいフランス語の発音表記を使いましょう」と啓蒙したり注意喚起したりする場ではありませんし、表題と本文の説明を見て読者がどう対応するかは読者それぞれに委ねられると思います。
- もう一度言いますが、「公式表記」はあくまでも配給側が決定したものであり、Wikipediaではその表記に従うという指針になっています。ですので公式かどうかは、Wikipedia上ではあなた方が認めるか認めないかで決めるものではありません。Wikipediaはあなたの意向を反映する場ではありません。この公式表記が許せないなら、配給会社に直接問い合わせてみたらいかがでしょうか?それで配給側が修正をして、それが文献やウェブ上である程度定着すれば改名はありになると思います。
- 出典の件に関しては、探すのが難しいのは重々承知しております。それならば「ディールマン」の発音記号が [dilman]であるという出典があればいいのですが…。Wikipédienne frさんは理解なさっていると思いますが、あなた自身の主張は信頼できる情報源にはあたりません。私が前の返信で「独自研究を避けるため」と説明したのはそのためです。ただ、あなたが提示していただいたアケルマン監督へのインタビュー動画は、監督自身が「ディールマン」と発音しているわけなので、暫定的に出典として使えそうです(私としては公表された出版物の方がいいのですが)。--石川太郎左ヱ門(会話) 2022年8月24日 (水) 14:27 (UTC)
- どれだけ「ディールマン」表記の実例があろうとも、本作品の公式サイトに『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』と表記されている以上、少なくとも本作品については「ディールマン」表記は考えられません。ということでこの議論は終わりなんです。--118.238.204.113 2022年8月23日 (火) 03:04 (UTC)
- (改名賛成) プロジェクト:映画#記事名のページの説明に従うまでもなく、日本での公開時に配給元が採用した名前が正式なのは、常識で分かる範囲だと思います。仮にこの作品が日本未公開であれば、原音に近いカタカナ表記の採用には反対しません。ということで、上のIPユーザーさんのご意見はもっともです。改名に賛成します。
すでに一週間が経過したので改名しても良いのではありませんか?Sakura67(会話) 2022年8月23日 (火) 15:54 (UTC)- コメント Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきことをよくお読み下さい。以下引用します。
- 「提案から実際に改名するまでは、1週間の告知期間をおいてください。ひょっとしたらその間に反対意見が出るかもしれません。反対意見が出たときは、議論を行って合意形成を図ってください」
- 「改名提案に対して、改名の合意が得られたか、告知期間に反対意見がなかった場合は、改名を実施してください」
- つまり、反対意見があり合意が形成されていない場合は「1週間を経過した」を理由に改名することは推奨されていません。wikipediaのガイドラインをもう少しちゃんと理解して下さい。Gruppetto(会話) 2022年8月23日 (火) 16:40 (UTC)
- コメント Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきことをよくお読み下さい。以下引用します。
賛成 本来の発音と異なるカナ表記が行われてしまう例はフランス語に限らず、ドイツ語や英語でも頻繁に見られることで、非常に残念なことです。しかし、プロジェクト:映画#記事名に「日本で配給され劇場公開された際の邦題を記事名とします」「映画祭、また大使館や国際文化交流団体などによる上映が行われた作品については、その上映の際の題名を用いてください」とあるのであれば、『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』への改名はやむを得ないでしょう。--Gruppetto(会話) 2022年8月23日 (火) 18:30 (UTC)
- 参考情報ではありますが、過去の非劇場上映での邦題について、調べて分かったものだけ挙げておきます。
- 1988年3月、「シャンタル・アッカーマン映画祭」(アテネ・フランセ文化センター)、邦題表記は『ジャンヌ・ディエルマン』。出典:『舶来キネマ作品辞典』(2004年、科学書院、p.1248)
- 2016年2月、第19回カイエ・デュ・シネマ週間「シャンタル・アケルマン追悼特集」(アンスティチュ・フランセ主催)、邦題表記は『ブリュッセル 1080 コメルス河畔通り 23番地 ジャンヌ・ディエルマン』。出典:[1]
- 2021年9月、「特集 カンヌ国際映画祭とフランスの女性監督たち」(アンスティチュ・フランセ主催)、邦題表記は『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』(Wikipédienne frさんが即時改名する前の記事名と同じ)。出典:[2]
- 表記の揺れ(人名だけの表記、空白や読点の使い方など)はありますが、(発音の正誤は別として)以前から非劇場上映でも「ディエルマン」表記になっているようです。また、映画情報サイトのうち、映画.com、KINENOTE、MOVIE WALKER PRESSなどは『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(公式表記と同じ)となっており、allcinemaは『ブリュッセル 1080 コメルス河畔通り 23番地 ジャンヌ・ディエルマン』(2016年の非劇場上映と同じ)となっています。--石川太郎左ヱ門(会話) 2022年8月24日 (水) 14:50 (UTC)
- ご返事が遅くなりまして、すみません。
- この度、パリ第3大学の ILPGA(一般応用言語学音声学研究所)の音声学教授が「この映画の題名に含まれる固有名詞(姓)Dielman の発音は間違いなく [dilman] であるため、日本語でのカタカナ表記は『ディールマン』であり、カタカナ表記『ディエルマン』を “公式” として採用したのは誤りである」ことを保証する certificat(証明書)を文書で発行していただける運びとなりました。恐縮ですが再び少々お待ちください。
- 石川太郎左ヱ門様が先日仰ったのは「一番理想的な出典は『ディエルマンが正しくない発音である』と識者・専門家が指摘している資料」とのことでした。フランス語や日本語など多言語に造詣が深く、フランスの国立大学機関に所属する専門家が発行する文書ですので、出典としては石川様の仰る通りの、最も信頼できる情報源となるのではと思うのですが、いかがでしょうか? 受領後は当該ページに出典としてアップロードいたします(画像)。
- 石川様は「ただ、あなたが提示していただいたアケルマン監督へのインタビュー動画は、監督自身が「ディールマン」と発音しているわけなので、暫定的に出典として使えそうです(私としては公表された出版物の方がいいのですが)」ともお書きになっていました。わたくし自身は、ウィキペディア日本語版に「視覚から理解できるものこそが至上の、信頼するに足る情報である」という姿勢があるのだとしたら、疑念を覚えます。視覚以外の情報を蔑視・差別せず、例えば、聴覚、または触覚、更には味覚、嗅覚での出典を検証・信頼できるほどの技術力・懐の深さを持ったメディアにいち早く転身すべきなのはウィキペディアの側だと考えます。
- 「合意形成」につきまして
- 石川太郎左ヱ門様の 2022年8月18日 (木) 14:43 (UTC)付けの「ひとつ質問です。語順に関してはどちらでもよいとのことですが、「ディエルマン」を「ディールマン」に変更する条件付きで、公式表記に従って『ジャンヌ・ディールマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』とするならば改名はOKなのでしょうか?」に、わたくしは 2022年8月21日 (日) 11:08 (UTC)付けで、「わたくしの結論を『改名はOK(ディールマンであるならば)としていただいて結構です』と既にお答えしております。当然この考えに変わりはありません。また、その直下の、「Dielmanをカタカナ表記で『ディエルマン』とするのはやはり絶対に許容されてはならないと考えます」も当然、変わりありません(前述のように “公式” こそ、確実に誤っているのですから)。
- ですので、石川様とわたくしの主張の「中庸」地点として、今回、記事名を『ジャンヌ・ディールマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』と改名するのでは、結論としてまだ何か問題があるでしょうか?Wikipédienne fr(会話) 2022年8月31日 (水) 00:14 (UTC)
- 私が前にした質問ですが、まず人名以外の語順などの表記に関しては、記事名は正式表記に従うという指針により、人名のあとに「ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」と表記するのは当然になります。あなたは語順は問題にしないと仰ったので、(議論が起きた人名の発音の件を一旦おいといて)その点だけは改名に異論がないことを確認するために質問をしました。こうして妥協の道を探ろうとしましたが、そのためにも「公式表記に従う記事名を、原音主義により変更することがアリなのか」を他の利用者から意見を伺ったのです(明確な意見はまだありませんが)。というのも、私がこれまでに主張するように、Wikipediaでは映画作品の記事名の付け方に指針があり、公式表記が存在する以上はそれに従うのが基本ですが、あなたの主張だと発音を最優先して、指針と公式表記に従わずに「ディールマン」表記を記事名とすることになり、Wikipedia上での映画作品の記事名の付け方としてそれはいいのかという疑問が出るため、それは他の利用者の意見をもとに考えたいです。それにコメントをいただいた3人の利用者も指針と公式表記の存在を理由に改名に賛成の立場をとっていますので、単純にあなたの意見に従って『ジャンヌ・ディールマン~』に改名するという結論を下すことはできません。
- つまり、私(と賛成意見を述べた方々)とあなたで対立する次の意見のどちらをとるべきかということが議論のポイントとなります。
- プロジェクト:映画#記事名の指針に従い、たとえ「ディエルマン」の発音が正しくなかったとしても、それが配給会社により決定した公式表記であり、その表記に従うことになっているため、それに基づき最初の提案通りに『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』に改名すべき。
- 公式表記の「ディエルマン」の発音は正しくなく、許容されるべきものではないため、公式表記が存在していても、正確な発音の方を優先して、公式表記ではない『ジャンヌ・ディールマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』に改名すべき。
- なお、「“公式” こそ、確実に誤っている」という認識で少し気になったので、前の返信とやや被るコメントにはなりますが、公式表記はその発音表記が確実に誤っていたとしても、Wikipedia上では配給会社が決定した表記を公式と見なすことになっている以上、残念ながらそれに従うのはやむを得ないことだと思います。「“公式” こそ、確実に誤っている」ならば、Wikipediaの記事名をどうこうする前に、まず先に配給会社に問い合わせてみてください。それで邦題が正式に「ディールマン」に変わってそれが定着すれば、その時点でWikipediaの記事名に反映すればいいのです。
- というわけで、上記の議論のポイントに関しては、他の利用者からの意見を待ち、そこから合意形成をはかりたいと思います。--石川太郎左ヱ門(会話) 2022年8月31日 (水) 13:59 (UTC)
- 質問 すぐに親切なご返事を下さり、ありがとうございました。石川太郎左ヱ門様が「気になった」、という点から、ここで、石川太郎左ヱ門さんに「ひとつ質問です」をさせて下さい:
- 現時点において、「誤っている/誤っていない」の観点のみに立った場合、すなわち、Dielmanのカタカナ表記は「ディエルマン/ディールマン」のどちらが誤っていると、石川様ご自身はお考えですか?(恐縮ですが、ウィキペディアの「判例」とはここでは一旦離れ、石川様ご自身のこの点への率直なお考えをお聞かせ下さいますと幸甚に存じます)。石川様の趣旨とは離れてしまいますが、是非お聞かせ下さい。どうぞよろしくお願い致します。Wikipédienne fr(会話) 2022年9月1日 (木) 07:51 (UTC)
- 私はフランス語に精通しているわけではなく、あなたのような立場から発音の問題を考えることができず、またDielmanの発音表記が何なのかについての出典を手にして検証することもできません。ですので私自身の考えとしては、100%確実な根拠をもって「ディエルマン/ディールマン」のどちらが誤っていると断言することはできませんが、あなたがこれまでに根拠を述べて主張してきたことを通して、「ディエルマン」が誤りなのだろうと認識はしています。--石川太郎左ヱ門(会話) 2022年9月1日 (木) 12:57 (UTC)
- 質問 灯台もと暗し、といいますか……今まで考えてみた事もなく、先程、あっ、と気づいた事があるので、ぜひ質問させてください。
- 現在、検索サイト(Google、Yahoo、Bing等)で語句「dielman」や「akerman, jeanne」で検索すると、トップや上位に(また、PCでは画面の右ペイン一番上に大きく)検索結果として「~ ディールマン」が表示されるようになっています。現状では、誤った綴りの「~ ディエルマン」ではありません。
- 前にも書きましたが、検索サイトのトップや上位に表示された表記が正しいと思い、信じる人は多いと思います(この辺りは「ニワトリが先か卵が先か」の議論に近づきますが……)。
- わたくしとしては、全員が「ああ、Dielmanって、日本語だと『ディールマン』と発音・表記するのね」と(最短の手続きで)思ってくれさえすれば事足りるわけです。つまり何が言いたいかと申しますと、今回の問題は、検索サイトで検索結果を見るだけで(ウィキペディアまでは飛んで来ないで)済ませるような殆どの層が「Dielman = ディールマン」と一瞬で認識(昨今は「ファスト◯◯」時代なようですし)するようになる解決策が得られさえすればそれで可、という事です。
- そこで、実現可能な事かわたくしには判らないのでお伺いしますが、今回、「ウィキペディアの表題だけ『~ ディエルマン』にして(同時に、Sugarmanさんのご提案「冒頭で脚注を付けるか、多少長く説明する必要があれば、『タイトルについて』のような節を設ける」の通りに、冒頭で注意喚起し)、検索サイトでは現状の通りトップや右ペインに『~ ディールマン』のまま表示される」ようにするのは可能なのでしょうか? もしそれが可能であるのなら、石川太郎左ヱ門さんの改名提案に賛成します(これとは関係なく語順に関しては勿論、石川太郎左ヱ門さんの提案通りにご修正下さい)。
- ちなみに、EULE様は「まだ記事が未作成と勘違いされて重複記事が立項されてしまう恐れもあります」との事でしたが、現状では検索サイトで誤ったカタカナの「ディエルマン」で検索し、ウィキペディアまで到達された場合、ウィキペディア上では「(~ ディエルマン ~ から転送)」と表示されるようですので重複記事立項の恐れは無いのではないでしょうか?
- さて、この度の「ディエルマン/ディールマン」問題ですが、「公式」の方がほんの少しの労力を割き、正しく表記しておいてくれさえすれば全く何の問題も無かった訳です。一本の映画を「公式に」観客に向けて公開する場合、字幕(時には吹き替え)の制作、宣伝、劇場とのやり取り、映写フォーマット(比率)や音響の確認(ここ最近では、内容がコンプライアンス違反ではないかのチェック、時には観客を男女で区分けした客席に座らせる)等…… 途方もない仕事量が「公式の中の人」には重くのしかかるのだとは推察しますが、でも、だからといってその「入口」「顔」とも言っていい「邦題」をミスって命名してしまった事は絶対に軽く受け流してしまってはならないと思います(……ですが、正直な所、つい先日また「公式」が誤っている別の例に出遭いまして、すみませんがこの件の事をしばらくは考えたくない気分になっています)。--Wikipédienne fr(会話) 2022年9月7日 (水) 21:30 (UTC)
- まず、記事名はあなたの個人的な考えで決めるものではありません。「わたくしとしては、全員が「ああ、Dielmanって、日本語だと『ディールマン』と発音・表記するのね」と(最短の手続きで)思ってくれさえすれば事足りる」というのはあなた個人の目的であり、「検索サイトのトップや上位に表示された表記が正しいと思い、信じる人は多い」「検索サイトで検索結果を見るだけで(ウィキペディアまでは飛んで来ないで)済ませるような殆どの層」というのもあなた個人の裏付けのない主観的な考えに過ぎません。多くの利用者から「個人の判断で邦題を修正すべきではない」「公式表記に従うべき」という見解が出ているにもかかわらず、あなた個人の主観的な考えに基づく、個人的な目的のために記事名を決めるのは適切ではありません。
- その上で一応あなたの質問に回答しますが、それはできないと思います。検索結果のトップや上位に「ディールマン」となっているのは、検索結果で(その項目の記事が存在する限りはほぼ)上位表示されるWikipediaの記事名が、現状「ディールマン」となっているのでそれが反映されているにすぎず、検索サイトが「ディールマン」表記が正しいと意思表示しているわけではありません。つまり、改名されればその通りの表記が反映されることになるでしょう。ただ、検索結果のトップや上位でどう表示するかというのは、それぞれの検索サイトのシステムの問題であり、Wikipediaの議論でどうこうして決まることではありません。私たちWikipediaの利用者は検索サイトのシステム設計者ではないので、私たちにはどうしようもできない検索サイトの表示システムがどうとかという理由で改名の賛否を決められても困ります。
- 次のコメントは仮にあなたの個人的な目的を踏まえた場合のコメントとなりますが、(前にも似たようなことを言いましたが)Dielmanの正確な発音が何かということについては記事本文の説明を見ないと分かりません。あなたはこの作品の原題にDielmanというローマ字の人名表記が存在することを知っており、発音の問題を知っているので、それ前提で話を進めているように思われますが、この作品を調べる大方の人たちは発音問題の存在を知らず、全員がDielmanの発音について気にかけて検索するとは限りません。そのような人たちからすれば、むしろ単純にこの作品を検索した場合、検索結果を見てWikipediaが公式サイトや映画情報サイトなどと表記が異なることに疑問を感じることが十分考えられます。前にも言いましたが、私が改名提案を出したのも、この疑問を感じたのがきっかけです(なお、この疑問には、ディエルマンかディールマンかという問題だけでなく、語順なども公式表記と異なっているという問題も含みます)。それこそがEULEさんが指摘された「タイトルを公式なもの、広く知られているものにするのは検索時に重要なこと」だと思います。
- それ以前に、検索結果には原題が併記されているとは限りませんので、調べる人のなかにはこの作品の原題にDielmanというローマ字の表記が存在すること、あるいはディエルマン/ディールマンの原語表記がDielmanであること自体を把握できていない人もおり、そのような人たちがDielmanで検索はしないと思います。このような人たちはWikipediaを開いたり、公式サイトや作品情報を記したページを開くことで、初めてこの作品の原題に触れることになると思いますので、Wikipediaの説明から「Dielmanは本当は『ディールマン』というのね」と理解することができます。ですので、検索結果の表示を見ただけでDielmanの正確な日本語の発音表記を理解することはできません。
- また、あなたは配給側がこのような邦題をつけたのを「ミスって命名した」としていますが、配給側は何かしらの理由があってこのような邦題を付けている可能性もあるので、その事情を当事者から聞いているわけでもないのに、一方的にミスったと憶測を立てて批判するのは如何なものかと思います。過去の返信で2度もあなたにコメントしてスルーされていることですが、このようなことがどうしても許せないというのであれば、まず配給会社に直接問い合わせてください。そうすれば本当にミスったのか、それとも別の事情があったのかが分かると思います。そしてパリ第3大学の研究所から発行されたとかいう証明書なるものを送付して、邦題を修正するように働きかけたらどうでしょうか? Wikipediaの映画作品の記事名は配給側が決めた公式表記に準じるわけなので、配給側が邦題を「ディールマン」表記に修正しないと、記事名を「ディールマン」にすることはできません。--石川太郎左ヱ門(会話) 2022年9月10日 (土) 14:31 (UTC)
- 一案として、Sugarmanさんご指摘の「『タイトルについて』のような節を設けるのが望ましい」に沿って本文を編集をしてみました。気になる点がありましたらどうぞ遠慮無くご教示ください。
- さて、「記事名はあなたの個人的な考えで決めるものではありません」との事ですが、無論、十分過ぎるほど承知しております。この度のご返答では、石川太郎左ヱ門さんご自身も「個人」の “想像の域を出ない” 推察を以前にも増し、逞しくして多く述べられておられますが、しかし今回はそれらを重箱の隅をつつくように指摘するのが本投稿の目的ではないので、いたしません。また、わたくしは事実を事実として淡々と時系列的に整理・把握しようと努めているだけであって、誰に対しても「批判」はしていません。また、「スルーされてい」るとお感じの、「公式」つまり配給会社への問い合わせの件ですが、例の certificat は発行後に「法定翻訳」を経させなければなりませんし、「公式」側に邦題の「公式な」訂正を確実に遂行してもらうためには、いい加減ではなく、きちんと法に則った手順で進めるべきと考えますので多少お時間を頂きます(そこまで何故わたくしだけが時間・費用・労力を割く必要があるのか?という疑問は今ふつふつと湧いてはおりますが、既にフランスの弁護士とも作業し、「賽は投げられ」た状態にあります。しかしながら当然の事、本件は「裁判」で訴えるほどの事件でもありません…… シャンタル本人が原告であるなら可能かも知れませんが)。
- さて、昨今は日本にも全体主義が蔓延・浸透し、少数から生まれる意見を蔑視や軽視、あるいは無視したい人が、他の国と比べて日本には圧倒的に多い事を皮膚感覚で日々強く感じております。この度の「エ」/「ー」の表記問題ですけれども、わたくしのような「フランス語と日本語の両方を理解」し、かつ「フランス語をカタカナに最良な方法で置き換える方法に習熟している」、というかなり特殊な、ごく少数またはたった一人の「個人」がスタート地点に「傍目八目」的に存在していたからこそ発見され、浮上してくることが出来たのであって、ともすると “この程度の事” であったら「全体主義の伏魔殿」の中で押し潰され、うやむやにされ、一瞬で葬られる可能性が高かったのではないでしょうか? ここのところ、その他の言語版の Wikipediaと比べてウィキペディア日本語版の「信頼性」が顕著に低下している事も心配しておりました。その「信頼性の低下」は例えば、今回のように盲目的に「公式」を信じて疑わないという態度(その盲目性はときには「怠慢」にもなり得ます)が積み重なった結果、醸成されたものではないでしょうか?
- 世の中のあらゆる事象が「ウィキペディア法典」に厳密に則ったフォーマットで、ウィキペディアの項目群としてあたかも美しい幾何学を描くかのように描写される、という幻想は美しいし、興味深いとはわたくしも思います。が、やはりそれは全体主義的な幻想にしか過ぎません。
- こちらはご参考程度にお読みください: 「日本ではたくさんの人が正解だと思ったことが正解です。」
- 石川太郎左ヱ門さんもご自身で「現状コミュニティの中で広く支持されている見解」と、既に限界を指摘なさっていますし、それと同時に石川太郎左ヱ門さんご本人が「『ディエルマン』が誤りなのだろうと認識はしています。」とした上で、それでも堂々と「たくさんの人が正解だと思ったこと」をウィキペディア日本語版の表題に掲げたままにしておく、というのは、靴の中に入った小さな石粒のように気持ちの良いものではないのではないでしょうか?Wikipédienne fr(会話) 2022年9月14日 (水) 22:48 (UTC)
- 私はフランス語に精通しているわけではなく、あなたのような立場から発音の問題を考えることができず、またDielmanの発音表記が何なのかについての出典を手にして検証することもできません。ですので私自身の考えとしては、100%確実な根拠をもって「ディエルマン/ディールマン」のどちらが誤っていると断言することはできませんが、あなたがこれまでに根拠を述べて主張してきたことを通して、「ディエルマン」が誤りなのだろうと認識はしています。--石川太郎左ヱ門(会話) 2022年9月1日 (木) 12:57 (UTC)
- 報告 合意形成のために他の利用者からより多くの意見を伺いたく、Wikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメント依頼に告知しました。他の利用者たちにも議論を把握できるようにするため、議論の内容を以下に要約します。
- 私(石川太郎左ヱ門)は本作の記事名を、プロジェクト:映画#記事名に従って2022年劇場公開時の邦題(それまでは長らく日本未公開)で、配給元や公式サイトが用いている表記である「公式表記」の『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』への改名を提案し、現時点で3人の利用者がこれと同じ意見を表明しています。これに対してWikipédienne frさんは、フランス語に熟知した人としての立場から「ディエルマン」の発音は誤っており、正しくは「ディールマン」であるという理由で、私の改名提案に反対していますが、それ以外の語順等の表記は問題にせず、『ジャンヌ・ディールマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』ならばよいとしています。「ディエルマン/ディールマン」の表記をめぐり、指針に従い公式表記通りに改名すべきと主張する私と、発音の誤りを許容できないと主張するWikipédienne frさんとで議論が続いています。そこで合意形成のために次の意見のうちどちらをとるべきかを、より多くの利用者から伺いたいです。
- プロジェクト:映画#記事名の指針に従い、たとえ「ディエルマン」の発音が正しくなかったとしても、それが配給会社により決定した公式表記であり、その表記に従うことになっているため、それに基づき最初の提案通りに『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』に改名すべき。
- 公式表記の「ディエルマン」の発音は正しくなく、許容されるべきものではないため、公式表記が存在していても、正確な発音の方を優先して、公式表記ではない『ジャンヌ・ディールマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』に改名すべき。
- 私(石川太郎左ヱ門)は本作の記事名を、プロジェクト:映画#記事名に従って2022年劇場公開時の邦題(それまでは長らく日本未公開)で、配給元や公式サイトが用いている表記である「公式表記」の『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』への改名を提案し、現時点で3人の利用者がこれと同じ意見を表明しています。これに対してWikipédienne frさんは、フランス語に熟知した人としての立場から「ディエルマン」の発音は誤っており、正しくは「ディールマン」であるという理由で、私の改名提案に反対していますが、それ以外の語順等の表記は問題にせず、『ジャンヌ・ディールマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』ならばよいとしています。「ディエルマン/ディールマン」の表記をめぐり、指針に従い公式表記通りに改名すべきと主張する私と、発音の誤りを許容できないと主張するWikipédienne frさんとで議論が続いています。そこで合意形成のために次の意見のうちどちらをとるべきかを、より多くの利用者から伺いたいです。
- 皆様のご意見のほどよろしくお願いいたします。--石川太郎左ヱ門(会話) 2022年9月1日 (木) 13:56 (UTC)
コメント依頼から来ました。やはり『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』として公開されている以上、記事名は一言一句変えずこれに倣うほかないと思います。邦題というのは必ずしも原題を直接に翻訳するものではなく、様々な理由で原題からかけ離れたものを採用することが認められているわけですから、一見して誤訳とか誤記に見えるからといって、ウィキペディアの利用者の判断で修正するのは独自研究にほかなりません。名の発音が誤っていると指摘する適当な出典があるのならば、冒頭で脚注を付けるか、多少長く説明する必要があれば、「タイトルについて」のような節を設けるのが望ましいでしょう。また、その場合はノートでも挙げられた非劇場上映時の邦題の変遷についても触れるべきかもしれません。--Sugarman(会話) 2022年9月2日 (金) 02:55 (UTC)
コメント依頼をみてコメントしますが、石川太郎左ヱ門氏の意見が全面的に正しいです。原則として、プロジェクト:映画 もしくは Wikipedia:記事名の付け方に従うべきであり、「日本語題として公式の名称」もしくは「信頼できる情報源において作品のタイトルとして広く用いられている名称」を使うべきであり、その中に用いられた単語の発音を正確なものにする必要はないです。そもそも、タイトルを公式なもの、広く知られているものにするのは検索時に重要なことであって、日本語題が見つからない場合ならともかく、個人の勝手な考えで変えていいものではありません。まだ記事が未作成と勘違いされて重複記事が立項されてしまう恐れもあります。--EULE(会話) 2022年9月3日 (土) 04:26 (UTC)
- コメントをして頂きありがとうございます。告知から1週間経過しましたのでコメントしますが、お二方の意見、それ以前にコメントをして頂いたお三方の意見により、今回の改名提案は、Wikipediaの指針に従って公式表記の通りにすべきであり、独自研究となるため利用者個人の判断で表記を変更すべきではないという理由で、当初の提案通りに『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』に改名するのが適当であるというのが、現状コミュニティの中で広く支持されている見解になる、と認めて差し支えないかと思います。
- Sugarmanさんの指摘された、「名の発音が誤っていると指摘する適当な出典があるのならば、冒頭で脚注を付けるか、多少長く説明する必要があれば、「タイトルについて」のような節を設けるのが望ましい」という意見は、私も全面的に賛成だと思います。現状はリード文1段落目に長々と書かれていますが、それは主題を定義し、記事本文の要約を記すリード文の書き方(Wikipedia:スタイルマニュアル/導入部)には沿っていないと思います(ただその一方で、本文の要約としてリード文を書けるほど内容が充実していないというのも事実ですが…)。ですので、注釈に回すか、新たな節を作って説明するのは適切な方法だと思います。適当な出典を付けることに関しても、現状の説明文には出典が付いておらず、信頼できる情報源によって検証可能性が満たされているとはいえない状態ですので、改善は必須だといえます。--石川太郎左ヱ門(会話) 2022年9月10日 (土) 13:26 (UTC)
賛成 プロジェクト:映画#記事名のガイドラインに沿った改名に賛成します。その他の候補名については、出典による根拠があるのであれば残し、リダイレクトで対応するのはいかがでしょう。--Moke(会話) 2022年9月17日 (土) 01:02 (UTC)
報告 Wikipedia:投稿ブロック依頼/Wikipédienne frを提出したことを報告いたします。--EULE(会話) 2022年9月17日 (土) 11:04 (UTC)
報告 改名を提案された石川太郎左ヱ門さんがウィキブレイクに入られたこと、反対していたWikipédienne frさんが「もうウィキペディアでは活動していません」と宣言されたことから、ここまででもっとも賛成票の多かった公式邦題の「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」へ改名させて頂きました。--Gruppetto(会話) 2022年9月18日 (日) 04:05 (UTC)
報告 Wikipédienne fr氏が投稿ブロックされたことを報告いたします。既に記事名は直されており、それに異論はありませんが、1点だけ私見を述べておきます。Wikipédienne fr氏が要約欄において、『「公式」側に名称を正式変更していただくよう手配中』と述べております。それがどのような働きかけなのかは私にはわかりませんし、実際にそうなるかもわかりませんが、もし、公式に相当するもので変更がなされた場合に関して、プロジェクト:映画の規定では原則として公開当時のものとされていますが、変更された邦題に再改名することにも反対いたしません(スターウォーズのEP6の例など)。いずれにせよ、公式が先に立つのであって、ウィキペディアは公式の後追いでなくてはならないのは言わずもがなです。--EULE(会話) 2022年9月26日 (月) 14:54 (UTC)