スズキ・カバト
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基本情報 | |
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本名 | Nolito Cabato |
階級 | フライ級 |
国籍 | フィリピン |
誕生日 | 1968年10月3日 |
出身地 | ベニト・スゴッド |
死没日 | 2007年2月24日(38歳没) |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 62 |
勝ち | 38 |
KO勝ち | 17 |
敗け | 19 |
引き分け | 5 |
スズキ・カバト(1968年10月3日 - 2007年2月24日)は、フィリピン・レイテ島生まれ、ベニト・スゴッド出身の元プロボクサー。本名はノリト・カバト(Nolito Cabato)。ちなみに、リングネームのスズキ・カバトのスズキは、会長の鈴木からきている。1994年より新日本大阪ジム所属。第43代日本フライ級王者。
来歴
[編集]1988年12月22日、東京でプロデビュー[1]。以後5年間はタイ・日本(青森県総合運動公園体育館でのレパード玉熊VSヘスス・ロハスのセミで西城のホープ田村知範に6R判定負け)・韓国へ多く遠征し、経験を積んだ。
1993年12月18日、フィリピンGABフライ級王者ダン・ニエテスと対戦し、2回TKO負けを喫し王座獲得に失敗した[1]。
1994年、グリーンツダジムに招かれ井岡弘樹のスパーリング・パートナーを務めていた時に鈴木太一・新日本大阪ジム会長の目に留まり、同ジムの所属選手となって日本へ拠点を移した[1]。
1996年11月18日、後楽園ホールでのガッツファイティング、(当初は指名挑戦者として渡久地隆人に挑む予定だったが)重安栄二との日本フライ級王座決定戦で7回負傷判定勝ちを収め王座を獲得[1]。これ以前に傷めた拳の影響もあり、重心を後ろに置いたカウンタースタイルが特徴的であった。
1997年4月5日、徳山昌守に10回引き分けで初防衛に成功した[1]。
1997年6月24日、柳光和博に10回判定勝ちで、2度目の防衛に成功した[1]。
1997年9月13日、セレス小林に3回負傷引き分けで、3度目の防衛に成功した[1]。
1997年11月25日、徳山昌守との再戦を7回負傷判定勝ちで、4度目の防衛に成功した。
1998年4月4日、セレス小林との再戦を10回判定勝ちで、5度目の防衛に成功した。
1998年5月4日、名古屋国際会議場で石原英康のデビュー戦となるノンタイトル6回戦で対戦し、0-2(55-58、57-58、57-57)の判定負けを喫した[1]。
1998年7月26日、浅井勇登に10回判定勝ちで、6度目の防衛に成功した[1]。
1998年9月30日、戦はセレス小林との3度目の対決に10回判定負けを喫し7度目の防衛に失敗、王座から陥落した[1]。12月の大阪府立体育会館での再起戦でも山口圭司に判定負け[1]。
1999年10月15日、趙正路( 韓国)に6回TKO勝ちを最後に引退した[1]。
2007年2月24日、急性心不全のため亡くなった。38歳没[1]。
戦績
[編集]- プロボクシング:62戦38勝(17KO)19敗5分
獲得タイトル
[編集]- 第43代日本フライ級王座(防衛6)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]空位 前タイトル保持者 ピューマ渡久地 |
第43代日本フライ級王者 1996年11月18日 - 1998年9月30日 |
次王者 セレス小林 |