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ニューウェルズ・オールドボーイズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニューウェルズ・オールドボーイズ
原語表記 Club Atlético Newell's Old Boys
愛称 La Lepra, El Rojinegro
クラブカラー 赤・黒
創設年 1903年
所属リーグ アルゼンチンリーグ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン ロサリオ
ホームスタジアム エスタディオ・マルセロ・ビエルサ
収容人数 42,000[1]
代表者 アルゼンチンの旗 イグナシオ・アストレ
監督 ウルグアイの旗 マウリシオ・ラリエラ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

クルブ・アトレティコ・ニューウェルズ・オールドボーイズスペイン語: Club Atlético Newell's Old Boys)は、アルゼンチンサンタフェ州ロサリオを本拠地とするサッカークラブである。

概要

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クラブ名は創設者のアイサック・ニューウェルの名前に由来している。イギリス系移民によって設立されたため、スペイン語圏のアルゼンチンにあってクラブ名に英語を使用している。スペイン語では"s"は濁らずスと発音されるため、現地ではニューウェル・オールド・ボーイスと発音される。

選手育成力には定評があり、全国ユースリーグではボカ・ジュニアーズに次ぐ成績を収めている。1980年代以降では、アベル・バルボ(1987年デビュー)、ガブリエル・バティストゥータ(1988年デビュー)、ガブリエル・エインセ(1996年デビュー)、マキシ・ロドリゲス(1999年デビュー)、リオネル・メッシ(1995年から2000年まで下部組織に在籍)などのニューウェルズ出身選手がヨーロッパのビッグクラブに羽ばたいている。

歴史

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イングランドからロサリオに移民したアイザック・ニューウェルは鉄道電信技士として働いた後、1884年にコレヒオ・コメルシアル・アングリカーノ・アルヘンティーノという名称の商業学校を設立した[2]。当時はアルゼンチン各地の学校でサッカーが広まりつつあった時代で、1900年に学校長の座を息子に譲ると、自身はサッカークラブ設立に尽力し、1903年11月3日にCAニューウェルズ・オールドボーイズが設立された[2]。当初は学校のモチーフカラーと同じ白色と青色のシャツを着ていたが、すぐに黒色と赤色のシャツに変更された[2]。赤色はイサークの母国イングランド国旗に由来し、黒色は妻の母国ドイツの国旗に由来する[2]。1905年のリーガ・ロサリーナ初回大会では、CAロサリオ・セントラルと間で初のロサリオ・ダービーが開催された。ロサリオ・ダービーはアルゼンチンで最も激しいローカル・ダービーのひとつであるとされ、両クラブ間での選手の行き来はほとんどない。1920年代、地元のハンセン病専門病院の援助のためにニューウェルズとセントラルがチャリティマッチに招待されたが、セントラルが出場を拒否したのに対してニューウェルズは快く応じたことから、敬意をこめてLos Leprosos(ロス・レプロソス、ハンセン病患者)と呼ばれるようになり[2]、一方のセントラルはLos Canallas(ロス・カナーリャス、ごろつき/悪党)という愛称で呼ばれるようになった。アマチュア時代やセミプロ時代には何度かタイトルを獲得し、1925年にはフリオ・リボナッティアルゼンチン人初の国外移籍(イタリアのトリノFCへ)を果たした[2]

ホルヘ・バルダーノアメリコ・ガジェゴなどに牽引されたメトロポリターノ1974では、最終節のロサリオ・ダービーで0-2の劣勢を2-2の引き分けに持ち込み、プロ化後初のリーグ優勝を決めた。アルゼンチンが初優勝した1978 FIFAワールドカップではガジェゴが優勝メンバーとなっている。また、1977年にはセルヒオ・オマール・アルミロンがトップチームデビューし、1986 FIFAワールドカップの優勝メンバーとなった。1987-88シーズンには2度目のリーグ優勝を果たしたが、この年のチームは選手全員が下部組織出身であった[2]。1990年には下部組織を指導していたマルセロ・ビエルサ監督がトップチームの監督に就任し、1990-91シーズンとクラウスーラ1992でリーグ優勝を果たした。また、1988年と1992年にはコパ・リベルタドーレスで決勝に進出したが、どちらの大会も決勝で敗れて準優勝に終わっている。1993年にはセビージャFCからディエゴ・マラドーナが加入したが、わずか数試合に出場しただけでニューウェルズを去った。これ以後の10年間は停滞期であったが、2003年にはレジェンドであるガジェゴが監督に就任し、アペルトゥーラ2004で12年ぶり5回目のリーグ優勝を果たした。現役引退を表明していたアリエル・オルテガがこのシーズンに選手復帰を果たしている。2008-09シーズン開幕の段階では降格の危機に立っていたが、アペルトゥーラ2008では堅実なプレーぶりで5位となり、選手としてもニューウェルズでプレーしたネストル・センシーニ監督に率いられたアペルトゥーラ2009では、CAバンフィエルドに次ぐ2位に躍進した。2010年前半にはコパ・リベルタドーレスに出場して1回戦敗退に終わったが、同年後半に出場したコパ・スダメリカーナではベスト8となった。

スタジアム

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1911年7月23日に落成したエスタディオ・マルセロ・ビエルサスペイン語版はインデペンデンシア公園に所在する。1995年と1997年に改築され、ブエノスアイレス以外にあるスタジアムとしてはアルゼンチン最大級の収容人数42,000人を誇る。2001年にはFIFAワールドユース選手権の開催スタジアムとなった。長い間公式名が存在せず、エル・コローソ・デル・パルケ(公園のコロッサス)などと呼ばれていたが、かつてニューウェルズを指揮したマルセロ・ビエルサ監督の名前を取り、2009年12月22日に現行の名称となった[2]

タイトル

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国内タイトル

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近年の成績

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シーズン ディビジョン 順位 試合数 得点 失点 勝ち点 備考
2008-09 アペルトゥーラ プリメーラ 5 19 8 7 4 26 18 31
クラウスーラ 15 19 4 9 6 21 22 21
2009-10 アペルトゥーラ プリメーラ 2 19 12 3 4 26 15 39
クラウスーラ 6 19 8 6 5 32 18 30 コパ・リベルタドーレス 1回戦敗退
2010-11 アペルトゥーラ プリメーラ 9 19 6 8 5 13 12 26 コパ・スダメリカーナ ベスト8
クラウスーラ 19 19 4 4 11 16 32 16
2011-12 アペルトゥーラ プリメーラ 18 19 1 13 5 13 18 16
クラウスーラ 6 19 9 5 5 26 19 32
2012-13 イニシアル プリメーラ 2 19 9 9 1 23 11 36
フィナール 1 19 12 2 5 40 21 38 コパ・リベルタドーレス ベスト4
2013-14 イニシアル プリメーラ 4 19 8 7 4 27 21 31
フィナール 12 19 6 7 6 22 18 25
2014 - プリメーラ 12 19 6 7 6 21 24 25
2015 - プリメーラ 16 30 10 10 10 27 30 40
2016 - プリメーラ ソナ2 12 16 3 7 6 16 21 16
2016-17 - プリメーラ

現所属メンバー

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2022年9月12日現在[3]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 DF アルゼンチン クリスティアン・レマ英語版
3 DF アルゼンチン マルティン・ルシアーノ英語版
8 MF アルゼンチン パブロ・ペレススペイン語版
9 FW アルゼンチン フアン・マヌエル・ガルシアスペイン語版
13 MF アルゼンチン フアン・セバスティアン・スフォルツァ英語版
14 DF ウルグアイ アルマンド・メンデス英語版
16 FW エクアドル ジョルカエフ・レアスコ
18 FW アルゼンチン Brian Aguirre
19 DF アルゼンチン ファクンド・マンシージャ英語版
20 MF アルゼンチン フリアン・フェルナンデススペイン語版
21 DF アルゼンチン レオネル・バンジョーニ
No. Pos. 選手名
22 MF アルゼンチン Marcos Portillo
23 GK アルゼンチン Franco Herrera
24 FW アルゼンチン Genaro Rossi
26 FW アルゼンチン ラミロ・ソルド英語版
27 FW アルゼンチン ルシアーノ・チンゴラーニ英語版
33 GK アルゼンチン Felipe San Juan
39 FW アルゼンチン Nazareno Fúnez
44 FW アルゼンチン フランシスコ・ゴンサレス英語版
47 MF アルゼンチン Guillermo Balzi
52 DF アルゼンチン Marco Campagnaro
55 DF アルゼンチン Tomás Jacob
- FW アルゼンチン ルーカス・メラノスペイン語版

ローン移籍

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in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
4 DF コロンビア ウィラー・ディッタスペイン語版 (アトレティコ・ジュニオール)
5 MF コロンビア ファビアン・アンヘルスペイン語版 (アトレティコ・ジュニオール)
7 MF アルゼンチン フアン・ガーロ (CAウラカン)
No. Pos. 選手名
12 GK アルゼンチン ラミロ・マカーニョ英語版 (アトレティコ・デ・ラファエラスペイン語版)
17 GK アルゼンチン ラウタロ・モラレス (CAラヌース)
25 DF パラグアイ ビクトル・ベラスケススペイン語版 (FCフアレス)
30 MF アルゼンチン クリスティアン・フェレイラスペイン語版 (CAリーベル・プレート)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
- GK アルゼンチン Williams Barlasina (クラブ・アグロペクアリオスペイン語版)
- DF アルゼンチン ステファノ・カレガロスペイン語版 (クラブ・アグロペクアリオ)
- DF アルゼンチン Brian Calderara (CAバラカス・セントラルスペイン語版)
- DF アルゼンチン ファクンド・ナダリン英語版 (アトレティコ・デ・ラファエラスペイン語版)
No. Pos. 選手名
- DF アルゼンチン マヌエル・リャノ英語版 (CDゴドイ・クルス・アントニオ・トンバ)
- MF アルゼンチン フスト・ジャーニスペイン語版 (CAパトロナートスペイン語版)
- FW アルゼンチン フリアン・マルシオーニ英語版 (CAアトランタスペイン語版)
- FW アルゼンチン アレクシス・ロドリゲス英語版 (デポルティーボ・ムニシパル)
- FW アルゼンチン エンソ・カブレラ英語版 (ビルキルカラFC)
- MF アルゼンチン ジェロニモ・カチャブレ英語版 (ミジェ・レグニツァポーランド語版)


歴代監督

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歴代所属選手

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脚注

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  1. ^ Estadio Marcelo A. Bielsa” (Spanish). Newell's Old Boys. 9 August 2021閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h FIFA.com. “Newell's Old Boys”. 2012年10月1日閲覧。
  3. ^ Newell's Old Boys”. Soccerway. 2022年12月10日閲覧。

外部リンク

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