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ニコライ・ネボガトフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニコライ・ネボガトフ

ニコライ・イワノヴィチ・ネボガトフロシア語:Никола́й Ива́нович Небога́тов1849年4月20日-1922年8月4日)は、ロシア帝国軍人海軍少将

略歴

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バルト海の砲術学校の校長として、多数のロシア帝国海軍軍艦を管理する。

日露戦争では、老朽艦ばかりで編成された第3太平洋艦隊を、戦艦「インペラートル・ニコライ1世」に座乗して率い、ウラジオストクを目指した。

日本海海戦では主力艦隊が壊滅した1905年5月27日の海戦や、その夜の夜戦は切り抜けたが、翌28日に日本連合艦隊の主力に包囲され降伏し、捕虜となる。

日本から帰還後、軍事裁判所は当初戦闘放棄の罪で死刑を宣告したが、すぐに懲役16年に減刑された。2年後、健康状態が悪化、皇帝の命令にて解放された。

関連項目

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