ニケーズ・ド・ケイゼル
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(ニケーズ・ド・カイセルから転送)
ニケーズ・ド・ケイゼル Nicaise de Keyser | |
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シャルル・ボーニエによる肖像画 | |
生誕 |
1813年8月26日 フランス帝国、アントウェルペン |
死没 |
1887年7月17日 ベルギー、アントウェルペン |
ニケーズ・ド・ケイゼル(Nicaise de Keyser 、名は: Nicaas, Nikaas とも、1813年8月26日 - 1887年7月17日)は、ベルギーの画家である。主に歴史画や肖像画を描いた。ベルギーのロマン主義の美術において重要な画家である。
略歴
[編集]アントウェルペンのザンドヴリート地区で生まれた。 アントウェルペンの王立美術アカデミーで、ファン・ブレー(Mathieu Ignace van Brée)らに学んだ。1835年頃から、イングランド、スコットランド、パリ、イタリアを旅した[1]。1840年に画家の Isabella Telghuysと結婚した。
1855年にフスタフ・ワッペルスの後任としてアントウェルペンの王立美術アカデミーの校長になった[2]。ド・ケイゼルの教えた画家には エミール・クラウス、Joseph Lies、アロイース・ブードリー、マティス・マリス、シャルル・ヴェルラらがいる[3]。
始め宗教的な題材を描き、歴史画でも高く評価された。上流階級の肖像画を描いて人気があった。
歴史画の代表作に、14世紀のフランドル都市連合軍がフランス軍を破った戦いを描いた『金拍車の戦い』(1837年)がある。
1845年にベルギーの王立科学・文芸・芸術アカデミーの会員に選ばれ、1874年には会長を務めた。1849年にプロイセン芸術アカデミーの会員に選ばれ、1862年にはフランス政府からレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲し[4]、1873年にプロイセン政府からプール・ル・メリット勲章、1881年にベルギー政府からレオポルド勲章(グランオフィシエ)を受勲した[5]。
作品
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レオポルド1世 (ベルギー王),(1856)
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ヴュルテンベルク王妃オリガ (1848)
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ウィレム2世 (オランダ王),(1846)
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ペトラルカとラウラ (1842)
脚注
[編集]- ^ D. Cardyn-Oomen. "De Keyser, Nicaise." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 2 Mar. 2014
- ^ Itschert, Carl. “Nicasius De Keyser”. Pros Robaer. 15 December 2011閲覧。
- ^ Biographical details at the Netherlands Institute for Art History
- ^ Journal De Bruxelles 20-07-1887
- ^ Handelsblad (Het) 15-05-1881
参考文献
[編集]- Hymans, Notice sur la vie et les travaux de N. de Keyser, Brussels, 1889.
- Laurent Stevens, “Bravo Toro: souvenir d'une course de taureaux à Madrid: La peinture tauromachique de Nicaise de Keyser”, Annales d'histoire de l'art et d'archéologie (Université Libre de Bruxelles), vol.32, 2010, pp.93–112.