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外務省 (ドイツ)

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ドイツ外務省から転送)
ドイツの旗 ドイツ行政機関
外務省
Auswärtiges Amt(AA)
ベルリン本庁舎の入り口
ベルリン本庁舎の入り口
役職
外務大臣 アンナレーナ・ベアボック
ヨーロッパ担当補佐官 アンナ・リューマン英語版
国務担当補佐官 カティヤ・クール英語版
トビアス・リンドナー英語版
組織
概要
所在地 10117 ベルリン市ミッテ区ヴェルターシャー・マルクトドイツ語版1番地北緯52度30分53秒 東経13度23分58秒 / 北緯52.51472度 東経13.39944度 / 52.51472; 13.39944座標: 北緯52度30分53秒 東経13度23分58秒 / 北緯52.51472度 東経13.39944度 / 52.51472; 13.39944
定員 在外 1万1652人
国内 5622人[1]
年間予算 63億200万ユーロ[2](2021年度)
設置 1870年1月12日 (154年前) (1870-01-12)
現在の体制:1951年 (73年前) (1951)(現在の体制)
ウェブサイト
www.auswaertiges-amt.de/de(ドイツ語)
www.auswaertiges-amt.de/en(英語)
テンプレートを表示
シュプレー川の橋から見た旧帝国銀行本部(手前)、新庁舎(奥)
外務省新館(中央)および左隣の旧帝国銀行本部[注釈 1](ベルリン)

外務省(がいむしょう、De-Auswärtiges Amt.ogg Auswärtiges Amt[ヘルプ/ファイル]、略称はAA)は、ドイツ連邦共和国中央省庁外交欧州連合との関係を担当する。2021年12月発足のショルツ内閣外務大臣アンナレーナ・ベアボック日本語では便宜上「ドイツ外務省」とも表記する。

概要

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現在のドイツ外務省は、1870年設立の北ドイツ連邦外務省及びドイツ統一後の翌1871年にそれを引き継いで設けたドイツ帝国外務省に起源を持つ。帝国成立直後は、外交家としても辣腕を揮った(ふるった)鉄血宰相ビスマルクによって指導され、外務省内には、政務・経済局と法務・領事局が設置されていた。

第一次世界大戦後に発足したワイマール共和国では、外務省官制も再編成され、より近代的な官僚制に移行した。1933年ナチス政権成立直後は、従来からの外務省及びヒトラーの外交顧問であったヨアヒム・フォン・リッベントロップの個人事務所である「リッベントロップ事務所」による「二元外交」が一時出現したが、1938年にはリッベントロップが外相に就任し、形式的には外務省に外交が一元化された。

第二次世界大戦後のドイツ東西分裂により、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)では1951年3月15日ボンに外務省を設置した。ドイツ再統一がなると、1999年ベルリンの旧ドイツ社会主義統一党本部ビル(旧ドイツ帝国銀行本店)に中央機能を遷し、現在に至っている。

在外公館

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ドイツ外務省は、ベルリンに本庁舎を設置するとともに、世界各国に大使館領事館、その他外交代表部など計226ヶ所の在外公館を設置している。また、無報酬の名誉領事(現在354人)を任命し、親善に努めている[要出典]

歴代外務大臣

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外務大臣(1951年以降)の一覧

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凡例 所属政党:       キリスト教民主同盟(CDU)       ドイツ社会民主党(SPD)       自由民主党(FDP)       同盟90/緑の党(Grünen

氏名 肖像 所属政党 在任期間 首相
(内閣)
コンラート・アデナウアー CDU 1951年3月15日 1955年6月6日 第1次・第2次アデナウアー内閣
ハインリヒ・フォン・ブレンターノ CDU 1955年6月6日 1961年10月30日 第2次・第3次アデナウアー内閣
ゲアハルト・シュレーダー CDU 1961年11月14日 1966年11月30日 第3次・第4次アデナウアー内閣
第1次・第2次エアハルト内閣
ヴィリー・ブラント SPD 1966年12月1日 1969年10月20日 キージンガ―内閣
ヴァルター・シェール FDP 1969年10月21日 1974年5月15日 第1次・第2次ブラント内閣
ハンス=ディートリヒ・ゲンシャー FDP 1974年5月17日 1982年9月17日 第1次・第2次・第3次シュミット内閣
ヘルムート・シュミット SPD 1982年9月17日 1982年10月4日 第3次シュミット内閣
ハンス=ディートリヒ・ゲンシャー FDP 1982年10月4日 1992年5月17日 第1次・第2次・第3次・第4次コール内閣
クラウス・キンケル FDP 1992年5月18日 1998年10月26日 第4次・第5次コール内閣
ヨシュカ・フィッシャー Grünen 1998年10月27日 2005年11月22日 第1次第2次シュレーダー内閣
フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー SPD 2005年11月22日 2009年10月28日 第1次メルケル内閣
ギド・ヴェスターヴェレ FDP 2009年10月28日 2013年12月17日 第2次メルケル内閣
フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー SPD 2013年12月17日 2017年1月27日 第3次メルケル内閣
ジグマール・ガブリエル SPD 2017年1月27日 2018年3月14日
ハイコ・マース SPD 2018年3月14日 2021年12月8日 第4次メルケル内閣
アンナレーナ・ベアボック Grünen 2021年12月8日[3] ショルツ内閣

脚注

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注釈

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  1. ^ シュロースプラッツ側から空中撮影した画像。白い本庁舎の左隣の建物はドイツ帝国銀行の本部として建てられて第二次世界大戦前まで機能し、東ドイツ時代は支配政党社会主義統一党本部として使用されていた。左手前の建物は教育機関ESMTが所在する(European School of Management and Technology)。

出典

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  1. ^ Staff” (英語). www.auswaertiges-amt.de. 2024年6月10日閲覧。
  2. ^ Bundeshaushalt [連邦予算]” (ドイツ語). www.bundeshaushalt.de (2021年5月10日). 2024年6月10日閲覧。
  3. ^ アナレーナ・ベアボック外務大臣—略歴”. japan.diplo.de. ドイツへようこそ > ドイツと日本 > 外務大臣 > 略歴. ドイツ連邦共和国大使館・総領事館. 2024年11月26日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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