アルメニア・トルコ戦争
トルコ・アルメニア戦争 | |
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戦争:トルコ独立戦争 | |
年月日:1920年9月~12月 | |
場所:アナトリア半島東部、コーカサス、 | |
結果:アンカラ政府の勝利
アルメニア第一共和国の崩壊 | |
交戦勢力 | |
アンカラ政府 | アルメニア第一共和国 |
指導者・指揮官 | |
キャーズム・カラベキル | 多数 |
戦力 | |
多数 | 多数 |
トルコ・アルメニア戦争(とるこ・あるめにあせんそう)は、英: Armenian-Turkish war)は、1920年の9月から12月までトルコのアンカラ政府とアルメニア第一共和国(アルメニア革命連盟)間で行われた戦争である。
開戦までの経緯
[編集]パリ講和会議で既に成立していたアルメニア第一共和国は、東部アナトリアにアルメニア人が、独立国家を作ることを提案し、これをセーブル条約で承認された。そして、アルメニア革命連盟が武装蜂起する。トルコ大国民議会の国民誓約に基づき、アンカラ政府は、領土を一切割譲しないとし開戦に至った。
経緯
[編集]キャーズム・カラベキルを指揮官とした、アンカラ政府軍はトルコ革命における東部戦線を構築し、戦闘に至った。アルメニア第一共和国と共闘するダシュナク派だったが、戦闘に行き詰まりを感じ、アメリカとロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に支援を求めたが、ロシア・ソビエトは、コーカサスの支配を目指し、アメリカもこれを拒否した。
終結とその後
[編集]その後も、キャズムの軍団は、攻撃に快進撃を続け、ダシュナクの軍隊は本拠点であるアルメニア共和国まで後退した。 そして、アンカラ政府は、両方と11月に休戦。1920年12月1日、ギュミュルにて、ギュミュル条約で講和、締結してひとまず終戦した。この条約で露土戦争以来のトルコ東部国境を回復し、セーブル条約の実行を無効とし、トルコ革命の成功への一歩となった。そして、この条約の締結の翌日に当たる1920年12月2日、アルメニア第一共和国は、ロシア・ソビエト政府の赤軍の攻撃をうけ、アルメニア・ソビエト社会主義共和国となり崩壊した。また、アンカラ政府と、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国は、1921年3月にモスクワ条約を締結している。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 設樂國廣(2016) 『ケマル・アタテュルク』、山川出版社