デイヴィッド・リンジー (第8代クロフォード伯爵)
第8代クロフォード伯爵デイヴィッド・リンジー(英語: David Lindsay, 8th Earl of Crawford、1542年11月27日没)は、スコットランド貴族。
生涯
[編集]第7代クロフォード伯爵アレグザンダー・リンジーの息子として生まれ、1512年までに騎士爵に叙された[1]。
1500年11月6日までにエリザベス・ヘイ(Elizabeth Hay、1511年1月24日以降没、第3代エロル伯爵ウィリアム・ヘイの娘)と結婚[1]、4男2女をもうけた[2]。
- アレグザンダー(1542年7月5日没) - ジーン・シンクレア(Jean Sinclair、1562年以前没、第3代シンクレア卿ヘンリー・シンクレアの娘)と結婚、子供あり。第10代クロフォード伯爵デイヴィッド・リンジーの父
- ジェームズ
- パトリック
- デイヴィッド
- エリザベス(1538年7月29日没) - 1522年12月20日以降、ジョン・アースキン(John Erskine)と結婚、子供あり
- ユーフェミア(Euphemia) - ジョン・チャータリス(John Charteris)と結婚
その後、キャサリン・スターリング(Catherine Stirling)と再婚[1]、1男をもうけた[2]。
- ウィリアム
1526年までにイソベル・ランディ(Isobel Lundy、1550年2月2日以前没)と再婚[1]、1男1女をもうけた[2]。
- ジョン(1530年1月4日以降没)
- イソベル(1577年11月15日没) - 1544年までに第5代ボースウィック卿ジョン・ボースウィック(1566年没)と結婚、子供あり。その後、ジョージ・プレストン(George Preston)と再婚
1517年5月に父が死去すると、クロフォード伯爵位を継承、同年7月18日に正式に父の継承者として認定された[1]。
第8代クロフォード伯爵はスコットランド王ジェームズ5世により、ローランド地方とヘブリディーズ諸島における大領地を取り上げられた[1]。
長男アレグザンダーとの関係が悪く、1526年にはアレグザンダーによる「身体への危害」(bodily harm)からの保護を求めた[1]。1531年2月16日にはアレグザンダーがダンディー法廷に召喚され、父殺しなどにより有罪判決を受けた[1]。これによりアレグザンダーはクロフォード伯爵家の領地と爵位の継承権を失い、1537年3月30日に継承権を正式に放棄した[1]。その後、クロフォード伯爵は1541年10月16日にデイヴィッド・リンジー(第8代クロフォード伯爵の父方の祖父アレグザンダーの弟ウォルター(Walter、1476年没)の曽孫にあたる[2])を継承者に指名、その1年後の1542年11月27日にムーンジー近郊のケアニー城で死去した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 514.
- ^ a b c d "Crawford, Earl of (S, 1398)". Cracroft's Peerage (英語). 22 March 2005. 2020年7月6日閲覧。
スコットランドの爵位 | ||
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先代 アレグザンダー・リンジー |
クロフォード伯爵 1517年 – 1542年 |
次代 デイヴィッド・リンジー |