デイブ・シュラ
デイブ・シュラ Dave Shula | |
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生年月日 | 1959年5月28日(65歳) |
生誕地 | アメリカ合衆国ケンタッキー州レキシントン |
大学 | ダートマス大学 |
レギュラーシーズン: 19勝53敗 | |
キャリアレコード: 19勝53敗 | |
選手成績 | Pro Football Reference |
コーチ成績 | Pro Football Reference |
所属チーム(選手) | |
1981 | ボルチモア・コルツ |
所属チーム(コーチ/管理職) | |
1982-1985 1986-1988 1989-1990 1991 1992-1996 2018- |
マイアミ・ドルフィンズ (アシスタント) マイアミ・ドルフィンズ (オフェンスコーディネーター) ダラス・カウボーイズ (オフェンスコーディネーター) シンシナティ・ベンガルズ (アシスタントヘッドコーチ) シンシナティ・ベンガルズ (ヘッドコーチ) ダートマス大学(WRコーチ) |
デイブ・シュラ(Dave Shula 1959年5月28日 - )は、ケンタッキー州レキシントン出身のアメリカンフットボール指導者。NFLのシンシナティ・ベンガルズでヘッドコーチを務めた。父親はNFL最多勝ヘッドコーチでプロフットボール殿堂入りしているドン・シュラ[1]。弟のマイク・シュラもNFLやカレッジフットボールでコーチを務めている[2]。
経歴
[編集]彼の家族は1960年にデトロイト(ドン・シュラがデトロイト・ライオンズのディフェンスコーディネーターに就任)へ、1963年にボルチモアへ(ドン・シュラがボルチモア・コルツのヘッドコーチに就任)、1970年にマイアミ・レイクス(ドン・シュラがマイアミ・ドルフィンズのヘッドコーチに就任)へと移り住んだ。高校時代にはアメリカンフットボールと野球を行った後、ダートマス大学に進学した。
1981年、ボルチモア・コルツにワイドレシーバー、キックオフリターナーとして所属したが、5回のキックオフリターンで平均16ヤード、10回のパントリターンで平均5ヤードの成績しか残せなかった[3]。
1982年から父親がヘッドコーチを務めるマイアミ・ドルフィンズのアシスタントコーチに就任し1988年までWRコーチ、QBコーチ、アシスタントヘッドコーチなどを務め、この間チームは2度スーパーボウルに出場した(第17回、第19回)[4]。1989年にジミー・ジョンソンが就任したダラス・カウボーイズのオフェンスコーディネーターとなった[5]。
1991年にシンシナティ・ベンガルズのアシスタントヘッドコーチに就任、1992年に当時NFL最年少となる32歳でヘッドコーチとなった[6]。彼の指揮した時期にチームは1度も勝ち越せずプレーオフ出場を果たせなかった。1993年にはチームワーストの10連敗[7]を含みNFLワーストの3勝13敗、1994年も3勝13敗に終わった。5シーズン目の1996年途中の10月下旬に1勝6敗となったところで解雇され[8]、オフェンスコーディネーターのブルース・コスレットが暫定ヘッドコーチに就任した[9]。通算成績は19勝53敗であった。69試合目で50敗したがこれはNFL最速であった[10]。
2018年3月22日、ダートマス大学のワイドレシーバーコーチに就任、22年ぶりにアメリカンフットボールの指導にあたることとなった[11]。
ドラフト全体1位指名
[編集]1993年にNFLワーストの成績であったチームは1994年ドラフト全体1位指名権でダン・ウィルキンソン、1995年ドラフトでは1巡全体5位指名権と2巡指名権を引き換えにエクスパンションチームのカロライナ・パンサーズから全体1位指名権を獲得[注釈 1]、キジャナ・カーターを指名した。しかしカーターは1995年のプレシーズンゲームでシーズン絶望となる怪我を負い活躍できなかった。
コーチ成績
[編集]シーズン | チーム | 成績 | 順位 |
---|---|---|---|
1992年 | シンシナティ・ベンガルズ | 5勝11敗 | AFC中地区4位 |
1993年 | シンシナティ・ベンガルズ | 3勝13敗 | AFC中地区4位(リーグ最低成績) |
1994年 | シンシナティ・ベンガルズ | 3勝13敗 | AFC中地区3位 |
1995年 | シンシナティ・ベンガルズ | 7勝9敗 | AFC中地区2位タイ |
1996年 | シンシナティ・ベンガルズ | 1勝6敗 | AFC中地区3位 |
通算成績 | 19勝52敗 | プレーオフ出場なし |
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “Here Comes The Son 1/7”. スポーツ・イラストレイテッド (1992年10月12日). 2011年9月3日閲覧。
- ^ “【父の日特集】シュラ親子”. NFL JAPAN (2011年6月17日). 2011年10月6日閲覧。
- ^ “The Bottom 100: The Worst Players In NFL History (Part 2)”. deadspin.com. 2014年1月9日閲覧。
- ^ “Here Comes The Son 4/7”. スポーツ・オイラストレイテッド (1992年10月12日). 2011年9月3日閲覧。
- ^ “'BOTB' Cowboys Offensive Schemes: Landry, Turner, Garrett And... ?”. bloggingtheboys.com (2011年6月24日). 2011年9月3日閲覧。
- ^ “Bengals Choose David Shula : Pro football: At 32, the son of the Dolphins' Don Shula becomes the youngest head coach in NFL history.”. ロサンゼルス・タイムズ (1991年12月28日). 2018年4月26日閲覧。
- ^ “The Losing Streak”. bleacherreport.com (2010年12月28日). 2011年9月3日閲覧。
- ^ Jim Owczarski (2017年7月14日). “Bengals 50: David Klingler, Akili Smith and the failed franchise QBs”. cincinnati.com. 2018年4月26日閲覧。
- ^ “Bengals 50: Bruce Coslet saw it all with the Bengals”. cincinnati.com (2017年7月3日). 2018年4月26日閲覧。
- ^ “Cincinnati Bengals: 99 Problems”. footballfantoday.wordpress.com (2011年4月20日). 2014年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年9月3日閲覧。
- ^ Tris Wykes (2018年3月29日). “Dartmouth Football Hires Former NFL Head Coach David Shula as Assistant”. Valley News. 2018年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月5日閲覧。
外部リンク
[編集]- NFLコーチとしての成績 football-reference.com
- President Dave Shula Makes the Shula's Story Unique
先代 ? |
マイアミ・ドルフィンズ オフェンスコーディネーター 1986–1988 |
次代 ゲイリー・スティーヴンス |
先代 ポール・ハケット |
ダラス・カウボーイズ オフェンスコーディネーター 1989–1990 |
次代 ノーブ・ターナー |
先代 サム・ワイチ |
シンシナティ・ベンガルズ ヘッドコーチ 1992–1996 |
次代 ブルース・コスレット |