ディルホーン子爵
ディルホーン子爵 Viscount Dilhorne | |
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創設時期 | 1964年12月7日 |
創設者 | エリザベス2世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代子爵レジナルド・マニンガム=ブラー |
現所有者 | 2代子爵ジョン・マーヴィン・マニンガム=ブラー |
相続人 | ジェイムズ・マニンガム=ブラー閣下 |
付随称号 | ディルホーン男爵 (ディルホーン・ホールの)準男爵 |
モットー | 鷲はハエをつかまえない (Aquila Non Capit Muscas) |
ディルホーン子爵(英語: Viscount Dilhorne)はイギリスの子爵位。連合王国貴族。
第4代準男爵レジナルド・マニンガム=ブラーが1964年に叙されたのに始まる。
経歴
[編集]マニンガム=ブラー家に与えられた最初の世襲称号は、庶民院議員エドワード・マニンガム=ブラー(1800–1882)が、1866年1月20日に叙された連合王国準男爵位「スタッフスのディルホーン・ホールのマニンガム=ブラー準男爵」である[1]。
その曾孫にあたる第4代準男爵サー・レジナルド・エドワード・マニンガム=ブラー(1905–1980)も、保守党の庶民院議員となり、保守党政権下で大法官(貴族院議長)を務めた。その就任のために1962年7月17日に連合王国貴族爵位「ノーザンプトン州トウスターのディルホーン男爵(Baron Dilhorne, of Towcester in the County of Northampton)」に叙せられ、貴族院議員となった[2]。ついで1964年12月7日には、「ノーザンプトン州グリーンズ・ノートンのディルホーン子爵(Viscount Dilhorne, of Green's Norton in the County of Northampton)」に叙せられた[3][4]。
現在の当主はその息子である第2代ディルホーン子爵ジョン・マーヴィン・マニンガム=ブラー(1932-)である。
なおMI5長官を務め、ガーター勲章を受勲したマニンガム=ブラー女男爵イライザ・マニンガム=ブラー(1948-)は初代ディルホーン子爵の次女で現当主の妹である[5]。
一覧
[編集]ディルホーンのマニンガム=ブラー準男爵 (1866年)
[編集]- 初代準男爵サー・エドワード・マニンガム=ブラー (1800–1882)
- 2代準男爵サー・モートン・エドワード・マニンガム=ブラー (1825–1910)
- 3代準男爵サー・マーヴィン・エドワード・マニンガム=ブラー (1876–1956)
- 4代準男爵サー・レジナルド・エドワード・マニンガム=ブラー (1905–1980) (1962年にディルホーン男爵)
ディルホーン男爵 (1962年)
[編集]- 初代ディルホーン男爵レジナルド・エドワード・マニンガム=ブラー (1905–1980) (1964年にディルホーン子爵)
ディルホーン子爵 (1964年)
[編集]- 初代ディルホーン子爵レジナルド・エドワード・マニンガム=ブラー (1905–1980)
- 第2代ディルホーン子爵ジョン・マーヴィン・マニンガム=ブラー (1932-)
法定推定相続人は現当主の息子ジェイムズ・エドワード・マニンガム=ブラー(1956-)である。
出典
[編集]- ^ "No. 23059". The London Gazette (英語). 12 January 1866. p. 209.
- ^ "No. 42736". The London Gazette (英語). 20 July 1962. p. 5807.
- ^ "No. 43511". The London Gazette (英語). 8 December 1964. p. 10447.
- ^ UK Parliament. “Mr Reginald Manningham-Buller” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年8月10日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Elizabeth Lydia Manningham-Buller, Baroness Manningham-Buller” (英語). thepeerage.com. 2015年8月10日閲覧。