ガンマ行列(ガンマぎょうれつ、英: gamma matrices)、あるいはディラック行列(ディラックぎょうれつ、英: Dirac matrices)とは、反交換関係
によって定義される行列の組。場の理論におけるディラック場の記述に応用される。物理学者ポール・ディラックが相対論的な波動方程式としてディラック方程式を導く際に導入した[1]。
ガンマ行列 γμ は以下の反交換関係を満たす行列の組として定義される[注 1]。
ここで μ,ν = 0, 1, 2, …, d − 1 は d 次元時空の添え字で、g は時空の計量で、この場合 g = diag(+1, −1, −1, …, −1) である。1 は単位行列で、この式が行列としての等式であることを明示しているが、しばしば省略される。行列を成分で書けば、
となる。行列の添え字は a, b = 1, …, 2k(d が偶数の場合は k = d/2、奇数の場合は k = (d + 1)/2 の範囲を動く。また、重複して現れる添え字についてはアインシュタインの規約に従い、和をとるものとする。
時空の添え字の上げ下げは、計量によって行われる。
ここで j = 1, …, d − 1 は空間成分である。(以下同じ)
定義より、
が成り立つ。
また、ガンマ行列同士の積から生成される項は、上記の性質から
のいずれかの形に帰着される。この中で互いに異なる項は2d個となる。
は固有値 ±1 であり、 は固有値 ±i である。従ってエルミート共役に対して、
が成り立つような行列で表示することができる。つまり、 はエルミート行列、 は反エルミート行列になるように表示することができる。このような表示をしたとき、まとめて
と表すことができる。一般にエルミート性は持たないことに注意されたい。
ガンマ行列のトレースはゼロとなる。
ガンマ行列の縮約については、以下が成り立つ。
より高次の縮約公式についても
として帰納的に求められる。
ガンマ行列により
で定義される行列 σμν を考える。このとき
は次のローレンツ代数(ローレンツ変換のリー代数)を満たす。
4次元時空では、ガンマ行列は相対論的な場の理論に応用される。4次元時空ではガンマ行列は 4×4 行列で書ける。
4次元時空では 同士の積から生成される 24 = 16 個の元
が一次独立となる[注 2]。これらを と表したとき、各 は 及び を満たす。
16個のが一次独立であることから、を行列表現するには、少なくとも16個の成分を持つ4×4行列が必要となる。特に4×4行列による表現は既約表現であり、とを異なる4×4行列による表現の組とすると、正則行列が存在し、の関係が成り立つ。
また、を4×4行列で表現した場合、任意の4×4行列は、と、の一次結合で表すことができる。ここで、展開係数はで与えられる。
カイラリティー は
によって定義される行列である。高次元時空における第5成分とは関係が無い。
の固有値は ±1 である。
固有値 +1 に属する部分空間を右手型 (right-handed, RH)、或いは右巻きと呼び、−1 を左手型 (left-handed, LH)、或いは左巻きと呼ぶ。
射影演算子
を定義すると、
によって、ディラックスピノル ψ を右手型、左手型の成分に分解できる。
文献によっては の定義で符号が逆の場合もあるが、そのときも固有値+1が右手、−1が左手である。
ディラックスピノル ψ のディラック共役 ψ = ψ†γ0 とガンマ行列によって構成される双線型形式 ψAψ は、次のように、離散対称性(パリティ変換、時間反転)を含む広義のローレンツ変換の下で、スカラー、ベクトル、反対称テンソル、擬ベクトル、擬スカラーとして変換性をもつ。
双線形形式 |
変換性 |
変換則
|
ψψ
|
スカラー
|
|
ψγμψ
|
ベクトル
|
|
ψσμνψ
|
反対称テンソル
|
|
ψγ5γμψ
|
擬ベクトル
|
|
ψiγ5ψ
|
擬スカラー
|
|
ディラック表現において、、、及びは
となる。ここで (j = 1, 2, 3) はパウリ行列、1, 0 はそれぞれ 2 次の単位行列、零行列である。
ディラック表現は次の直積表現[注 3]
に相当する。
カイラル表現、或いはワイル表現において、、、およびは
となる。
カイラル表現では、 (カイラリティー)が対角化されており、射影演算子は
となる。つまり、左右の成分が上下2成分ずつに分かれた表示である。
カイラル表現は次の直積表現に相当する。
カイラル表現とディラック表現は次の相似変換で結ばれる。
マヨラナ表現では、ガンマ行列は全て純虚数になるように選択される。具体的に および は
となる。
マヨラナ表現においてディラック方程式は実数で構成される。
マヨラナ表現は次の直積表現に相当する。
また、マヨラナ表現とディラック表現は次の相似変換で結ばれる。
リチャード・ファインマンによって導入された記法[2]を用いて、時空の添え字をもつベクトル量 pμ に対して
と略記することがある。
- ^ 時空の座標の取り方によっては、見かけ上、異なる定義が用いられることがある。4次元時空において、座標を (x1, x2, x3, x4) = (x, y, z, ict) とし、計量を ds2 = + dx 2
1 + dx 2
2 + dx 2
3 + dx 2
4 で与える場合、ガンマ行列は、{γμ, γν} = 2δμν1 (μ, ν = 1, 2, 3, 4) で定義される。但し、δμν はクロネッカーのデルタを表す。
- ^ 複素係数は、 となるように選んでいる。
- ^ m × m 行列 A = [ai j] と n × n 行列 B = [bk l] の直積表現は
で与えられる。
- R. H. Good, Jr., "Properties of the Dirac Matrices," Rev. Mod. Phys.,27 187 (1955) doi:10.1103/RevModPhys.27.187
- Claude Itzykson and Jean-Bernard Zuber, Quantum Field Theory, McGraw-Hill (1986), Dover Publications (2005 republication) ISBN 978-0486445687
- Silvan S. Schweber, An Introduction to Relativistic Quantum Field Theory, Harper & Row (1961), Dover Publications (2005 republication) ISBN 978-0486442280