ティルチラーパッリ
この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2020年3月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
ティルチラーパッリ திருச்சிராப்பள்ளி Tiruchirappalli | |
---|---|
上から時計回りに: ロックフォート、ジャンブケーシュワラル寺院、Upper Anaicut、ランガナータスワーミ寺院 | |
位置 | |
座標 : 北緯10度49分 東経78度41分 / 北緯10.81度 東経78.69度 | |
行政 | |
国 | インド |
州 | タミル・ナードゥ州 |
県 | ティルチラーパッリ県 |
市 | ティルチラーパッリ |
Mayor | Sarubala Thondaiman |
地理 | |
面積 | |
市域 | 96.90 km2 |
標高 | 85 m |
人口 | |
人口 | (2011年現在) |
市域 | 846,915 [1]人 |
都市圏 | 1,022,000 [2]人 |
その他 | |
等時帯 | IST (UTC+5:30) |
Pincode | 620 xxx |
市外局番 | 91-431 |
ナンバープレート | TN 45 and TN 48 |
公式ウェブサイト : http://www.trichy.com/ |
ティルチラーパッリ(タミル語: திருச்சிராப்பள்ளி、英語: Tiruchirappalli)は、南インドのタミル・ナードゥ州にある都市で、現在はティルチラーパッリ県の県庁所在地。現地ではティッルチラーッパッリ (tiruccirāppaḷḷi)の発音が近いようである。
略してティルチまたはトリッチー (திருச்சி : Tiruchi,Trichy)と呼ばれることが多く、イギリス統治下ではトリチノポリ (Trichinopoly)と呼ばれていた。カーヴェーリ川沿いに発達した都市で、タミル・ナードゥ州のほぼ真ん中に位置する。
都市名
[編集]都市の名称であるティルチラーパッリはタミル語であり、「ティル」「チラー」「パッリ」の3つの部分に分けられる。「ティル」は「吉祥なる」という、人名あるいは地名に対する接頭辞である。「チラー」は、ジャイナ教の修行者であった人物の名前である。「パッリ」とは「ジャイナ教寺院」という一般名詞である。したがって、ティルチラーパッリとは「吉祥なるチラーの寺院」という意味である。
あるいは、「ティルチラー」とは「シュリーランガナータン」が訛った語形であり、ティルチラーパッリとは「吉祥なるランガナータンの寺院」という意味であるとする異説がある。
歴史
[編集]ティルチラーパッリの歴史は古く、6世紀にパッラヴァ朝のマヘーンドラヴァルマン1世がこの地を支配下に置いたのをはじめ、12世紀にチョーラ朝、同世紀末にはパーンディヤ朝の支配下に置かれた。
1310年にハルジー朝の武将マリク・カーフールが占領し、その後はマドゥライ・スルターン朝の支配下に置かれたが、1370年代にはヴィジャヤナガル王国のクマーラ・カンパナが征服した。
その後、この地はマドゥライ・ナーヤカ朝の支配下に置かれ、しばしばその首都となり、1736年にカルナータカ太守の一族チャンダー・サーヒブによって占領された。
その後、第二次カーナティック戦争においては、マイソール王国とカルナータカ太守がこの地の支配権をめぐり争った。
1795年、ムハンマド・アリー・ハーンがマドラスで死亡した際、その遺体はティルチラーパッリへと埋葬された。
1801年、イギリスはカーナティック条約でこの地を獲得し、1947年までその統治下に置かれた。
脚注
[編集]- ^ “Provisional Population Totals, Census of India 2011” (PDF) (英語). インド内務省. 2013年8月2日閲覧。
- ^ “Demographia World Urban Areas - 9th Annual Edition” (PDF) (英語). Demographia (March 2013). 2013年8月2日閲覧。