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ムアンチャンタブリー郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チャンタブーンから転送)

座標: 北緯12度36分38秒 東経102度6分15秒 / 北緯12.61056度 東経102.10417度 / 12.61056; 102.10417

ムアンチャンタブリー郡
位置画像
ムアンチャンタブリー郡の位置
情報
タイ語名 อำเภอเมืองจันทบุรี
チャンタブリー県
地理番号 2201
郵便番号 22000
統計
面積 253.093 km2
人口 119,203 人 (2005年)
人口密度 471.0 人/km2
行政
郡庁所在地 Wat Mai
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ムアンチャンタブリー郡(ムアンチャンタブリーぐん)はタイ中部・チャンタブリー県の郡(アムプー)。同県の県庁所在地(ムアン)でもある。

名称

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チャンタブリーとは「月の街」という意味である。古くはチャンタブーンとよばれた。

歴史

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チャンタブリーは最初はチョーン族モン・クメール語族)が13世紀ごろに住み着いたのが最初と考えられ、クアンクラブリーと呼ばれる小国をチャンタブリーにつくった[1]。現在はチョーン族はカオキッチャクート郡に居住している。

アユタヤ王朝時代には重要な地方都市の一つであり[2]、「官印法」によればコーサーティボーディー(クロマター、港務省)の管轄下にあった[3]。1657年、チャンタブリーは移動させられチャンタブリー川の西側に移動した。

1767年、アユタヤ王朝が崩壊すると5000のビルマ軍がチャンタブリーを占領した。このとき、タークシン王を主と仰ぐ500人の兵士がチャンタブリーを包囲し兵糧攻めにして駆逐した。これは、チャンタブリーの人が誇りを持つ出来事である。

その後ラーマ3世(ナンクラオ)はベトナムの侵略を避けるため街を移動したが、ラーマ5世(チュラーロンコーン)は街を元あった場所に戻した。

1893年パークナーム事件が勃発するとフランス軍が駐留した、その11年後チャンタブリーはフランスに返還された。

1933年チャンタブリー県が成立。チャンタブリーは郡となった。

地理

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チャンタブリー川の形成した平地にある。市内の重要な水源もチャンタブリー川である。

国道3号線が西から東南に通っており、西にラヨーン方面、東南にトラート方面とつながっている。国道317号線が東北に延びておりサケーオ方面とつながっている。国道3249号線が北に延びており、カオキッチャクート方面と通じている。

経済

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郡の主要な産業は農業で、ランブータン、ドリアン、マンゴスチンなどの生産が行われている。

行政区分

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郡は11のタムボンに分かれ、さらにその下位に98の村(ムーバーン)がある。自治体(テーサバーン)があり、以下のようになっている。

  • テーサバーンムアン・チャンタブリー・・・タムボン・タラート、タムボン・ワットマイの全体
  • テーサバーンタムボン・プラッププラー・・・タムボン・プラッププラー、タムボン・クローンナーラーイの一部。
  • テーサバーンタムボン・チャンタニミット・・・タムボン・チャンタニミット全体
  • テーサバーンタムボン・ターチャーン・・・タムボン・ターチャーンの一部
  • テーサバーンタムボン・ノーンブワ・・・タムボン・ノーンブワの一部
  • テーサバーンタムボン・バーンカチャ・・・タムボン・カチャの一部

また、郡内には8つのタムボン行政体(オンカーンボーリハーンスワンタムボン)がある。

  1. タムボン・タラート・・・ตำบลตลาด
  2. タムボン・ワットマイ・・・ตำบลวัดใหม่
  3. タムボン・クローンナーラーイ・・・ตำบลคลองนารายณ์
  4. タムボン・コクワーン・・・ตำบลเกาะขวาง
  5. タムボン・コムバーン・・・ตำบลคมบาง
  6. タムボン・ターチャーン・・・ตำบลท่าช้าง
  7. タムボン・チャンタニミット・・・ตำบลจันทนิมิต
  8. タムボン・バーンカチャ・・・ตำบลบางกะจะ
  9. タムボン・サレーン・・・ตำบลแสลง
  10. タムボン・ノーンブワ・・・ตำบลหนองบัว
  11. タムボン・プラッププラー・・・ตำบลพลับพลา

脚注

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  1. ^ Joachim Schliesinger: Ethnic Groups of Thailand: Non-Tai-Speaking People, Bangkok: White Lotus Press, 2000, p.71 ISBN 9789747534177
  2. ^ エレミアス・ファン・フリートはその著書で、チャンタブーンが地方国の首都だと述べている。cf. Jeremias Van Vliet: Van Vliet's Siam, Trans. L. F. van Ravenswaay, Ed. Chris Baker, Chiang Mai: Silkworm Books, 2005, p.108 ISBN 9789749575819
  3. ^ 石井米雄 「アユタヤ王朝の統治範囲を示す『三印法典』中の三テキスト」 『タイ近世研究序説』 岩波書店、1999年、pp.127-165, ISBN 9784000012898

外部リンク

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