チェルムスフォード子爵
チェルムスフォード子爵 | |
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Arms:Gules a Griffin segreant Or within an Orle of Roses Argent barbed and seeded proper Crest:A Cornucopia fesswise the Horn Or the Fruit proper thereon a Dove holding in the beak a Sprig of Laurel also proper Supporters:On either side a Griffin Or winged Vair
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創設者 | ジョージ5世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代子爵フレデリック・セシジャー |
現所有者 | 4代子爵フレデリック・コリン・セシジャー |
相続人 | フレデリック・セシジャー閣下 |
付随称号 | チェルムスフォード男爵 |
現況 | 存続 |
モットー | Spes Et Fortuna (Hope and fortune) |
チェルムスフォード子爵(英: Viscount Chelmsford [ˈtʃelmzfəd])は、イギリスの子爵位。連合王国貴族。チェルムスフォード[1]の他、チェルムスファド[2]と表記されることもある。
1858年創設のチェルムスフォード男爵位を前身とし、第3代チェルムスフォード男爵フレデリック・セシジャーが1921年に叙されたのに始まる。
歴史
[編集]法律家で保守党の庶民院議員だったフレデリック・セシジャー(1794–1878)は、3度のダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリー内閣で法務総裁(在職1845-1846、1852)や大法官(在職1858-1859、1866-1868)を務めた。当時大法官は貴族院議長を兼ねていたため、最初の大法官就任の際の1858年3月1日にエセックス州におけるチェルムスフォードのチェルムスフォード男爵(Baron Chelmsford, of Chelmsford in the County of Essex)に叙せられた[3][4]。
その息子の第2代チェルムスフォード男爵フレデリック・セシジャー(1827–1905)は、陸軍軍人となり、1879年に大英帝国植民地南アフリカでズールー戦争の指揮を執り、ズールー王国を征服したことで知られる[5]。
その息子の第3代チェルムスフォード男爵フレデリック・セシジャー(1868–1933)が初代チェルムスフォード子爵に叙される人物である。彼は1916年から1921年にかけてインド総督を務めたが、過酷な強圧統治を行ったため、インド人の民心をイギリス支配から離反させた[6]。しかし総督を務めた功績により、帰国後の1921年6月3日にはエセックス州におけるチェルムスフォードのチェルムスフォード子爵 (Viscount Chelmsford, of Chelmsford in the County of Essex)に叙せられた。これがチェルムスフォード子爵家の創始となる[7][8]。
現在の当主は初代子爵の曾孫にあたる第4代チェルムスフォード子爵フレデリック・セシジャー(1962-)である[7]。
現当主の保有爵位
[編集]現当主の第4代チェルムスフォード子爵フレデリック・セシジャーは以下の爵位を保有している[7]。
- エセックス州におけるチェルムスフォードの第4代チェルムスフォード子爵 (4th Viscount Chelmsford, of Chelmsford in the County of Essex)
- エセックス州におけるチェルムスフォードの第6代チェルムスフォード男爵 (6th Baron Chelmsford, of Chelmsford in the County of Essex)
一覧
[編集]チェルムスフォード男爵 (1858年)
[編集]- 初代チェルムスフォード男爵フレデリック・セシジャー (1794–1878)
- 2代チェルムスフォード男爵フレデリック・オーガスタス・セシジャー (1827–1905)
- 3代チェルムスフォード男爵フレデリック・ジョン・ネイピア・セシジャー (1868–1933)
- 1921年にチェルムスフォード子爵に叙される
チェルムスフォード子爵 (1921年)
[編集]- 初代チェルムスフォード子爵フレデリック・ジョン・ネイピア・セシジャー (1868–1933)
- 2代チェルムスフォード子爵アンドリュー・チャールズ・ジェラルド・セシジャー (1903–1970)
- 3代チェルムスフォード子爵フレデリック・ジャン・セシジャー (1931–1999)
- 4代チェルムスフォード子爵フレデリック・コリン・ピアーズ・セシジャー (1962-)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 848.
- ^ 浜渦哲雄 1999, p. 166.
- ^ Heraldic Media Limited. “Chelmsford, Baron (UK, 1858)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月29日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Frederick Thesiger, 1st Baron Chelmsford of Chelmsford” (英語). thepeerage.com. 2016年1月29日閲覧。
- ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 848-849.
- ^ 浜渦哲雄 1999, p. 166-168.
- ^ a b c Heraldic Media Limited. “Chelmsford, Viscount (UK, 1921)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月30日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Frederick John Napier Thesiger, 1st Viscount Chelmsford” (英語). thepeerage.com. 2016年1月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 浜渦哲雄『大英帝国インド総督列伝 イギリスはいかにインドを統治したか』中央公論新社、1999年(平成11年)。ISBN 978-4120029370。
- 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年(平成12年)。ISBN 978-4767430478。