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チェルムスフォード子爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チェルムスフォード子爵

紋章記述

Arms:Gules a Griffin segreant Or within an Orle of Roses Argent barbed and seeded proper Crest:A Cornucopia fesswise the Horn Or the Fruit proper thereon a Dove holding in the beak a Sprig of Laurel also proper Supporters:On either side a Griffin Or winged Vair
創設者ジョージ5世
貴族連合王国貴族
初代初代子爵フレデリック・セシジャー
現所有者4代子爵フレデリック・コリン・セシジャー
相続人フレデリック・セシジャー閣下
付随称号チェルムスフォード男爵
現況存続
モットーSpes Et Fortuna
(Hope and fortune)

チェルムスフォード子爵: Viscount Chelmsford [ˈtʃelmzfəd])は、イギリス子爵位。連合王国貴族。チェルムスフォード[1]の他、チェルムスファド[2]と表記されることもある。

1858年創設のチェルムスフォード男爵位を前身とし、第3代チェルムスフォード男爵フレデリック・セシジャー1921年に叙されたのに始まる。

歴史

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インド総督を務めた初代チェルムスフォード子爵フレデリック・セシジャー

法律家で保守党庶民院議員だったフレデリック・セシジャー英語版(1794–1878)は、3度のダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリー内閣で法務総裁(在職1845-1846、1852)や大法官(在職1858-1859、1866-1868)を務めた。当時大法官は貴族院議長を兼ねていたため、最初の大法官就任の際の1858年3月1日エセックス州におけるチェルムスフォードのチェルムスフォード男爵(Baron Chelmsford, of Chelmsford in the County of Essex)に叙せられた[3][4]

その息子の第2代チェルムスフォード男爵フレデリック・セシジャー(1827–1905)は、陸軍軍人となり、1879年大英帝国植民地南アフリカズールー戦争の指揮を執り、ズールー王国を征服したことで知られる[5]

その息子の第3代チェルムスフォード男爵フレデリック・セシジャー(1868–1933)が初代チェルムスフォード子爵に叙される人物である。彼は1916年から1921年にかけてインド総督を務めたが、過酷な強圧統治を行ったため、インド人の民心をイギリス支配から離反させた[6]。しかし総督を務めた功績により、帰国後の1921年6月3日にはエセックス州におけるチェルムスフォードのチェルムスフォード子爵 (Viscount Chelmsford, of Chelmsford in the County of Essex)に叙せられた。これがチェルムスフォード子爵家の創始となる[7][8]

現在の当主は初代子爵の曾孫にあたる第4代チェルムスフォード子爵フレデリック・セシジャー(1962-)である[7]

現当主の保有爵位

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現当主の第4代チェルムスフォード子爵フレデリック・セシジャーは以下の爵位を保有している[7]

  • エセックス州におけるチェルムスフォードの第4代チェルムスフォード子爵 (4th Viscount Chelmsford, of Chelmsford in the County of Essex)
(1921年6月3日勅許状による連合王国貴族爵位)
  • エセックス州におけるチェルムスフォードの第6代チェルムスフォード男爵 (6th Baron Chelmsford, of Chelmsford in the County of Essex)
(1858年3月1日の勅許状による連合王国貴族爵位)

一覧

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チェルムスフォード男爵 (1858年)

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チェルムスフォード子爵 (1921年)

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  • 初代チェルムスフォード子爵フレデリック・ジョン・ネイピア・セシジャー (1868–1933)
  • 2代チェルムスフォード子爵アンドリュー・チャールズ・ジェラルド・セシジャー (1903–1970)
  • 3代チェルムスフォード子爵フレデリック・ジャン・セシジャー (1931–1999)
  • 4代チェルムスフォード子爵フレデリック・コリン・ピアーズ・セシジャー (1962-)

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 848.
  2. ^ 浜渦哲雄 1999, p. 166.
  3. ^ Heraldic Media Limited. “Chelmsford, Baron (UK, 1858)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月29日閲覧。
  4. ^ Lundy, Darryl. “Frederick Thesiger, 1st Baron Chelmsford of Chelmsford” (英語). thepeerage.com. 2016年1月29日閲覧。
  5. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 848-849.
  6. ^ 浜渦哲雄 1999, p. 166-168.
  7. ^ a b c Heraldic Media Limited. “Chelmsford, Viscount (UK, 1921)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月30日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “Frederick John Napier Thesiger, 1st Viscount Chelmsford” (英語). thepeerage.com. 2016年1月30日閲覧。

参考文献

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  • 浜渦哲雄『大英帝国インド総督列伝 イギリスはいかにインドを統治したか』中央公論新社、1999年(平成11年)。ISBN 978-4120029370 
  • 松村赳富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年(平成12年)。ISBN 978-4767430478