チアゴ・ジョルジ・オノリオ
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名前 | ||||||
本名 |
チアゴ・ジョルジ・オノリオ Tiago Jorge Honório | |||||
ラテン文字 | TIAGO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1977年12月4日(47歳) | |||||
出身地 | アメリカーナ | |||||
身長 | 192cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1996-1997 | ウニオン・バルバレンセ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-1999 | ウニオン・バルバレンセ | |||||
2000-2003 | 深圳健力宝 | 80 | (44) | |||
2004 | サンフレッチェ広島 | 10 | (2) | |||
2005 | アトレチコ-PR | |||||
2006 | 上海聯城 | 21 | (5) | |||
2007 | 北京国安 | 14 | (10) | |||
2007 | ゴイアスEC | |||||
2008 | → 北京国安 (loan) | 26 | (6) | |||
2009 | サンカエターノ | |||||
2009 | → 水原三星ブルーウィングス (loan) | 14 | (4) | |||
2010 | 深圳紅鑽 | 14 | (2) | |||
2010 | → 成都謝菲聯 (loan) | 8 | (6) | |||
2011-2012 | ファジアーノ岡山 | 26 | (8) | |||
2013 | インデペンデンテ | |||||
通算 | 213 | (87) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
チアゴ・ジョルジ・オノリオ(Tiago Jorge Honório、1977年12月4日 - )は、ブラジル・サンパウロ州出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。
Jリーグ時代の登録名はチアゴ[1]、Kリーグ時代の登録名はティアゴ(ハングル: 티아고)[2]。
経歴
[編集]ウニオン・アグリーコラ・バルバレンセFCの下部組織出身。フットサル選手からサッカーに転向した後、トップチームで活躍。2000年に移籍したCリーグ・深圳平安(現・深圳市足球倶楽部)で、得点ランキング上位に入る活躍を見せる。
その実績を認められ、2004年にJリーグ・サンフレッチェ広島に移籍し主力として期待された[3]。しかし、度重なる怪我に悩まされ殆ど結果を残すことの出来ないまま[4] 1年で解雇された。
翌2005年、アトレチコ・パラナエンセに移籍すると、カンピオナート・パラナエンセ制覇に貢献。その後はブラジルと中国とで活躍、2008年には北京国安にレンタル移籍し、同年のACLに出場し得点を挙げた[5]。
2009年、再びブラジルに戻りADサンカエターノに在籍。同年に水原三星にレンタル移籍、同年の韓国FAカップ制覇に貢献した。2010年中国の深圳に戻り、同年7月に中国甲級(2部)・成都謝菲聯にレンタル移籍し、同シーズンでの超級(1部)昇格に貢献した。
広島在籍時のコーチである影山雅永の縁を頼って、2011年よりJリーグ・ファジアーノ岡山に移籍[5]。東日本大震災によるリーグ中断期間中の加入だったが、リーグ再開前の練習試合で怪我[6] をした為、怪我の状態を考慮し序盤は途中出場での起用となった。自身3試合目となる第10節栃木SC戦で移籍後初得点と試合終了間際に同点に追いつく得点の計2得点を挙げると、スタメンに定着し一時は得点ランキングトップに立つ活躍を見せた[7]。しかし、その後も広島時代同様度重なる怪我[8][9]の影響で出場機会が減った事もあり、8月6日の第3節ロアッソ熊本戦で挙げた得点がこの年最後の得点となった。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | バルバレンセ | ||||||||||
1998 | |||||||||||
1999 | |||||||||||
中国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 深圳 | 甲A級 | |||||||||
2001 | |||||||||||
2002 | |||||||||||
2003 | |||||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 広島 | 10 | J1 | 10 | 2 | 3 | 1 | 1 | 0 | 14 | 3 |
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | アトレチコ-PR | ||||||||||
中国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | 上海聯城 | 10 | 超級 | 21 | 5 | ||||||
2007 | 北京 | 42 | 14 | 10 | |||||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2007 | ゴイアス | 48 | |||||||||
中国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 北京 | 10 | 超級 | 26 | 10 | ||||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | サンカエターノ | 42 | |||||||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | 水原三星 | 23 | Kリーグ | 14 | 4 | ||||||
中国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 深圳 | 33 | 超級 | 14 | 2 | ||||||
成都 | 21 | 甲級 | 8 | 6 | |||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2011 | 岡山 | 10 | J2 | 26 | 8 | - | 1 | 0 | 27 | 8 | |
2012 | 20 | 1 | - | ||||||||
通算 | ブラジル | ||||||||||
中国 | 中国超級 | ||||||||||
中国 | 甲A級 | ||||||||||
韓国 | Kリーグ | 14 | 4 | ||||||||
日本 | J1 | 10 | 2 | 3 | 1 | 1 | 0 | 14 | 3 | ||
日本 | J2 | 46 | 9 | - | 1 | 0 | 27 | 8 | |||
総通算 |
脚注
[編集]- ^ “チアゴ”. J.League. 2023年11月6日閲覧。
- ^ “티아고”. K League. 2023年11月6日閲覧。
- ^ “チアゴ軸 展開多彩”. 中国新聞 (2004年3月10日). 2011年4月30日閲覧。
- ^ “チアゴ故障 構想崩れる”. 中国新聞 (2004年12月1日). 2011年4月20日閲覧。
- ^ a b “大型ストライカー、FWチアゴ獲得”. 山陽新聞 (2011年3月18日). 2012年1月10日閲覧。
- ^ “チアゴ選手、田所諒選手の怪我について”. ファジアーノ岡山公式 (2011年4月1日). 2012年1月10日閲覧。
- ^ “狙えホーム3連勝”. 山陽新聞 (2011年6月18日). 2012年1月10日閲覧。
- ^ “チアゴ選手怪我について”. ファジアーノ岡山公式 (2011年7月15日). 2012年1月10日閲覧。
- ^ “チアゴ選手怪我について”. ファジアーノ岡山公式 (2011年10月5日). 2012年1月10日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- チアゴ・ジョルジ・オノリオ - Soccerway.com
- チアゴ・ジョルジ・オノリオ - FootballDatabase.eu
- チアゴ・ジョルジ・オノリオ - WorldFootball.net
- チアゴ・ジョルジ・オノリオ - Transfermarkt.comによる選手データ
- チアゴ・ジョルジ・オノリオ - J.League Data Siteによる選手データ
- チアゴ・ジョルジ・オノリオ - K League
- zerozero
- kirinsoccer
- CBF[リンク切れ]
- sambafoot (2008年7月4日時点のアーカイブ)