コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ダマスカスのアポロドーロス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダマスカスのアポロドーロス
アポロドーロスが設計したトラヤヌス橋。生贄を捧げている皇帝の後ろにアポロドーロスが描かれている。[1]

ダマスカスのアポロドーロス: Apollodorus of Damascus)はシリア属州ダマスカス出身で、紀元2世紀に活動したギリシャ人技師、建築家、設計士、彫刻家である[2][3][4][5]トラヤヌスに気に入られ、105年から106年の第2次ダキア戦争のとき、ドナウ川に架けるトラヤヌス橋の建設を指揮した。ローマ市内ではトライアヌスのフォルムトラヤヌスの記念柱を初めとして、他にもいくつかの建設を行っている。またベネヴェントアンコーナトラヤヌスの凱旋門も設計した。現在のパンテオンハドリアヌスが再建させたものだが、このときの建築家もアポロドーロスとされている。また、スペインAlconétar Bridge の建設も行ったとされている。また、ドミティアヌスカンプス・マルティウスに建設開始させた劇場(en)を106年に再建または完成させた。

フォルムの中心に位置するトラヤヌスの記念柱は、この種の戦勝記念碑としては最初のものである。アポロドーロスはハドリアヌス帝の建築家および芸術家としての技量をけなしたことから追放され、架空の犯罪で告発され、亡くなったとされている (Dio Cassius lxix. 4)。また、ハドリアヌスに献呈した論文 Πολιορκητικά (Siege Engines、攻城兵器)を書いた。

アポロドーロスの死にまつわる逸話は、ハドリアヌス帝への元老院における敵意がその治世からずいぶん後の時代でも続いていたことを示しており、カッシウス・ディオは自身が書いたことを信じていたと思われる。ディオの記述した逸話は額面通りに受け取られてきたが、つじつまが合わない部分も多々あり、学者や歴史家はこの逸話を史実ではないとしている[6]

脚注・出典

[編集]
  1. ^ Giuliana Calcani, Maamoun Abdulkarim (2003), Apollodorus of Damascus and Trajan's Column: From Tradition to Project, L'Erma di Bretschneider, p. 55, ISBN 8882652335 
  2. ^ Encyclopaedia Britannica, Apollodorus of Damascus, "Greek engineer and architect who worked primarily for the Roman emperor Trajan."
  3. ^ George Sarton (1936), "The Unity and Diversity of the Mediterranean World", Osiris 2: 406-463 [430]
  4. ^ Giuliana Calcani, Maamoun Abdulkarim (2003), Apollodorus of Damascus and Trajan's Column: From Tradition to Project, L'Erma di Bretschneider, p. 11, ISBN 8882652335, "...focusing on the brilliant architect Apollodorus of Damascus. This famous Syrian personage represents..." 
  5. ^ Hong-Sen Yan, Marco Ceccarelli (2009), International Symposium on History of Machines and Mechanisms: Proceedings of HMM 2008, Springer, p. 86, ISBN 1402094841, "He had Syrian origins coming from Damascus" 
  6. ^ 例えば、R. T. Ridley: "Apollodoros of Damascus" (1989)

参考文献

[編集]