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ガブリエル・タルド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タルドから転送)
ウジェーヌ・ピロワによる肖像画

ガブリエル・タルド、ないし、ジャン=ガブリエル・タルドなどとして言及される[1]ジャン=ガブリエル・ド・タルド[2](Jean‐Gabriel de Tarde、1843年3月12日 - 1904年5月13日)は、フランス社会学者社会心理学者

人物

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ドルドーニュ県サルラ(現・サルラ=ラ=カネダ)生まれ。地方貴族の子として少年時代をすごし、最初エコール・ポリテクニックで数学を学ぼうとするも眼病を患いかなわず、トゥールーズ大学パリ大学で法律を学ぶこととなった。しかしそれぞれ眼病を再発させ大学を中退し、故郷で独学を続けた。このとき、クールノーに多大な影響を受けた。その後、早世した父と同じく裁判官の道を選び、1867年にサルラ裁判所に奉職。1880年頃から、リボーの創刊した『哲学雑誌』に論文を投稿するようになる。犯罪は遺伝的なものであると考えるイタリアのロンブローゾ犯罪学に対し関心をもって研究し、犯罪は伝播や伝染といった観点から模倣的な事実であるという視点で厳しい批判も行っている。その後、社会的な影響関係を重視した独自の研究を進め、犯罪学の著作『比較犯罪学』(1886)『模倣の法則』(1890)などを刊行し、その後も、裁判官の勤務のかたわら多くの著作や論文を発表した。1894年には司法省統計局長に就任し、母の死去もともないパリへ移住する。1895年、パリ社会学会会長、レジョン・ドヌール勲章を受ける。1900年、コレージュ・ド・フランスの近代哲学教授に就任する[3]。1904年、パリにて逝去。

研究と思想

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1890年に『模倣の法則――社会学的研究』を発表し、社会学を一般に受容させた人物の一人である。後に社会学の父と称されることとなるデュルケムに対して、分業が道徳的な事実であるか否か、犯罪が正常であるか否か、社会が実在するのか否か(社会実在論)といった多岐にわたる論点をめぐって論争を繰り広げた。

1901年には『世論と群集』を刊行。ル・ボン群集心理学を批判し、直接対面的な関係によって結合する群集に対して、メディアを介した遠隔作用によって結合する公衆概念を提示した。

今日の評価

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1960年代以降、ドゥルーズによって肯定的に引用されていることから哲学者からも注目されるようになる(『千のプラトー』では「ガブリエル・タルドへのオマージュ」を書いている)。1999年以降、フランスではアリエズを中心にドゥルーズの弟子や友人たちがタルド著作集を刊行されている(現在も刊行中)。なかでもネグリの弟子でもあるラッツァラートは、タルドの「窓のある」モナド論(ネオ・モナドロジー)と『経済心理学』を資本主義分析に応用し、注目されている。

また、ブルーノ・ラトゥールは自身のANT理論が社会学をタルドの系統にあるとして1999年以降、多くの著作で引用している。

著作

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  • 1886, La criminalité comparée, Paris: Félix Alcan.
  • 1890, La philosophie pénale, Lion-Paris: A.Storck et G.Masson.
  • 1890, Les lois de l'imitation: Etude sociologique, Paris: Félix Alcan. (池田祥英村澤真保呂訳『模倣の法則』河出書房新社, 2007年)
  • 1893, Les transformations du droit: Etude sociologique, Paris: Félix Alcan.
  • 1895, La logique sociale, Paris: Félix Alcan.
  • 1896, Fragment d'histoire future, Paris: V. Giard et E. brière. (田辺寿利訳『未来史の断片』不及社, 1924年)
  • 1897, L'opposition universelle: Essai d’une théorie des contraires, Paris: Félix Alcan.
  • 1898, Etudes de psychologie sociale, Paris: V. Giard et E. brière.
  • 1898, Les lois sociales: Esquisse d’une sociologie, Paris: Félix Alcan. (小林珍雄訳『社会法則』創元社, 1943年)
  • 1901, L'opinion et la foule, Paris: Félix Alcan. (稲葉三千男訳『世論と群集』未來社, 1964年,新版)
  • 1902, Psychologie économique, Paris: Félix Alcan.

脚注

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  1. ^ 中倉智徳. “ガブリエル・タルド年表 (Biographie de Gabriel Tarde)”. 中倉智徳. 2015年5月7日閲覧。
  2. ^ 池田祥英「ガブリエル・タルドの社会学理論 -模倣論とその応用-」博士論文32689乙第3999号、早稲田大学、2013年、NAID 5000009254142021年3月5日閲覧。「彼は…著作はすべて「ガブリエル・タルド」という名で発表しているので...基本的にはこの名前を用いるべきであり、実際多くの場合においてこの名前が用いられている。しかし、彼の息子たちが1909年に編纂した伝記においては、「ジャン=ガブリエル・タルドは…」…と記載されており、おそらく戸籍上の名前はこちらだったと考えられる。しかも、タルド家は貴族の家系であり、1789年のフランス革命以前には「ド・タルド」 (de Tarde) を名乗っていた。…たとえば1895年にフランス政府よりレジオン・ドヌール勲章のシュヴァリエ章を受章したときの証書においては、「司法省局長ジャン=ガブリエル・ド・タルド」と記載されている」 
  3. ^ 選挙ではデュルケームやアンリ・ベルグソンらと競った。

参考文献

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  • 横山滋著『模倣の社会学』(丸善ライブラリー, 1995年)
  • ロザリンド・H・ウィリアムズ『夢の消費革命』吉田典子・田村真理訳, 工作舎, 1996年 ISBN 4-87502-262-X
  • 夏苅康男『タルドとデュルケム――社会学者へのパルクール』(学文社,2008年)
  • 池田祥英『タルド社会学への招待――模倣・犯罪・メディア』(学文社,2009年)
  • 中倉智徳『ガブリエル・タルド――贈与とアソシアシオンの体制へ』(洛北出版,2011年)

関連項目

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関連人物

外部リンク

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