セバスティアン・ラザロニ
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2011年のラザロニ | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
セバスティアン・バホーゾ・ラザロニ Sebastião Barroso Lazaroni | |||||
ラテン文字 | Sebastião BLazaroni | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1950年9月25日(74歳) | |||||
出身地 | ムリアエ | |||||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
1984-1986 | フラメンゴ | |||||
1987-1988 | ヴァスコ・ダ・ガマ | |||||
1988 | アル・アハリ | |||||
1988 | グレミオ | |||||
1989 | パラナ | |||||
1989-1990 | ブラジル | |||||
1990-1992 | フィオレンティーナ | |||||
1992 | アル・ヒラル | |||||
1992-1993 | バーリ | |||||
1993 | クルブ・レオン | |||||
1994 | ヴァスコ・ダ・ガマ | |||||
1996-1997 | フェネルバフチェ | |||||
1999 | 上海申花 | |||||
2000 | ジャマイカ | |||||
2000-2001 | ボタフォゴ | |||||
2001-2002 | 横浜F・マリノス | |||||
2003-2004 | アル・アラビ | |||||
2004-2005 | ジャマイカ | |||||
2005 | ジュベントゥージ | |||||
2006 | トラブゾンスポル | |||||
2007-2008 | マリティモ | |||||
2008-2009 | カタールSC | |||||
2011 | カタール | |||||
2012-2014 | カタールSC | |||||
2014-2015 | カタールSC | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
セバスティアン・バホーゾ・ラザロニ(Sebastião Barroso Lazaroni, 1950年9月25日 - )は、ブラジル出身のサッカー指導者。
経歴
[編集]1989年、ブラジル代表の監督に就任し、長年4バックが採用されていたブラジル代表に3バックシステム (3-5-2フォーメーション)を導入した[1]。同年にはコパ・アメリカで優勝し、南米年間最優秀監督賞(エル・パイース紙による)を受賞したが[2]、1990年にイタリアで開催された1990 FIFAワールドカップでは決勝トーナメント初戦でアルゼンチン代表に敗れてベスト16敗退という結果に終わり、戦術の要となったドゥンガとともに批判の対象となった[1][3][4]。
退任後、イタリアのセリエAのフィオレンティーナや、セリエBのバーリの監督を務めた[3]。このほか、ジャマイカ代表やカタール代表などの代表チーム、トルコやポルトガルやメキシコ、日本やサウジアラビアや中華人民共和国やカタールやクウェートのクラブで指揮を執った[4][5]。
2001年7月、Jリーグ2ndステージより当時J2降格危機に陥っていた横浜F・マリノスの監督に就任[6]。ラザロニがブラジルより連れてきたドゥトラ、ブリットやナザ(当初は3人とも半年のレンタル契約で日本に連れてきていた)がチームにフィットし、クラブをJ1残留へ導く。ナビスコカップでは、その年の強豪だったジュビロ磐田と対戦してPK戦の末に勝利し、優勝に導いた。
2002年のファーストステージでは、優勝争いに加わりファーストステージを2位に導いた。しかしセカンドステージはイタリアへ移籍した中村俊輔の抜けた穴を埋めきれることができず2勝1分け4敗の13位と低迷。10月8日にクラブよりラザロニの解任と、後任として下条佳明チームディレクターが監督就任することが発表された。
タイトル
[編集]監督
[編集]フラメンゴ
- カンピオナート・カリオカ: 1986
ヴァスコ・ダ・ガマ
- カンピオナート・カリオカ: 1987, 1988
- ラモン・デ・カランサ杯:1回(1987)
横浜F・マリノス
カタールSC
- クラウンプリンスカップ: 2009
- カタールスーパーカップ: 2014
上海申花
- 中国サッカー・スーパーカップ: 1999
ブラジル代表
個人
[編集]- 南米年間最優秀監督賞: 1989
- カタール年間最優秀監督賞: 2009[7]。
脚注
[編集]- ^ a b “セレソンは次なる100年へ――白星発進のドゥンガは現役時代の復讐劇を再現できるか”. サッカーダイジェストweb (2014年9月7日). 2017年4月20日閲覧。
- ^ “South American Coach of the Year 1989”. rsssf.com. 2017年4月20日閲覧。
- ^ a b “futebol italiano: Técnicos: Sebastião Lazaroni”. Quattro Tratti (2016年6月25日). 2017年4月20日閲覧。
- ^ a b “Sebastião Lazaroni afirma que não trabalharia no Palmeiras se fosse”. R7.com (2013年1月28日). 2017年4月20日閲覧。
- ^ “Sebastião Lazaroni é o novo técnico do Marítimo”. Estadão.com (2007年6月22日). 2017年4月20日閲覧。
- ^ 30周年記念コラム7・外国籍選手の系譜 横浜F・マリノス
- ^ “Técnico Sebastião Lazaroni acerta retorno para o Qatar SC”. Terra Esportes (2015年10月28日). 2017年4月20日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- セバスティアン・ラザロニ - Soccerway.com
- セバスティアン・ラザロニ - FootballDatabase.eu
- セバスティアン・ラザロニ - WorldFootball.net
- セバスティアン・ラザロニ - Transfermarkt.comによる選手データ
- セバスティアン・ラザロニ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- セバスティアン・ラザロニ - J.League Data Siteによる監督データ
- セバスティアン・ラザロニ - トルコサッカー連盟 (manager)
- セバスティアン・ラザロニ - Fussballdaten.de
- セバスティアン・ラザロニ - Munzinger Sports Archives