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テオ・ラトリフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
セオ・ラトリフから転送)
テオ・ラトリフ
Theo Ratliff
引退
ポジション センター
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1973-04-17) 1973年4月17日(51歳)
出身地 アラバマ州デモポリス
身長(現役時) 208cm (6 ft 10 in)
体重(現役時) 106.6kg (235 lb)
キャリア情報
出身 ワイオミング大学
ドラフト 1995年 18位
選手経歴
1995-1997
1997-2001
2001-2003
2003-2006
2006-2007
2007-2008
2008
2008-2009
2009-2010
2010
2010-2011
デトロイト・ピストンズ
フィラデルフィア・76ers
アトランタ・ホークス
ポートランド・トレイルブレイザーズ
ボストン・セルティックス
ミネソタ・ティンバーウルブズ
デトロイト・ピストンズ
フィラデルフィア・76ers
サンアントニオ・スパーズ
シャーロット・ボブキャッツ
ロサンゼルス・レイカーズ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

テオフィラス・カーティス・ラトリフ(Theophilus Curtis Ratliff, 1973年4月17日 - )は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手。アラバマ州デモポリス出身。 身長208cm。体重107kg。ポジションはセンター

経歴

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大学時代

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ワイオミング大学で4年間プレー。ウエスタンアスレチックカンファレンス (WAC) のファーストチームに選出されるなど活躍を見せた。

NBA入り

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1995年のNBAドラフトで1順目18位指名をピストンズから受けてNBA入り。ピストンズでの2シーズン半は主に控えとしてプレー。着実に数字を伸ばしたものの、先発にはなかなか上がれなかった。

1997年-1998年シーズン途中、フィラデルフィア・セブンティシクサーズにトレードで移籍。シクサーズでは先発のセンターのポジションを確保。01年のNBAオールスターゲームにはイーストの先発センターに選出されたものの、故障のため欠場を余儀なくされた。

オールスター後、トレードで3シーズンあまりを過ごしたシクサーズを去りアトランタ・ホークスへ移籍。ホークスではその後1シーズン半プレーした。

2003年-2004年シーズン途中、トレードでポートランド・トレイルブレイザーズに移籍。このシーズンの307ブロックはリーグ1位となった。ブレイザーズでは6年間プレーした。

2006年-2007年シーズン前、トレードでボストン・セルティックスに移籍。しかしここでも故障に苦しみ、自身最低の2試合の出場に終わった。シーズン終了後ケビン・ガーネットを獲得する大型トレードに組み込まれミネソタ・ティンバーウルブズに移籍。若手中心のチーム作りを行っていたウルブズでは10試合の出場のみでバイアウトを受け入れた。2008年3月4日、古巣であるピストンズと契約をはたす。

2008-09シーズン前、FAで1997-98シーズン以来になるシクサーズに移籍した。

2008-09シーズン後、サンアントニオ・スパーズに移籍した。

2010年、2月、シャーロット・ボブキャッツへ移籍。2010年7月22日ロサンゼルス・レイカーズと1年契約を結んだ[1]

2011年12月、引退した[2]

プレイスタイル

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ディフェンス、特にブロックショットに抜群の感性を持っている。12年のキャリアのすべてで1本を超えている。特に2003-2004シーズンの平均4.4ブロック(ポートランド・トレイルブレイザーズに在籍時の数字)は驚異的なものだった。オフェンスではあまり重要視されていないが、自己ベストとして27得点を挙げた試合もある。最大の欠点は故障欠場が多いところである。ほぼ全休のシーズンが2シーズンもあった。

脚注

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  1. ^ LAKERS SIGN THEO RATLIFF”. NBA.com (2010年7月22日). 2015年3月18日閲覧。
  2. ^ Success story”. laramieboomerang.com (2012年1月18日). 2015年3月18日閲覧。

外部リンク

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