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セイイェド・アリー・モハンマド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

セイイェド・アリー・モハンマドペルシア語:سید علی محمد,アラビア語:سيد علي محمد,トルコ語:Seyyid Ali Muhammed、本名ミールザー・アリー・モハンマド、別名バーブ1819年10月20日 - 1850年7月9日)は、イスラム教シーア派十二イマーム派の一派、シャイヒー派の宗教改革者、後に預言者であることを宣言し、「バーブ」(アラビア語で「門」の意)と名乗り「バーブ教」を開祖した。  

ハイファにあるバーブの聖廟
セイイェド・アリー・モハンマドの肖像

セイイェド・アリー・モハンマドは1844年5月23日に自分は十二イマーム派の約束されたマフディーの再来であると宣言し、イスラーム自由主義的改革を訴え支持を集め始めた。これに対して十二イマーム派の聖職者たちの多くが反発し、バーブを異端者、更には背教者と断罪した。

バーブ教徒は十二イマーム派聖職者とその扇動する群衆によって攻撃を受け、時には数千人規模の犠牲者を生む戦闘も起きた。1846年以降は断続的に拘留され、1850年7月9日に銃殺された。その後数ヶ月内に他の多くの直弟子が同じ運命をたどった。 生き延びたバーブの高弟の一人ミールザー・ホセイン・アリーは、1863年にバーブが登場を予言していた新預言者「バハオラ」であると宣言して「バハイ信教」を創始した。そのためバハイ信教でもバーブは崇敬されている。

生涯

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生い立ち

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1819年10月20日、シーラーズの中流商人ムハンマド・リダーの息子として生まれた。母親はシーラーズの有名な商人の娘でファーティメー(1800-1881)。両親は、預言者ムハンマドの娘ファーティマアリーの子孫(セイイェド、サイード)であると主張した。ファーティメーは後にバハイ教徒となる。父ムハンマド・リダーは若い内に死に、同じく商人であった母方叔父のハージー・ミールザー・セイイェド・アリーに養育された。マクタブ(初等学校)で6~7年学んだ後、15歳から20歳まで叔父の家業を継ぎペルシャ湾近くのブシェール市で商業を営んだ。

結婚

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1842年、ハディージェ・バゴム(以下「ハディージェ」と記載)と結婚した。セイイェド・アリー・モハンマドは23歳でハディージェは20歳であった。アフマドと名づけた子供が産まれたが、その年の中に亡くなった。夫婦はシーラーズの家で母親と暮らした。ハディージェは後にバハイ教徒となった。

シャイヒー派運動

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シェイク・アフマド

1790年、ペルシャで、シェイク・アフマドペルシア語版(1753-1826)が十二イマーム派内で宗教運動を始めた。彼の信奉者はシャイヒー派と知られ、アフル・ル・バイトのマフディーと呼ばれるアル・カーイムの差し迫った現れを待ち受けていた。シェイク・アフマドの死後はセイエム・カゼム・ラシュティペルシア語版(1793-1843)が指導した。

セイエム・カゼム・ラシュティ

1841年、バーブはイラクへと巡礼を行い、七か月のほとんどをカルバラー周辺に留まった。彼はそこでカゼム・ラシュティと会ったと信じられている。そこでカゼム・ラシュティの講義に参加したと思われるが、この期間については文書化されていない。

1843年12月、カゼム・ラシュティは死の時、シャイヒー派の信奉者たちに彼の預言によればまもなく現れるマフディーを探すために忠告した。これらの信奉者の一人のモッラー・ホセインはモスクで40日間徹祷した後、シーラーズに旅をし、そこでバーブと会った。

モッラー・ホセインへの言明

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ハディージェが目撃したバーブの最初の宗教的なインスピレーション体験は、1844年4月3日の夕べであった。バーブの使命の公の接触はシーラーズでモッラー・ホセインが到着したときに起こった。5月22日の夜、モッラー・ホセインはバーブに家に招かれた。モッラー・ホセインは、カーゼム・ラシュティーの相応しい後継者、約束された者を探していると告げた。バーブはモッラー・ホセインに、自分がカーゼム・ラシュティーの後継者であり、神秘の知識の所有者であると語った。モッラー・ホセインは、バーブの主張を最初に受け入れた。バーブはモッラー・ホセインの質問に満足いく返答をし、彼の目の前において、『カイユーム・ル・アスマー』という名で知られるようにあったクルアーン・ユースフ章の解説の最初の一章を書き表した。

活ける文字

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モッラー・ホセインが最初の弟子となり、その五か月の中にカーゼム・ラシュティーの弟子たちの17人がバーブを神の顕示者と認めた。その中に、後にターヘレ(純粋)という名づけられた詩人、ファーティメ・ザッリーン・バラガーニという女性がいた。これらの18人の弟子は「生ける文字」と呼ばれ、イランとイラクの間で新しい信仰を広める任務が与えられた。

参考文献

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  • 『バハイ教』-シリーズ世界の宗教-P.R.ハーツ著、奥西俊介訳、青土社出版、2003年

関連項目

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