ジョン・ニコル・アーウィン (国務副長官)
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(ジョン・N・アーウィン2世から転送)
ジョン・ニコル・アーウィン(John Nichol Irwin, II、1913年12月31日 - 2000年2月28日)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官。冷戦時代に国務次官、国務副長官、および駐フランス大使を務めた。
生涯
[編集]アイオワ州キオカクにて誕生。ローレンスビル・スクールを経て、1937年にプリンストン大学卒。1941年フォーダム大学ロー・スクール卒。1944年にオックスフォード大学で修士課程修了[1]。第二次世界大戦中は米陸軍に所属し、大佐として従軍。
1947年、米比合同財政委員会スタッフ[2]。パターソン・ベルナップ・ ウェブ&タイラー法律事務所パートナーを経て、1958年から1961年まで国防副次官補(国際安全保障担当)[2]。1965年から1968年までパナマ運河交渉のアメリカ代表[2]。1969年、対ペルー特使[2]。
1970年から1972年まで国務次官[3]。1972年から1973年まで国務副長官[3]。1973年から1974年まで駐フランス大使[3]。
人物
[編集]アーウィンの人物像について、ニューヨーク・タイムズ紙は「正直で、謙虚で、思いやりのある人物」「親身になって話を聞いてくれる素晴らしい人物」と紹介した[4]。
家族
[編集]アーウィンは実業家トーマス・J・ワトソンの娘ジェイン・ワトソン (Jane Watson) と結婚[1]。1970年に死別[1]。ジェインとの間に、1男1女をもうけた[4]。
- ジョン・ニコル・アーウィン (John Nichol Irwin, III) - 実業家。アリゾナの“土地王”。
- ジェイン・W・I・ドロッパ (Jane W. I. Droppa)
アーウィンは1976年9月30日に、ジェイン・G・ライマース (Jane G. Reimers) と再婚[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c “John N. Irwin II”. NNDB. 2011年1月1日閲覧。
- ^ a b c d Ravo, Nick (2000年2月29日). “John N. Irwin II, 86, Diplomat And Ex-Aide to MacArthur”. The New York Times 2011年1月1日閲覧。
- ^ a b c “John Nichol Irwin (1913-2000)”. United States Department of State. 2010年1月1日閲覧。
- ^ a b c “Paid Notice: Deaths IRWIN II, JOHN NICHOL”. The New York Times. (2000年2月29日) 2011年1月1日閲覧。
公職 | ||
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先代 エリオット・リチャードソン |
アメリカ合衆国国務次官 1970年9月21日 - 1972年7月12日 |
次代 - (組織再編により職務細分化) |
先代 - (新設) |
アメリカ合衆国国務副長官 1972年7月13日 - 1973年2月1日 |
次代 ケネス・ラッシュ |
外交職 | ||
先代 アーサー・ワトソン |
在フランスアメリカ合衆国大使 1973年3月23日 - 1974年10月20日 |
次代 ケネス・ラッシュ |