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ジャクソン・ブロマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャクソン・ブロマン
Jackson Vroman
故人
ポジション PF/C
基本情報
国籍 レバノンの旗 レバノン
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1981-06-06) 1981年6月6日
没年月日 (2015-06-29) 2015年6月29日(34歳没)
出身地 カリフォルニア州ラグナ
身長(現役時) 208cm (6 ft 10 in)
体重(現役時) 100kg (220 lb)
キャリア情報
出身 アイオワ州立大学
ドラフト 2004年 31位
選手経歴
2004-2005
2005-2006
2006-2007
2007-2008
2008
2009
2009-2010
2010-2011
2011
2011-2012
2012
2012-2013
2013-2014
2014-2015
フェニックス・サンズ フェニックス・サンズ
ニューオーリンズ・ホーネッツ ニューオーリンズ・ホーネッツ
CBグラン・カナリア CBグラン・カナリア
CBジローナ
BCリエトゥヴォス・リータス BCリエトゥヴォス・リータス
サバ・メフル・ガズヴィーンBC サバ・メフル・ガズヴィーンBC
マフラム・テヘランBC
東莞レオパーズ
仁川電子ランドエレファンツ
江蘇ドラゴンズ
バランゲイ・ギンブラ・キングス
山東ライオンズ
東莞レオパーズ
カピタネス・デ・アレシボ
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ レバノンの旗 2009-2015

ジャクソン・ブローマンJackson Vroman, 1981年6月6日 - 2015年6月29日)は、レバノンの元プロバスケットボール選手カリフォルニア州ラグナ出身。ポジションはパワーフォワードセンター。208cm、100kg。

経歴

[編集]

1980-81シーズンにNBAのユタ・ジャズでプレーしたブレット・ブロマンの息子として生まれる。

ユタ州バウンティフルの高校から同州エフライムにあるスノーコミュニティカレッジに進学、その後、アイオワ州立大学でプレーした。

2004年のNBAドラフト2巡でシカゴ・ブルズに指名された。

フェニックス・サンズと契約し、2005年1月にケイシー・ジェイコブセンマチェイ・ランペとともに、ジミー・ジャクソンとのトレードでニューオーリンズ・ホーネッツに移籍した[1]。ホーネッツ在籍中、クリス・ポールのパスを受けてダンクを決めた際にはリムから落ちて手首を骨折し、シーズン残り試合を棒に振った[1]

2006-07シーズンはリーガACBCBグラン・カナリアで、2007-2008シーズンはCBジローナでプレーした[1]。ジローナとの間でサラリーの支払いトラブルが起きたため、シーズン中の2008年2月にリトアニア・バスケットボール・リーグBCリエトゥヴォス・リータスへ移籍した[1]

2009年6月、レバノンのパスポートを入手してレバノン代表となり、アジア選手権に参加して4位入賞に貢献した。

2010年10月、中国プロバスケットボールリーグ東莞レオパーズと契約した。2011年、仁川電子ランドエレファンツと契約して同年12月に中国の江蘇ドラゴンズと契約した。その後、2012年3月にフィリピンバスケットボールリーグのバランゲイ・ギンブラ・キングスと契約し、同年終わりには中国の山東ライオンズと契約した。

死去

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2015年6月29日、ブロマンがロサンゼルスの自宅のプールで死亡しているのが発見された[2]。友人のダン・ビルツァーアン英語版はブロマンが事故で溺れたことについて、「座っていた彼は家の中に行くために立ち上がって階段につまずき、頭を打ってプールで溺れた。」と自分のTwitterにて明かした[3][4]

脚注

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  1. ^ a b c d Interview with Jackson Vroman”. serwrites.blogspot.jp (2008年11月14日). 2015年6月22日閲覧。
  2. ^ Former ISU basketball player Jackson Vroman found dead at Calif. home”. The Des Moines Register (2015年6月30日). 2019年4月27日閲覧。
  3. ^ Former NBA Player Jackson Vroman Dead At 34”. BallerStatus.com (June 30, 2015). June 30, 2015閲覧。
  4. ^ ダン・ビルツァーアンの2015年6月29日のツイート2019年4月27日閲覧。

外部リンク

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