キヨッソーネ東洋美術館
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(ジェノヴァ東洋美術館から転送)
キヨッソーネ東洋美術館 Museo d'arte orientale Edoardo Chiossone | |
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施設情報 | |
専門分野 | 東洋美術、日本美術 |
所在地 | イタリア Villetta Dinegro - Piazzale Mazzini, 4 - 16122 Genova |
位置 | 北緯44度24分39.2秒 東経8度56分13.7秒 / 北緯44.410889度 東経8.937139度座標: 北緯44度24分39.2秒 東経8度56分13.7秒 / 北緯44.410889度 東経8.937139度 |
外部リンク | https://www.museidigenova.it/it/museo-darte-orientale-e-chiossone |
プロジェクト:GLAM |
キヨッソーネ東洋美術館(Museo d'Arte Orientale Edoardo Chiossone)は、イタリアのジェノヴァ市にある東洋美術を主とする美術館である。ジェノヴァ東洋美術館とも表記される。
概要
[編集]日本の招きによりお雇い外国人の一人として、明治8年(1875年)1月12日に来日したエドアルド・キヨッソーネは大蔵省印刷局に着任、主に偽造防止の紙幣制作の指導などにあたる傍ら、その多くの給与から多くの日本美術品を収集した。それらの展示のために設立されたのが、キヨッソーネ東洋美術館であった。
当初、アルフレード・ルグソーロにより、1905年にリグーリア美術学校の三階の美術館に設置され、1940年までこの建物において開館していたが、1940年の第二次世界大戦布告の直後、キヨッソーネ東洋美術館はジェノヴァ市の責任、負担のもとに疎開、大戦後にはキヨッソーネの遺言通り、市の所有となっている。その後、ジェノヴァ市はキヨッソーネの遺言に従って、コレクションを恒久的に保存するのにふさわしい建物の設計・建設を審議した。
その結果、建設予定地はヴィレッタ・ディ・ネグロ公園内に決定、ジョルジョ・オルセーゼ監修、 ルチアーノ・グロッシ・ビアンキデザイン、マリオ・ラボ建設で1953年に建設に着工をし、1970年に完成している。そして、翌1971年5月7日に開館、以来、広く一般に公開されている。
自らが銅版画家であった彼の日本美術品コレクションは約15000点以上にのぼり、浮世絵版画3269点、肉筆浮世絵286点余りのほか、大仏像、甲冑、絵画、陶器など多岐にわたっている。
所蔵品
[編集]- 「初代大谷広次のはしば久吉と二代目三条勘太郎の若衆」細版 漆絵 鳥居清信
- 「二代目市川団十郎と初代佐野川万菊」細版 漆絵 鳥居清忠
- 「しゃぼん玉を吹く美人」柱絵判 錦絵 礒田湖竜斎
- 「御殿山の花見駕籠」大判 錦絵3枚続 喜多川歌麿
- 「教訓親の目鑑 本性者」大判 錦絵 喜多川歌麿
- 「二代目中村仲蔵の舎人松王丸 大判 錦絵3枚揃のうち 歌川国政
- 「源頼光公館土蜘蛛作妖怪図」大判 錦絵3枚続 歌川国芳
- 「雪中の花魁」掛物絵 大判錦絵 上下2枚続 渓斎英泉
- 「諸国名橋奇覧 すほうの図 きんたいはし」大判 錦絵揃物 葛飾北斎
- 「業平踊図」絹本着色 宮川長亀
- 「身重の女」絹本着色 葛飾北斎
- 「七福神」絹本着色 歌川豊春、歌川豊国、歌川豊広、歌川国貞、勝川春英、鳥居清長、葛飾北斎
- 「桜下遊女図」紙本着色 歌川豊国
- 「月夜楼上芸妓図」絹本着色 歌川広重
- 「四条河原夕涼図」絹本着色 鳥文斎栄之
- 「遊女道中図」絹本着色 礫川亭一指
- 「月下竹虎図」絹本着色 葛飾北斎
- 「諌鼓鶏図」絹本着色 葛飾北斎
- 「観月遊女図」絹本着色 柳々居辰斎
参考文献
[編集]- キヨッソーネ東洋美術館所蔵 浮世絵展 神戸新聞社 株式会社エーティー 富田智子編、神戸新聞社、2001年