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ジェームズ・ハミルトン (第7代ハミルトン公爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第7代ハミルトン公爵および第4代ブランドン公爵ジェームズ・ジョージ・ハミルトン英語: James George Hamilton, 7th Duke of Hamilton and 4th Duke of Brandon1755年2月18日1769年7月7日)は、グレートブリテン王国の貴族。1758年までクライズデール侯爵儀礼称号を使用した[1]。3歳足らずで公爵位を相続し[1]、さらに6歳のときに遠戚にあたる初代ダグラス公爵アーチボルド・ダグラスからダグラス侯爵位を継承したが[2]、ダグラス家の領地継承をめぐるダグラス訴訟事件英語版では最終的に敗訴した[3]

生涯

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第6代ハミルトン公爵および第3代ブランドン公爵ジェームズ・ハミルトンと妻エリザベス英語版Elizabeth、1790年12月20日没、旧姓ガニング(Gunning)、ジョン・ガニングの娘)の長男として、1755年2月18日にホリールード宮殿で生まれた[1]。1758年1月17日に父が死去すると、ハミルトン公爵位とブランドン公爵位を継承した[1]

1761年7月17日に遠戚にあたる初代ダグラス公爵アーチボルド・ダグラスが死去すると[2]ダグラス侯爵位およびその従属爵位であるアンガス伯爵英語版位などを継承した[1]。しかし、ダグラス公爵の遺産をめぐってはダグラス訴訟事件英語版がおこり[2]、ハミルトン公爵の後見人が公爵による遺産継承を主張したものの、結局ダグラス公爵の妹ジェーン英語版の息子にあたるアーチボルド・ジェームズ・エドワード・ダグラス英語版が勝訴した[3]

1769年、結核を患って医師ジョン・ムーア英語版の治療を受けたが[4]、治療の甲斐なく1769年7月7日に生涯未婚のままハミルトン宮殿英語版で死去、ハミルトンで埋葬された[1]。弟ダグラスが爵位を継承した[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward, ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 148–149.
  2. ^ a b c Paton, Henry (1888). "Douglas, Archibald (1694-1761)" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 15. London: Smith, Elder & Co. pp. 286–287.
  3. ^ a b Paton, Henry (1888). "Douglas, Archibald James Edward" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 15. London: Smith, Elder & Co. pp. 287–288.
  4. ^ Steptoe, Andrew (February 2005). "John Moore: eighteenth century physician, bearleader and social observer". Journal of the Royal Society of Medicine (英語). 98 (2): 70–74. doi:10.1258/jrsm.98.2.70. 2013年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。

外部リンク

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スコットランドの爵位
先代
ジェームズ・ハミルトン
ハミルトン公爵
1758年 – 1769年
次代
ダグラス・ハミルトン
先代
アーチボルド・ダグラス
ダグラス侯爵
1761年 – 1769年
グレートブリテンの爵位
先代
ジェームズ・ハミルトン
ブランドン公爵
1758年 – 1769年
次代
ダグラス・ハミルトン