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サンドウィッチ (イングランド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サンドウィッチ

14世紀に建立された聖トマス病院(St Thomas' Hospital) 地図
サンドウィッチの位置(ケント内)
サンドウィッチ
サンドウィッチ
ケントにおけるサンドウィッチの位置
人口4,985人 (2011)[1]
英式座標
TR335585
非都市ディストリクト
シャイア・カウンティ
リージョン
構成国イングランドの旗 イングランド
イギリスの旗 イギリス
郵便地域Sandwich
郵便番号CT13
市外局番01304
警察ケント
消防ケント
救急医療サウス・イースト・コースト
欧州議会サウス・イースト・イングランド
英国議会
場所一覧
イギリス
イングランド
ケント
北緯51度16分29秒 東経1度20分20秒 / 北緯51.274722222222度 東経1.3388888888889度 / 51.274722222222; 1.3388888888889座標: 北緯51度16分29秒 東経1度20分20秒 / 北緯51.274722222222度 東経1.3388888888889度 / 51.274722222222; 1.3388888888889

サンドウィッチ (Sandwich) はイギリスイングランド南東部ケントにある歴史的な町で、行政教区(Civil Parish)である。ストアー川英語版沿いにあり、人口4,985人である[1]

五港の一つであり、中世以来の建物が多く残っており、イギリス指定建造物に指定されているパブや門、古い町壁、教会救貧院、風車のホワイト・ミル英語版などがある。かつてはイングランドの主要な港の一つであったが、ウォンツァム海峡英語版が無くなったため、現在は海から2マイルほどの距離にある。その歴史的街区は保存されている[2]サンドウィッチ湾英語版には自然保護区と2つのゴルフコース(王立聖ジョージ・ゴルフ・クラブ英語版プリンス・ゴルフ・クラブ英語版)がある。軽食のサンドウィッチはこの町の名前を爵位名とする第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューに由来している。そのため、サンドウィッチの名は現在様々な言語で使用されている。

サンドウィッチとサネット一帯の岩石海岸河口砂丘、海岸草原塩性湿地沼地などは1994年にラムサール条約登録地となった[3]

歴史

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サンドウィッチが五港になる前はウォンツァム河口にはストアー川の反対側ストナー(Stonar)に古代サクソン人の町があったが、14世紀までには姿を消した。近くのリッチバラ英語版は、紀元43年ローマのブリテン征服英語版でローマ軍が上陸したところであり、ローマ軍の要塞の遺跡がある[4]。2008年の考古学の発掘調査でこの要塞は700メートルの海岸を防衛するためのものであることが証明された[5]

1028年、イングランド王クヌート1世は船の通行と使用料金徴収のため、カンタベリー大聖堂の聖職者に勅許状を付与した。イングランド王リチャード1世神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世から釈放された後、1194年3月13日にサンドウィッチに上陸して英国に帰還している[6]。 1216年5月21日に第1次バロン戦争フランスルイ皇太子(ルイ8世)が上陸したのもサンドウィッチだった[7]。同年8月のサンドウィッチの戦い英語版は沖合で発生した。

この町の「フィッシャー・ゲート」は1384年に建設された、中世から現存している門の一つであり、第一級イギリス指定建造物になっている[8]。そのそばにあるバービカン英語版も14世紀の建造物で、ストアー川にかかる橋のたもとで料金所として使用されていた[9]

イングランドの不安定な平和の4年後の1457年8月28日、国王が領地を手放し、封建貴族たちが北と西の住民を支配するようになった[10]。フランス軍はこの状況を利用してケントに攻撃部隊を送り込み、サンドウィッチの大部分を焼き払った。フランス元帥ピエール・ド・ブレゼ指揮下のオンフルールからの約4,000人の上陸部隊は、市長英語版ジョン・ドラリーを殺害する途中に町を略奪した。サンドウィッチ市長がこの事件を悼むために黒いローブを着ることは、今日まで続く伝統となった。

その後、1561年7月6日付のエリザベス1世勅許状により居住権を得たフランドルからの移民によって町に多くの技術がもたらされた[11]。サンドウィッチは16世紀中にイングランド人より「外国人」の人口の方が多いイングランドで唯一の町だった。歴史家のマルセル・バックハウスは、当時サンドウィッチには少なくとも2,400人のフランドル人と500人のワロン人の亡命者が住んでいたと推定している[12]

1660年には海軍司令官エドワード・モンタギューがこの町の名前に由来するサンドウィッチ伯爵の爵位を得ている。

1759年にはトマス・ペインが町の第20新通り(20 New Street)に住居と店を構えていた[13]。その家は現在、プラークでマークされており、指定建造物となっている[14]

1912年にはエドウィン・ラッチェンスアン女王様式英語版ザ・サルティション英語版という家を建設した。その庭園は、ガートルード・ジーキルによって設計された[15]

第一次世界大戦中にはサンドウィッチはイープルへ向かう兵士たちの輸送拠点として重要な場所だった[16]

2014年に1300年発行のマグナ・カルタ御料林憲章英語版の原本が発見された。2つの文書が同時に発見されたのは2度目の事だった[17]。それらは現在、サンドウィッチ・ギルドホール博物館に他の歴史的遺物とともに展示されている[18]

ギャラリー

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姉妹都市

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出典

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  1. ^ a b Archived copy”. 6 January 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。5 January 2014閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ : "It had just closed up, and now it was preserved, two miles from the sea, in its own rich silt", as Paul Theroux remarked in The Kingdom by the Sea, 1983:33.
  3. ^ Thanet Coast & Sandwich Bay | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (1999年1月1日). 2023年4月4日閲覧。
  4. ^ “Dig uncovers Roman invasion coast”. BBC News Online. (2 October 2008). http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/kent/7648033.stm 
  5. ^ “Roman invasion beach found in Kent: Archaeologists unearth landing point of legions – only now it's two miles from the coast”. The Independent. (2 October 2008). https://www.independent.co.uk/news/uk/this-britain/roman-invasion-beach-found-in-kent-949717.html 
  6. ^ Gillingham, John (2000). Richard I. p. 251. ISBN 0300094043 
  7. ^ Key Magna Carta Battles, 1214–1267”. Magna Carta 800th Committee. 7 July 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。2 July 2013閲覧。
  8. ^ Historic England. "Fisher Gate (1069601)". National Heritage List for England (英語). 2010年4月2日閲覧
  9. ^ Historic England. "The Barbican (1069655)". National Heritage List for England (英語). 2010年4月2日閲覧
  10. ^ Palmer, Alan; Palmer, Veronica (1992). The Chronology of British History. London: Century Ltd. pp. 125–128. ISBN 0-7126-5616-2 
  11. ^ F.W. Cross, "History of the Walloon and Huguenot Church at Canterbury." In: Publications of the Huguenot Society of London, 15 (1898), p. 13.
  12. ^ M. Backhouse, The Flemish and Walloon Communities at Sandwich during the Reign of Elizabeth I (1561-1603), Brussels: Paleis der Academieën, 1995, pp. 32-34.
  13. ^ Thomas Paine”. Sandwich People & History. Open Sandwich. 11 April 2009時点のオリジナルよりアーカイブ2 April 2010閲覧。
  14. ^ Historic England. "20 and 22 New Street (1069586)". National Heritage List for England (英語). 2010年4月2日閲覧
  15. ^ Historic England. "The Salutation (1069643)". National Heritage List for England (英語). 2010年4月2日閲覧
  16. ^ Sandwich History: Introduction”. Open Sandwich — History of Sandwich. 17 August 2014時点のオリジナルよりアーカイブ29 September 2014閲覧。
  17. ^ How a long-lost Magna Carta was found in a British town”. 21 March 2015時点のオリジナルよりアーカイブ20 February 2015閲覧。
  18. ^ Sandwich Town Council: The Guildhall Museum”. www.sandwichtowncouncil.gov.uk. 23 September 2019時点のオリジナルよりアーカイブ2019年10月31日閲覧。
  19. ^ British towns twinned with French towns [via WaybackMachine.com]”. Archant Community Media Ltd. 5 July 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月20日閲覧。
  20. ^ National Commission for Decentralised cooperation” (French). Délégation pour l’Action Extérieure des Collectivités Territoriales (Ministère des Affaires étrangères). 27 November 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月26日閲覧。