SALON MUSIC
SALON MUSIC | |
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出身地 | 日本 |
ジャンル | ニュー・ウェイヴ |
活動期間 | 1980年 - |
レーベル | felicity |
公式サイト | felicity レーベルページ |
メンバー |
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SALON MUSIC(サロン・ミュージック)は、吉田仁と竹中仁見の2人によって構成される日本のニュー・ウェイヴユニット。
13枚のオリジナルアルバム、各レコード会社編集のベスト盤(1998年発表の『girls at our tratt's best!』は新録やremix入り)をリリース、15枚のコンピレーションアルバムに参加。詳細は後述の作品の節を参照のこと。
吉田は岡野ハジメとのQuadraphonics、竹中はSilver Finsという別ユニットの活動も行っていた。
メンバー
[編集]来歴
[編集]1980年、吉田仁と竹中仁見の2人によって結成される。活動開始時はニュー・ウェイヴ全盛期で、小粋で、ねじれたポップ感覚はイギリスでも注目された[1]。
1981年、イギリス・SOUNDS誌ジャパニーズテクノポップチャートで、セルフレコーディングのカセットテープ『hunting on Paris』が首位を獲得。1982年、イギリス、フォノグラムからデビュー。「hunting on Paris」は、アルバム『Tokyo mobile music』に収録され、後にシングルカットされる。同年、カセットマガジンTRA #2に参加。この頃は、六本木ink stickで定期的にライブを行っていた。
1983年、ホンダ・バラードスポーツCR-XなどのCM曲のシングルをリリース。1stアルバム『my girl friday』を発表した[1]。
1984年、高橋ユキヒロプロデュースの2ndアルバム『la paloma show(ラ・パロマ・ショウ)』を発表する。バックにはムーンライダーズが参加している。同年、渋谷公会堂でライブを行う。1月に青山の1999でワインを提供したコンサートを開き、映像がパルコで公開予定だった[1]。
1989年、イギリスの映像作家アンディG.とアランF.P.のスライドとのコラボライブ「psychic ball night」を行う。
1990年、吉田仁は、フリッパーズ・ギターなどの他アーティストの作品のプロデュースやミックスを多数手がけるようになる。これを契機に、小山田圭吾主宰のトラットリア(Tratttoria)・レーベルに移籍しており、以降、アルバムを6枚リリースしている。
2000年、ヨ・ラ・テンゴのオープニング・アクトを、翌年にはスパークスのオープニング・アクトを務める。
2011年、9年振りとなるアルバム『sleepless sheep』をリリース[2]。
作品
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
アルバム
- my girl friday (1983年) (1993年リイシュー ボーナストラック1曲)
- la paloma show (1984年) (1993年リイシュー ボーナストラック3曲)
- topless (1985年)
- this is (1987年)
- o boy (1988年)
- psychic ball (1990年)
- missing and wishing 1980~1983demo and rare collection (1993年 1stアルバム以前の初期音源集)
- M★A★S★H (1995年)
- tiger moth (1996年)
- chew it in a bite (1996年)
- kelly's duck (1997年)
- girls at our trattria best! (1997年)
- round5 shaggy bee (1999年)
- new world record (2002年)
- THIS IS + O BOY (2002年 87年の4枚目と88年発売の5枚目の2枚をカップリングし、デジタル・リマスター化)
- Anthology SALON MUSIC BEST (2003年 ポニーキャニオン時代のベスト、デュエットに夢中など初CD曲を収録)
- sleepless sheep (2011年)
参考文献・出典
[編集]外部リンク
[編集]- salon music サロンミュージック official - 公式ウェブサイト
- サロン・ミュージック - felicity レーベルによる公式ページ